母親
「へぇ。彼女凄いねぇ。ガリウスの『魅惑の蛇瞳』を耐えちゃったよ。受付の子はあっさりだったのに」
「そうでなくてはつまらん」
右眼に集中させていた魔力を霧散させながら座席に深く腰掛ける。
アスモから授けられた魅惑の蛇瞳の効果は、対象を無条件に惚れさせ操り人形にするというもので条件は異性である事。
「ミヒャエル家だからと時間稼ぎをしようとしていたつまらん受付嬢と同じでは出向いた意味がない」
「折角都合よく抱けるのに良かったのぉ?あっさり解除しちゃって。アスモちゃんだったら一回ぐらいは使って、味気なかったらその辺にポイっとするところだけど」
アスモの言う通り、単に色欲を満たすだけならそれで良いが生憎と俺は女なら全てが良いというわけではない。
「忘れるなアスモ。俺は好みの女しか抱く気はない」
「ふぅん。それじゃあアスモちゃんは好みなんだぁ。あはっ!こ〜んな薄い身体に発情するとかへんた〜い♡」
煽るようにチロチロと舌を伸ばし、意味ありげな視線を向けてくるアスモ。
外でしかも、こんなに大勢の人間がいるところで欲を煽ってくるのは別に構わないが、もう少し言葉を選んで欲しいところだ。
「身体だけで抱くほど三流ではない」
「あはは!!流石は変態のガリウスだねぇ!」
興奮するのは良いが、人間の姿を保ってくれよ。
此処で悪魔の姿に戻られたら、流石に俺個人の権力で揉み消すのは無理だ。
「お。どうやらそろそろ始まるようだな」
『銀の暴君』、名は確かシュバリエだったか。
俺とアスモが話している間も、大斧を地面から引き抜き振り回すパフォーマンスを披露し続け歓喜の盛り上がりが頂点に達したこのタイミングで対戦相手が連れて来られる。
「来い!!」
彼女の反対側、つまり俺の真下から声が聞こえ鎖を引っ張る音共に屈強な身体付きの男達が数人現れる。
人間ではない動物を連れてくる時は、ああやって死んでも良い男達を使って引っ張ってくると聞いていたがあの人数となると随分と大物か?
「……ん?んー?んんっ?」
「どうした?」
何かが気になるのか小さく唸り始め、その度に頭を左右に揺らすアスモが気になって声をかけてみれば、暫く同じように唸った後にこっちを見た。
「微弱だけど魔力を感じる。あれ、魔物かもよ?」
「ほぅ」
アスモの指摘とほぼ同時に男達が派手に宙を舞い、地面へと叩きつけられる。
『グルァァァァァァア!!!』
空間を揺らす程の咆哮が響き渡り、本来であれば無色透明である筈の魔法障壁が薄らと浮かび上がる中、ソイツは手っ取り早く襲えるシュバリエへと一直線に突進しながら現れた。
全身を覆い隠す黒い体毛に異常に発達した上半身の筋肉が、丸太と錯覚する太さの腕を持ち上げ彼女へと振り下ろす。
「……」
だが、綺麗に揃って振り下ろされた腕は地面に蜘蛛の巣状のヒビを残すだけで彼女を挽肉にはしなかった。
「驚いたのは現れたほんの一瞬。その次には身体を動かしていた……大した精神力だな」
少なくともあそこで自分が巻き上げた土煙のせいで、シュバリエを見失っているあの魔物より彼女の方が数段も落ち着いた精神をしていると考えて良いだろう。
というかなんだあの魔物は……恐らく元となった生物は猿かゴリラだと思うが。
魔物と分類される生物は動物が何らかの要因によって、魔力に適合し異常な進化を遂げた扱いになっているため、語り継がれる黒龍とやらも元は単なる蜥蜴だと思えばこの異常性が分かるだろう。
「うーん……」
「まだ何か引っ掛かっている様だな」
「確かに魔力を感じるんだけどなんか変というか……うーん?」
視線はシュバリエの方へ向けたままだが、アスモが悩んでいる気配がするから問い掛けてみたが彼女自身も答えが出ていないらしい。
悩む彼女は絵になると思うが、今はシュバリエの品定めが優先か。
「……」
『グルァァ!?』
ほぅ、あの黒い剛毛、二、三メートルは飛び上がっていたシュバリエの一撃を受けても皮膚を護りきる頑丈さを誇るのか。
てっきりあのまま首が切断されるかと思ったが、地面に伏せるだけで済むか。
「……あの体格差を捩じ伏せた方を褒めるべきか悩むな」
飛び退く瞬間も斧を引く事で切断を狙った様だが、派手な火花を散らすだけに終わったか。
『グルゥゥウ』
地面に叩きつけられて少しは冷静になったのかシュバリエの動きを注視し始めたか?
