02-4.政略結婚の相手は獣人皇帝でした
ロジャー王国では呪われた色だと揶揄されてきた。しかし、ローザがバラのような色だと褒めてくれる為、ヴァージニアは自分の目の色が好きだった。
「この国は私たちを受け入れてくれるわ。ローザ。セシリア王女様に感謝をしないといけないわね」
「王女殿下に感謝をしなくてもいいのです。あの方はご自分が嫁ぎたくなかっただけでしょう」
「でも、譲ってくださったから、私たちは幸せになれるのよ?」
ヴァージニアは純粋な好意としてとらえていた。
そうでなければ、好待遇を受けられると知っていながらも婚約の話を横流しするとは思えなかった。
実際は違う。セシリアは動物嫌いだった。昔、野犬に追い掛け回されたことがあった。それ以降、黒色の獣はすべて苦手である。目の前にいれば硬直し、気を失ってしまうほどの恐怖感に襲われることになる。
だからこそ、全力で拒絶していたのだ。
そんな相手を押し付けたことに対する罪悪感はセシリアも持ち合わせていた為、古着となり、着ないまま放置されていた昔のドレスを何着もヴァージニアに渡したのである。
それを知らないヴァージニアはセシリアに感謝していた。
「私は幸せよ」
ヴァージニアは笑う。
獣人帝国に来たばかりだが、その表情はロジャー王国では見たことがないほどに穏やかな笑顔だった。無理に繕った笑顔ではなく、心の底から嬉しくて笑顔になってしまうのだろう。
「それはなによりだ」
メイナードの声がした。
慌ててローザはヴァージニアから離れて頭を深く下げる。その姿は恐怖で震えていた。
「陛下。どうして、ここにいらっしゃったのですか?」
「婚約者が倒れたと聞いたからな」
「お恥ずかしい限りです」
ヴァージニアは申し訳なさそうに言った。
それに対し、メイナードはずかずかと寝室の中に入り、ヴァージニアを見下ろすように近くまで来た。両腕を後ろに回したまま、不自然な歩き方だった。
「心配するのは当然だ」
メイナードはぎこちなく、腕を前に出す。
その手にはバラの花束が握られていた。
あまりに強く握っていたのか、今にも折れてしまいそうな花束をヴァージニアは優しく受け止める。
「バラ、好きなのをご存知でしたの?」
ヴァージニアは嬉しそうに笑った。
その笑顔を見たメイナードの頬を赤く染まっていく。
「違う」
メイナードは目を逸らさずに否定した。
「ヴァージニアと俺の目の色だろう」
メイナードの返事は素っ気ないものだった。
それに対し、ヴァージニアは嬉しそうに目を細めて笑った。
「ええ、そうですわね。陛下」
ヴァージニアは嬉しかった。
目の色を覚えられるほどにメイナードの関心を得ていることに胸が熱くなる。鼓動が早くなり、気の利いた言葉が出てこなくなる。
「その、なんだ。俺も好きな花だ」
「まあ! 嬉しいです。素敵ですものね」
「そうだな。素敵だ。よく似合う」
メイナードはぎこちなく会話を続けていく。
ヴァージニアの頭を撫でようと手を伸ばした時だった。ヴァージニアの表情が一変し、露骨なまでに怯えた表情になった。与えられた花束だけは渡さないと言わんばかりに強く抱きしめ、震えている。
「す、すまない。綺麗な髪を触ろうとしただけなんだ」
メイナードはロイの忠告を思い出していた。
ヴァージニアは祖国で虐待を受けていた。家族や国民から見下され、忌み嫌われてきた。その中には言葉だけではなく、暴力による嫌がらせも含まれており、蹴られることが当然であると躾をされてしまっている。
それはヴァージニアの心の奥底に根付いている恐怖心だ。
殴られると思ったのだろう。
必要とされている勘違いしているのだと諫められると反射的に思ってしまったのだろう。その痛々しい姿にメイナードの心は酷く痛んだ。
「ヴァージニア」
メイナードはゆっくりと声をかけながら、髪に触れる。
