強者とは圧倒的に
権力の象徴にして貴族の証である純白の外套を風に靡かせ、コロッセオへと足を踏み入れるガリウス。
特殊な製法で編まれた背中に掲げる鏡と梟と家紋が、彼の立ち昇る魔力に呼応し淡い光を放つ光景は正しく力の象徴であり、相対する存在が人類に仇なす魔物な為、一種の英雄性すら感じさせる。
しかし、それら全ての輝きと栄光を否定する様に、醜悪な見た目な触手が黒い粘液を滴らせながら彼を取り囲む様に現れる。
見る者に激しい嫌悪を感じさせる触手はウネウネと動きながら、外部を認識する器官など持っていないにも関わらず主であるガリウスが敵と定めた魔物の方へと先端を向けた。
「親父殿は一瞬だったからな。お前は何処までやれるのか楽しませてみろ」
両手を軽く広げ、薄ら笑みを浮かべて魔物を見下すその姿は蠢く触手も相まって、完全に上位者である。
『キィィィ……』
異様な魔力を感じ取った魔物はシュバリエから離れ、ガリウスとの距離を最大限に空ける。
母譲りの黒い体毛が逆立ち、血走った目は本能を抑え込み彼の出方を伺う事に注視される程に魔物は目の前の存在を警戒していた。
「なんだ?来ないのか?」
そんな魔物を見てガリウスは顎に手を当てて僅かに考える素振りを見せる。
『キィ!?』
「おぉ。避けた避けた」
重ねて言うが魔物は彼を注視していたそれにも関わらず、自身に当たるギリギリの瞬間まで振るわれた触手を捉える事が出来ていなかった。
偏に今、魔物が飛び上がる事で触手を避けられたのはガリウスが遊んでいるからだ。
「えー?一撃で潰しちゃいなよ!!そんな子猿」
「バカ言え。せっかくの機会だ。力を試さなくてどうする?」
「下半身に脳がある癖に変なところ矮小だねぇ」
「おい。語弊が生まれる言い方はやめろ」
「えー?なんの事だからわかんなーい」
ニコニコとした笑顔でガリウスを揶揄いながら、戦いを見学しているアスモと緩いやり取りをしている間も一本の触手が絶え間なく魔物を襲っており、暴れ回る触手の音が酷くシュールな光景を生み出していた。
「全くこれだからメスガキは」
『キィィィ!!』
触手の動きに目が慣れたのであろう。
地面へと叩きつける攻撃を避けた魔物は、事前に吸い込んでいた空気を使い指向性を持たせた音撃をガリウスに向けて放つ。
「それはもう見たぞ」
だが、不可視かつ音速で迫る一撃をガリウスは触手で防ぐと退屈と言わんばかりに攻撃に回す触手の数を二本へと増やし、魔物を挟み込む様に襲わせる。
地面を砕き、迫る触手を飛び上がって避ければ叩き落とすようにもう一本の触手が迫る光景に魔物は自身の生存本能を全力で働かせる事で、自分の出す音撃で自身を吹き飛ばすという荒技で避ける。
『キィィィ!!』
地面に両手足をつけ、勢いを殺す魔物だがすぐ目の前に迫る触手に目を見開き吹き飛ばされる。
「そら、伸びている暇はないぞ」
もう殆ど機能していない魔力障壁を壊しながら、観客席へと叩きつけられた魔物は聞こえてきた言葉に目を開けると自身を突き刺そうと迫る三本の触手に気が付き、慌てて駆け出す。
次々と観客席に穴を空けていくガリウスの触手から逃げ回る魔物は、小柄な身体を活かした三次元挙動で上手く直撃を避ける。
『キィィィ……』
頑丈な体毛により掠る程度では、出血こそしないものの確かな衝撃を与える為、掠るたびに外傷では測る事のできないダメージが蓄積していく。
この事実に魔物も気が付いているようで、小さく声を漏らす。
「些か飽きてきたぞ。走り回るだけならネズミでも出来る」
触手の数が増え、五本となりその一本一本が直撃すれば不味いと本能が警鐘を鳴らす速度で迫るのを見て魔物の速度が更に加速する。
シュバリエ相手にも見せていた魔力による強化によるものだが、今度は自身の肉体が許容出来ないレベルで魔力を注ぎ込んだのか触手を避けてはいるものの、破壊音に混ざるように小さく肉が裂ける音が混じり始める。
「ほぅ」