筋力があっても知性がなければ活かせずままに、殺されると思ったが存外に知性を有している様だなこの魔物。
「……」
シュバリエもそれを感じ取った様で一段と表情が引き締まるか。
「クハハッ!!良いぞ。もっとその戦士としての顔を見せろ」
「ガ、ガリウス様!?」
あ?何だ、折角最高の気分になっているというのに割り込んでくる愚か者は……見るに耐えん禿頭とデブ腹だな。
「……誰だ。貴様」
「ゲスリオ・カネナリです!!此処の支配人を務めさせていただいている」
あぁ、そんな名前だったな。
名前からして碌な奴じゃないだろうと勝手に思っていたが、どうやら正しかった様だ。
「何を急いでいるかは知らないが息を整えるなら離れろ。これ以上臭い息を嗅がせるな」
「し、しかしですねガリウス様。少々予定が狂い魔物が暴れているのです!!魔力障壁があるとは言え、此処で御身を危険に晒し続ける訳には!!」
……あぁ、道理で周囲が静かだと思ったが、他人の生き死にを娯楽として観にきているが自分が死ぬのは嫌だからとっとと逃げていた訳か。
コロッセオに魔力障壁があるとは言え、普通の動物よりも力があり何をしてくるのか分からない魔物相手に何処まで保つのか保証がないのは理解するが、生憎と俺は今、目の前の戦いを楽しんでいるんだ。
「知るか。見ろ、シュバリエの奴が戦っているぞ。俺は彼女の戦い振りが観たくて足を運んだんだ」
「で、ですが」
「理解出来ぬのなら黙れ肉。これ以上、囀るなら貴様の命はないぞ」
「ひ、ひぃぃぃ!!」
肉が悲鳴をあげているのが不愉快だが、視線の先では耐えきれずと言った様子で殴りかかった魔物の一撃をまたしても綺麗に避け、すれ違い様に胸部へと二回、斬撃を放ち出血を与えている光景で不問とする。
体毛が薄い部分を狙ったか……あの剛腕を前に真正面で一歩も譲らないのは強いな。
「……」
銀髪が風圧で舞い上がる程の剛腕が再度、繰り出されるがシュバリエは冷静にしゃがんで避け、追撃として放たれる叩きつけも低姿勢のまま走る見事な体幹を披露しながら避けた。
魔物の剛力に対し、敏捷さで立ち回っている様だが決して受け身だけというわけではなく、今も脇腹に二回、膝裏に一回ずつ攻撃を当てているな。
「……」
「この状況下で俺を見るか」
逃げていないのがそんなに意外か?
もっとだ、もっと見せてみろお前の力を!!
「……」
俺の熱意が伝わったのか、此処まで一度も見せていなかった自ら攻めに転じる姿勢を見せるシュバリエ。
大斧を低く構え、魔物へと真正面から突っ込んで行ったかと思えば迎撃に動くのに合わせ、剛腕を足場に跳躍し空中で太陽の光を受けながら身を翻し、魔物の右腕──間接部へと全体重を乗せた一撃を振り下ろした。
『グルァァ!?!?』
「……」
「なるほど。関節を守る体毛が薄いのを狙ったか」
見事に右腕を切断し、吹き出す血の雨を浴びながら佇むシュバリエの銀と赤の彩りが実に美しい。
叶うならこの瞬間を飾りたいものだが、相手は魔物だ。
通常の生物と違って腕を失ったとしても生き続けるだけの生命力はあるだろうし、何より手負の獣というのが最も恐ろしいのは相場が決まっている。
『グルゥゥアア!!』
切断された瞬間は怯んだが、すぐに残された腕でシュバリエを殺そうと殴りかかる魔物。
しかし、流石と言うべきか全く油断していなかった彼女は軽くお辞儀をする様に避けるとそのまま露わになった肉から魔物を断ち切る為に、右腕の切断部位に大斧を突き立てる。
「……」
『ガァァァァ!?!?』
噴き出す大量の血飛沫を浴びながら、彼女のは魔物を右腕から斬り裂きその頭部を真っ二つにした。
流石に命令を下す脳が破壊されては一溜まりもない魔物は腹部を押さえながら崩れ落ちるとピクリとも動かなくなった。
「……」
死体に背を向け、俺の方を見るシュバリエ。
金色の瞳が俺に何かを訴えかけようとしているのか汲み取ろうとしたが、それより早く隣にから声が聞こえてきた。
「あぁ。なるほどね。お母さんだったんだあいつ」
「……!!」
アスモの声が聞こえた刹那、何かが爆ぜる音がしたかと思えばシュバリエが大斧を盾にする様に吹き飛び、俺の目の前の魔力障壁にヒビが入った。
『キィィィ』
なるほど……親が魔物ではなく、子が魔物だったから親が影響を受けたと言う訳か。
アスモが言っていた内容とも辻褄が合う。
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