02-2.政略結婚の相手は獣人皇帝でした
ヴァージニアだけがそのことに気づいていなかった。
思いっきり床に頭をぶつけていた姿勢が長かったからだろう。
「ヴァージニア様でよかったと思います。あ、もしかして、ヴァージニア様は来たくなかったでしょうか? 人間は獣人を下に見る傾向のある弱い生き物だと聞いていますし」
「いいえ。私は獣人国に来られて幸せです」
「それはなにより! でしたら、俯くのはやめてください。ほら、リロの尻尾でも見ていると気分が良くなりませんか?」
リロは励ますように尻尾を左右に揺らして見せた。
しましま模様のかわいらしい尻尾だ。思わず触りたくなってしまうほどだった。
「私にも尻尾があればよかったのに……」
ヴァージニアは思わず声に出してしまった。
……そしたら、少しはかわいかったのではないかしら。
ヴァージニアは自分の見た目に自信がなかった。
ヴァージニアの白髪赤目と透き通るような白い肌は美しい。しかし、母国では忌み嫌われてきた。化け物のようだと言われ、石を投げつけられたこともある。その経験がヴァージニアから自己愛と自信を奪っていった。
「羨ましいですか?」
リロは意外そうに問いかけた。
「羨ましいわ」
ヴァージニアは素直に答えた。
ここでは白髪赤目であっても、誰にも蹴られなかった。石を投げられることもない。通りすがりの侍女や文官に見られることはあったものの、その眼は宝石を見つけたように輝いていた。
誰もヴァージニアを非難しなかった。
それが恐ろしかった。手のひらを返したように、元の生活に戻れと言われたら、ヴァージニアは耐えられる自信がなかった。
「リロはヴァージニア様が羨ましいです」
リロは目を細めて笑った。
「だって、そんなに綺麗な髪と陛下とお揃いの赤目をお持ちではないですか! 獣人帝国の国民ならば、誰もがヴァージニア様に憧れますよ!」
「リロさんは優しいのね」
「さん付けはいりません。リロとお呼びください。そして、リロが優しいのではなく、リロが優しく接してしまいたくなるヴァージニア様がすごいのですよ」
リロはご機嫌だった。
案内をしている間、ずっと喉の音が鳴っている。
「ここがヴァージニア様のお部屋になります。気に入らないところがあれば、直しますので、遠慮なく言ってくださいね」
リロは豪華な扉を開けた。
そこに広がっていたのは夢のような光景だった。
客人を招けるように用意されたソファーと机、書き物ができるように用意されたヴァージニア専用の椅子と机、足元を痛めないように気を遣われているふわふわの絨毯、そして、寝室や衣裳部屋に繋がる扉があった。
ヴァージニアは目を見開いた。
……客間かしら。
それにしても広すぎた。
……ローザと二人で使うのには広すぎるわ。
ヴァージニアはこの場にいないローザを思う。いつも一緒に眠っていた為、ローザと部屋が別で用意されていることに気づかなかった。
「左の扉が寝室です。右の扉が衣裳部屋になっています。ヴァージニア様の小柄な体格を意識していなかったものですから、ドレスはすべて作り直させますね」
「いいえ、いいえ。もったいないです。私にはセシリア王女様からいただいた衣装だけで、十分すぎるほどに洋服を持っています」
ヴァージニアは慌てて否定した。
動くたびに脱げそうになるドレスの襟元を自分で掴んで、強引に位置を直す。大きさがあっていないのはセシリアが大きいのではなく、ヴァージニアが細すぎるのだ。
「あれは生地にしましょう。あんなぶかぶかな不格好、ヴァージニア様には似合いません」
リロは断言した。
迷いはなかった。
「ドレスに宝石をつけるのもおすすめはしません。人間の流行でしょうが、ここは獣人帝国。鳥獣人たちに襲い掛かられるのも時間の問題ですよ。なんせ、彼らは光物を集めるのが習性ですからね」
リロはヴァージニアを部屋の中に連れ込んで説明をした。
素直に後ろを付いてくるヴァージニアのことがかわいくてしかたがないんだろう。リロは衣裳部屋に続く扉を叩き、遠慮なく開けた。
「ご覧ください、ヴァージニア様。リロが一着一着選んで用意したドレスたちです!」
リロは衣裳部屋を案内する。
様々な色で取り揃えられたシンプルでかわいらしいドレスたちが並べられていた。数は二十以上はあるだろう。持ち込まれたセシリアのお古のドレスは奥に追いやられているものの、皺にならないように丁寧には扱われていた。
それはヴァージニアの為だけに用意されたものであった。
「……ヴァージニア様?」
リロは反応のないヴァージニアに気づき、慌てて後ろを振り返る。
そこには目を見開いたまま、硬直しているヴァージニアがいた。
「ヴァージニア様! あ、ちょっと、誰か! ヴァージニア様がお倒れになられました!」
リロが声をかけた途端、ヴァージニアの体は後方に倒れ込んだ。
あまりの衝撃な光景に脳の処理が追い付いていなかった。そして、日頃の栄養不足と過度な緊張もあり、気を失ってしまったのだった。
* * *
ヴァージニアが気を失ったという話はメイナードの元にまで届いた。
すぐに医者を派遣したものの、今は眠っているとのことだった。
「……栄養不足だと?」
報告を聞いたメイナードは問いかける。
一国の王女が栄養不足になるほどの食事しか与えられていないのはおかしい。
「本物なのか、彼女は」
「間違いございません。烏部隊に調べさせた報告によりますと、あまりにも美しい容姿から嫌がらせを受けていた様子とのことでした」
メイナードの問いかけに対し、側近は淡々とした口調で答える。
「人間のやることだ。卑劣な真似をしたのだろう」
メイナードは人間が好きではない。
ロジャー王国を含めた隣国との仲は険悪であり、それを少しでも改善する為に、ロジャー王国の王女を嫁にもらう代わりに不戦条約を結ぶという話に乗ったのだ。
それは獣人帝国にとって、あまりにも価値のない話だった。
しかし、ロジャー王国から嫁いできたヴァージニアを見た途端に価値は反転した。ロジャー王国は誠意を見せる為に、王国で一番美しい王女を差し出したのだと思っていたのだ。
それはメイナードの勘違いだった。
ロジャー王国で虐げられてきた王女を処分するための同盟だったのかもしれない。
「たしかに、彼女は美しい」
メイナードは肯定した。
謁見した時に、その美しい容姿に目を引かれた。
「しかし、宝のように扱うべきだろう」
メイナードには理解ができなかった。
……俺が傍にいれば、こんな目には遭わせなかった。
宝物のように丁重に扱い、かわいがってきたことだろう。
自信喪失をするような経験などさせるはずがなかった。しかし、実際には傍にいられたわけではなく、ヴァージニアは人間として生まれて虐げられてきた。