『キィィィィィアアア!!!』
だが、完全に触手による攻撃を振り切る事に成功し、大きくガリウスの視線の先へと飛び出した魔物は拾い上げていた瓦礫を魔力で強化した腕で散弾の様に放り投げる。
指向性を持たせた音撃による点の攻撃で貫けないのなら、散弾による面攻撃へと手段を切り替えた辺り、やはりこの魔物の知性が高い事が窺える。
「ククッ、シュバリエ」
「……」
名を呼び、応える形でシュバリエが大斧をバットの様にフルスイングして瓦礫を叩き落としながら現れる。
口元から血を流しているが、それを親指で拭うシュバリエの目には確かな意志が宿っており、彼が戦っている間に回復したのは一目瞭然であった。
「まぁお前が防がなくとも手はあったが、礼は言っておくか。感謝するぞシュバリエ」
「……」
眉間に皺を寄せたその顔は一々、言葉が多いガリウスに向けた抗議か。
しかし当然の様にそれを受け流す彼はシュバリエの肩に手を置くと一歩、前に出て魔物へと冷めた視線を向ける。
「もう少し期待したのだがな」
『キィィ!?』
その言葉と共に全く魔物が捉える事が出来なかった触手が両足を貫くと、驚きの声と共に両膝から崩れ落ち咄嗟に地面に向けて伸ばした腕も両方、触手によって拘束される。
まるで処刑を待つ罪人の様な体勢で固定された魔物はどうにか抜け出そうと足掻くが、がっしりと巻き付いた触手は主の命令を遂行し続ける。
「ではこれで……ん?」
トドメを刺そうとした瞬間、右腕を掴まれるガリウス。
視線を向ければシュバリエの黄金の瞳がジッと彼を見つめていた。
「……お前の手で殺すと?」
「……」
こくりとシュバリエは頷く。
「出来るのか?あいつの体毛はお前の攻撃を防ぐ頑丈さだぞ」
「……」
再び、こくりとシュバリエはなんの迷いも見せずに頷く。
それは戦士としての意地か。
自らが先に戦い、傷を負わせた者を殺したいという小さな見た目とは裏腹に大きく、強いプライドにガリウスは笑った。
「では仕留めて魅せろ。このガリウス・デ・ミヒャエルにシュバリエという戦士の強さを!!」
「……」
こくりと迷いなくシュバリエは頷いた。
不思議な人だ。
格好からして『きぞく』と呼ばれている人なのに、その雰囲気はとても怖い。
戦ってる姿を見て、ああやっぱり普通じゃないんだなって分かったけど、なんでか私を見る目はそこまで怖くない。
だからちょっと、うんかなり失礼な態度を取ったけど一度も怒らないし鞭を打ってくる事もなかった。
怖いのに怖くない人……それがこの人に向ける印象かな。
あぁ、でも私を守ってくれた事はちゃんとお礼をしなきゃいけないよね……何をすれば良いのか分かんないけど。
『キィィィ……』
今更、助けを乞うみたいに弱々しく鳴いても意味はないよ?
確かにジッと見た感じ、この子の体毛も凄く硬そうだけど動き回ってないなら斬れる自信がある。
「……」
というより、人の事をぶん殴って見下した笑みを浮かべていたコイツを許すつもりはないから斬りたいってのが本音。
えっと、足を大きく開いて大斧を思いっきり振り上げる。
あとは沢山の空気を吸い込んで、胸の奥から感じるドクドクって鼓動が全身を駆け巡るのを待つ。
『キィィアグアッグッ!?』
「咆哮を許すわけないだろう」
うん。
そうやって魔物の口を閉じてくれるの助かる。
「……」
全身の筋肉が脈動するのを感じた瞬間、大斧を首筋に向けて振り下ろす──斬れたかなんて、思う必要はない。
「ククッ」
あの人が笑っているし、ちゃんと大斧が地面にめり込んでいるから。
ゆっくりと大斧を持ち上げて、転がっている頭部を拾い上げ戦果を示す為に掲げる。
「……」
「首を差し出されて喜ぶ癖はないんだがな」
そうなの?
じゃあ、これいらないや。
その辺にポイっと投げ捨てて、大斧を構え直す。
「……」
「──そうくると思ったぞ」
ちぇ、残念だ。
この瞬間なら油断して私に首をくれると思ったのに。