興味の眼差し
ミヒャエル家の所領は大ドラグノヴァ帝国の東部地方を幅広く持っており、約1/6を統治している。
ガリウスが軽く調べただけでも領地経営は下手なのだが、当然これには悪魔の力を用い、代々の皇帝達が武力で支配してきた地域に確かな繁栄を約束させてきた功績によるものが大きい。
「(この馬車から覗く平和な光景が続くも続かないも全ては俺次第か)」
故に彼が色欲を願った時点で、馬車の外で野菜を育てていたり狩りをしたり、帝国の通貨を使って買い物を行う──そんな当たり前の日々が続く保証はもう何処にもない。
「な〜に憂いを帯びた顔をしてるのガリウス?あっ!もしかして外の当たり前に心を砕いてたりする?」
「……多少はな」
「あははっ!!どうせ無駄になる感傷に浸って楽しい?」
ガリウスの身内が御者をしているとは言え、悪魔らしい本質を隠そうともしないアスモが彼の膝を枕にしながら笑う。
確かに彼が外の民達を本当に領主として憂うのであれば、我欲である色欲を願わずに繁栄を望めば良かったのだから、どれだけ悔いても戻ることのない過去からくる結果に心を痛めても意味はないだろう。
「そんな真っ当な神経を持ってると思うか?俺はただ自分の快楽の為にこうして見てしまった以上、多少気になるというだけだ」
「ふーん?つまらない事を気にするねぇ人間って」
「あぁ。それが人間の愚かさだからな」
自信満々を通り越し、傲岸不遜に感じられるガリウスの言葉に珍しいなとアスモが問い掛けようと思った瞬間、馬車の揺れが止まり外の声が賑やかに聞こえ始めた。
「着きました。ご当主様」
「まだ代行だ。皇帝陛下に赦しを得るまでは発言に気をつけろ」
「はっ」
アスモを乗せていた痺れなど全く感じていないようでガリウスは立ち上がり、素早く馬車を降りたのを見てアスモは疑問をぶつけるのは後回しだな〜っと思いながら背中を追いかける。
自分に対する配慮など微塵もないだろうと思っていた彼女の予想を裏切るように、少し小走りをするだけでガリウスに追いつく事が出来た。
「帝国領内に数あるコロッセオでもこの都市にあるものが最も栄えている。まぁ、都市の名前に『フラウィウス』と冠して置きながら負けていては示しがつかないが」
「ふぅん?そのせいかぁ。どの人間も凶暴そうな顔してるのは」
「だろうな。観光で立ち寄る程度なら兎も角、好き好んでこの街に住み込みコロッセオに通う連中はまともではないだろう」
あまりな物言いではあるが、確かに旅には向かない軽装な者達は皆何処か、目が血走っていたり山賊崩れのような格好をしているのだからガリウスの言葉は何も間違っていないであろう事が窺えてしまう。
そんな街で屋敷に居る時よりはマシとは言え、健康的な太腿を曝け出し、ヒラヒラと動く外套の下からは臍が時折見える格好のアスモが未だに男の一人にも話しかけられて居ないのには理由があった。
「それでも権威には屈するんだねぇ。あはっ!中途半端でださ〜い」
公明正大さを示す鏡に映る梟が大きく空に向かって羽ばたく絵が刺繍された外套、これはミヒャエル家を表す家紋である為、領主の女に手を出し処罰されては堪らないと皆、道を開けているのだ。
暴力が当たり前にあり、その恐ろしさを知るが故に絶対の権力には逆らわない……ある種、帝国の縮図と呼べる光景だろう。
「言ってやるな。誰だって見せ物にはなりたくない」
「自分達は楽しんでるのにねぇ」
「自分達はああならないと思っているからこそ、楽しめるのがコロッセオというものだ」
民達の視線を無視し、彼らはコロッセオへと辿り着く。
ガリウスは己が目でしっかりと、『銀の暴君』が己の側で侍る女足り得るか見定める為に。
アスモはそんな彼が何を起こすつもりなのか楽しみに──血と狂気、欲望に満ちた場へと。
「なぬっ!?ミヒャエル家の御子息が来ているだと!?」
「は、はい。見慣れぬ小さい子供連れて『銀の暴君』の向かい側、最前列の席を確保しています」
「なっ!?」
コロッセオの管理人『ゲスリオ・カネナリ』は禿げ上がった頭に大量の冷や汗をかきながら、部下の報告に白目を剥く。
ただでさえ、コロッセオにミヒャエル家の人間が訪れるのは初めてにも関わらず最前列の席という万が一が起きた時、一番危険な席を確保していると言うのだから。
「魔法による防護壁があるとは言え、御子息に何かあればワシの命はないぞ!?ええい、受付は何をやっておった!!」
「それが……本人に尋ねたところ、目を合わした時から記憶がないと」
「はぁ!?何をふざけた事を……くっ!!」
「カネナリ様何処へ!?」
部下の声を無視し、部屋を飛び出したゲスリオは肥え太った腹の肉を揺らしながら、奴隷が居る場所へと走る。
珍しい光景に驚く職員達を他所に奴隷が管理されている独房へと辿り着くと、ゲスリオは乱れた呼吸を全く整えずに『銀の暴君』の独房の前に立つ。
「おい!!貴様!!」
「……」
黄金の瞳がゲスリオへと向けられるが言葉はない。
なぜなら喉が潰されているからだ。
「これから出る試合、お前の向かい側に座ってる者に怪我の一つでも負わせてみろ!!普段以上の苦痛を与えるからな!!」
「……」
保身に全力なゲスリオの言葉に彼女はこくんっと頷くと、そんな様子を見て安心した彼は漸く呼吸を整える。
自分が運営するコロッセオの一番の稼ぎ頭に対する対応ではないのだが、彼女は奴隷であり主君はゲスリオなのだからぞんざいな扱いは当然であった。
「ふぅ……良いなっ!!絶対に傷を負わせるなよ!!」
最後に念の為にと命令を残しゲスリオは去っていく。
一人残された独房で両手足を鎖で縛られている彼女は再び、下を向き時間が過ぎるのを待つ。
「……」
時間となり、鎖が自動で外れると彼女は壁に固定されているいつもの大斧を手に取り空間が許す範囲で、振り回し自分の体の調子を確認すると目の前の壁が上へと開いていき、眩しい光が差し込む。
「……」
「来たぞ!!」
「良いぞぉ!!やれぇぇ!!」
変わり映えのしない歓声が耳に届く中、彼女は傷付けるなと命じられた相手を探す為に正面を向き見つけた。
自分とは違い、健康的な食事を口にしているのであろう瑞々しい肌に手入れが行き届いた艶のある黒髪を、かき上げた悪人面の男の子を。
「……」
思っていたよりも幼い外見に思わず首を傾げる彼女を見て、何かが面白かったのか口元にニヤリと笑みを浮かべるガリウスの赤い蛇のようなものが浮かび上がる右眼と視線が合う。
「……!!」
もし、彼女の声帯が機能していれば驚く声をあげていたであろう表情を浮かべ、無性に高鳴る心臓に手を当てる。
彼の元へと駆け寄りたい──そんな衝動が巻き上がる中、彼女は自分の大斧を地面に勢いよく突き刺すと巻き上がった土煙が僅かに二人の視線を遮り、彼女の中から不思議な衝動が嘘のように消えていった。
「……良いな」
そんな彼女を見てガリウスはニヤリと微笑みを深めるのであった。