第7章 裂け目の向こう
——落ちているのか、昇っているのか。
感覚はとうに失われ、光も影もない空間を漂う。
ただ、肌のすぐ下を時間の流れが直接擦過していくような、ぞわりとした感覚だけが残っていた。
やがて、視界の一点に滲むような明かりが浮かび上がる。
その明かりは、ゆっくりと形を取り——無数の歯車と振り子が重なり合った巨大な構造物となった。
「……ここが、裂け目の内側……?」
リイナが呟く。
声は不思議と空間全体に響き、遠くで反響する。
足元に感触が戻ると同時に、周囲の景色が一変した。
眼下には、クロノポリスの街並みが、幾層にも重なった透明な影のように広がっている。
どの層の人々も、別々の時間を生きているらしく、動きの速さも、季節も、空の色すら異なっていた。
「時間層……」
防護服の男が低く呟く。
「裂け目は、異なる時間流の層を縫い合わせたものだ。だが……この乱れ方は、自然じゃない。」
その時、最も近い層の街路に、ひとつの影が立っているのを見つけた。
それは、停止域で見た配達員たちと同じ制服を着ていたが、こちらをじっと見上げ、口元にかすかな笑みを浮かべていた。
リイナが一歩踏み出そうとした瞬間、足元の空間が割れ、別の層から黒い手のようなものが伸びてきた。
それは歯車の破片でできており、触れた瞬間に周囲の色と動きを奪い取っていく。
男が即座にリイナを引き戻す。
「“時間喰い”だ……核の覚醒で目覚めた、時間エネルギーの捕食者。」
男は腰の器具から短い金属棒を抜き、歯車の手に突き立てる。
棒先から蒼い火花が走り、捕食者は甲高い音を立てて霧のように消えた。
息を整えたリイナに、男は静かに言う。
「この層の奥に、“時計塔”があるはずだ。そこが裂け目の中枢で、時間の縫い目を制御している。」
「そこをどうするの?」
「正すか、断ち切るか——選ぶのはお前だ。」
遠く、層と層の間を縫うようにそびえ立つ塔の影が見える。
その先端には、何かを見下ろすように回転する巨大な針があり、その動きに合わせて層全体が脈動していた。
リイナはK-42を見下ろす。
封筒は、再び淡く脈動を始めていた。
まるで、塔へ導くために。