頭を撫ぜた。優しく、丁寧に触れていく。
そうすれば、少しずつヴァージニアの震えが止まっていった。
「すまない。驚かせるつもりはなかった」
メイナードはすぐに謝罪の言葉を口にした。
「い、いえ、陛下、私は、その……」
「君の境遇は知っている。だが、俺の嫁になった限りは誰にも危害を加えさせない」
メイナードの言葉を聞き、ヴァージニアは涙を流した。
嬉しかったのだ。そう言ってくれる人は誰もいなかったからこそ、涙が流れてしまった。
「ヴァージニア。泣きたければ、好きなだけ泣けばいい」
メイナードはヴァージニアを慰める。
その言葉を聞いていたローザは胸をなでおろした。少なくとも、メイナードはヴァージニアに対して好意的であることを理解したのだろう。
深々と頭を下げ続けるローザに対し、メイナードは声をかけない。
臣下というものはそういうものだと理解をしているからだろう。
「なにかされた時には、遠慮なく、俺に言え」
メイナードはヴァージニアに優しく声をかける。
「ヴァージニアは俺の嫁だ。誰にも傷を付けさせない」
メイナードは断言した。
人狼族は番を一生大事に守る習性がある。
その習性の為、滅多なことでは心が動かされないようになっているのだが、メイナードはヴァージニアに一目惚れをした。
運命を感じていた。
人狼族であり、獣人帝国の皇帝であることをこれほどに感謝したことはないだろう。
「俺は政務に戻るが」
メイナードはヴァージニアの髪からゆっくりと手を離す。
「いつでも執務室に来るとよい。用事がなくてもかまわない」
メイナードは忙しい。
皇帝としての仕事の合間に、帝国軍部の総裁として軍の訓練にも付き合っている。
行政に関わることもなにかと口を出さなければいけない立場だ。
「……迷惑ではないのですか」
ヴァージニアは恐る恐る問いかけた。
用事があっても我慢してしまうだろう。それほどにヴァージニアは他人と接する機会が少なく、虐げられてきた記憶が強く残っている。
「迷惑ではない。それよりも、俺は休憩をとるのが苦手でな。ヴァージニアがお茶を飲みに来てくれると休憩がとれて助かるんだ」
メイナードの言葉に対し、ヴァージニアは頷いた。
……休憩の口実になれるかしら。
ヴァージニアは仕事を与えられた気分だった。
頼みごとをされるのは良いことだ。それがないとヴァージニアには生きる権利さえも与えられてこなかったからこそ、メイナードの頼みごとに対し、力強く頷いたのだ。
「毎日、行きます。迷惑はかけません」
ヴァージニアは宣言をした。
「楽しみにしている。だが、その前に食事だな。ヴァージニアは腹はすかないか?」
「おなかはすいてませ――」
ヴァージニアが答える前に、ヴァージニアのお腹の音が鳴った。
……恥ずかしい。
羞恥心で顔を赤く染める。
……そういえば、スープだけでした。
最近、仕事を頼まれることが減った。ヴァージニアに渡す食料はないと拒否されることも増えていた。その為、ヴァージニアは食事量をこっそりと減らしていた。
ローザは仕事を与えられていた。
王宮の掃除の仕事であったが、合間に食事を強引にとらされていた。王国の人間はヴァージニアのことを嫌ってはいたが、ローザが憎いわけではなかった。それどころか、ローザに対しては同情的であった。
「食堂に行くか。それとも、運ばせるか?」
「食堂に行ってみたいです」
「無理はしていないか? 倒れたばかりだろう?」
「大丈夫です」
「そうか、それなら、食堂に行くか」
メイナードはベッドから降りようとしたヴァージニアを抱きあげた。
「え?」
ヴァージニアはきょとんとした顔でメイナードを見つめた。
先ほどよりも顔の距離が近い。
頬を赤らめるメイナードにつられるようにヴァージニアも頬を赤くする。そして、抱きあげられたまま、食堂に向かうのだった。