第9章 最後の配達
『……配達員リイナ、時間を——選べ。』
その声は、塔の壁や振り子からではなく、空間そのものから響いていた。
低くも優しい響きで、同時に抗い難い重さを帯びている。
リイナは防護服の男と視線を交わすが、彼もまた何も言わずに頷くだけだった。
「……選択肢は?」
問いかけると、声は即答した。
『第一——時間を正し、裂け目を閉じる。世界は安定するが、停止域に取り込まれた者は戻らない。
第二——時間を開放し、すべての層を融合させる。失われた者は蘇るが、世界は新たな時間構造へ変容する。』
第一は、犠牲を固定する安全策。
第二は、予測不可能な変化を伴う賭け。
脳裏をよぎるのは、第七停止域で出会った配達員たちの瞳、港区で待つ人々の姿、そして——自分自身の使命。
「……私は——」
言葉を紡ぐ瞬間、塔の振り子が不自然に揺れた。
頭上から“時間喰い”が一体、滑り落ちてくる。
男が飛び出し、それを引き剥がすが、彼の腕に黒いひびが走った。
それは肉体ではなく、時間そのものの裂け目だ。
「早く……決めろ!」
男の声に押され、リイナはK-42を振り子の中心部に押し込んだ。
封筒が完全に融け、蒼と黄金が混ざった光が奔流となって塔全体に広がる。
『選択を確認——』
「……第二だ。全部、取り戻す。」
その瞬間、振り子は真上で静止し、全ての時計が「12:00:00」を指した。
次の一拍——塔から光が放たれ、裂け目の全層に流れ込む。
凍っていた街路に子供の笑い声が戻り、停止域の配達員たちが息を吹き返す。
港区の空が金色に輝き、黒い裂け目がゆっくりと収縮していく。
だが、光が完全に消える前に、防護服の男が静かに言った。
「……世界は変わった。おそらく、もう元には戻れない。」
リイナは頷き、塔の外へと歩き出す。
そこに広がっていたのは——幾層もの時間が融合し、見慣れた街並みに知らない季節や空が混ざる、新たなクロノポリスだった。
彼女の手元に、いつの間にか新しい封筒があった。
刻印は、ただ一言——「次の配達先」。