第2章 停止域(スティル・ドメイン)への郵便
クロノポリス港区の朝は、金属の匂いと低く唸る時間炉の鼓動で始まる。
真鍮の配管を伝って都市全体に巡るのは蒸気ではなく、極微量の時間エネルギーだ。市民はそれを吸い込み、呼吸と共に寿命を削りながら日々を営む。
リイナは、配達用クロノスーツの胸部パネルを軽く叩き、残量を確認した。
時間燃料は48時間ぶん。今日の行き先を考えると、ぎりぎりの計算だ。
目的地は都市南西に広がる廃村――第七停止域(スティル・ドメイン No.7)。
半世紀前に落下した事象核断片が中心にあり、周辺は光も音も動かない世界に変わり果てている。
「リイナ、例の封筒は忘れたら承知しないよ」
港区郵便局の老局長が、時結晶封止の特殊郵袋を差し出す。封筒の表には、擦れたインクで「K-42」とだけ書かれている。
差出人も受取人も公表されていない。だが、封筒から漏れる冷気は、時間流が限りなくゼロに近い物質を内包している証拠だった。
港区ゲートを出ると、空は黄銅色に曇っていた。
クロノポッドに乗り込み、背部の時間炉を始動させる。視界の端で、炉心の青白い光が脈動し始めるのを確認する。
外界では分単位の時の流れも、停止域の内部では一瞬にして吸い尽くされる――だから、供給管は常時最大出力にしておく必要がある。
郊外を抜け、やがて大地に歪みが見え始める。風が消え、土埃が空中で固まっている。
境界だ。
クロノポッドの計器が、周囲の時間エネルギー密度の急激な低下を告げる。
境界面はガラスのように透き通って見え、その向こうでは村の時計塔が永遠に12時を指したまま静止していた。
「入るよ……」
リイナはスロットルを倒し、クロノポッドは境界を滑るように通過した。
次の瞬間、音が消えた。心臓の鼓動すら、遠くで反響するように感じられる。
停止域内部では、すべての熱と運動が奪われ、外部から持ち込んだ時間エネルギーだけが、狭い船内を辛うじて“動かして”いた。
だが――何かが、動いていた。
局所解凍現象。
本来は静止しているはずの村の中央広場に、小さな人影が揺らいだ。
リイナは思わず目を凝らす。
その影は、彼女の存在に気付いたかのように、ゆっくりと顔を上げた。
それは、停止した世界では決してあり得ない、時間を持つ者の動きだった。