02-1.政略結婚の相手は獣人皇帝でした
翌々日、獣人帝国の城の前に馬車は到着した。
大きさのあっていないドレスを身に付けたヴァージニアと汚れが染み込んでしまっている服を着たローザは、馬車から荷物と共に下ろされて、馬車は早々に立ち去っていく。
「……ロジャー王国の王女様とその侍女殿で間違いございませんか?」
馬車を冷たい目で見送っていた門番に問いかけられる。
……猫かしら。
幼い頃にローザが誕生日にくれた図鑑に載っていた生き物を想像する。
猫のような三角の耳としましまの尻尾を生やした門番は、警戒しているかのような冷たい目をしていた。そのような目で見られてもヴァージニアは好奇心を隠せなかった。
「はい。こちらにいらっしゃるのが、ロジャー王国第五王女のヴァージニア王女殿下にございます」
ローザは姿勢を伸ばして答えた。
それに対し、門番は敬礼をした。それから門を開けるように指示をする。
「案内をいたします。私は門番――、いえ、今後、王女様の護衛をさせていただきます。リロと申します。……王女様、足元にお気をつけてください」
門番、リロは背を向けた。
尻尾が左右に揺れている。
* * *
「貴様が我が妻か」
玉座に座る黒髪の男性は赤い目を細めながら、問いかけた。
男性の名はメイナード・ホロックス。獣人帝国の皇帝である。
「はい。ヴァージニアと申します。よろしくお願いいたします」
ヴァージニアは馬車の中で何度も練習をした言葉を口にした。そして、そのままの勢いでその場に座り込み、頭を床にぶつける勢いで下げた。ごつんっと音が王の間に響いたが、ヴァージニアは痛みの一つも訴えない。
ヴァージニアに付き添っていたローザは使用人の仕事を覚える為、既に他の獣人に連れて行かれており、この場にはメイナードと彼の側近、そして、ヴァージニアだけだった。
その為、ヴァージニアの行動を説明する者はいない。
「それはなんだ」
メイナードは問いかける。
勢いよく頭を床にぶつける文化は獣人帝国にはない。しかし、ヴァージニアは挨拶はそのようにするものだと幼い頃から兄たちに教え込まれていた。
だからこそ、なんだと問われてもすぐに答えられなかった。
……挨拶を間違えていないはずだわ……。
幼い頃からそうやって挨拶をさせられてきたのだ。間違えるはずがない。
……蹴られないのでしょうか。
蹴られるまでその姿勢でいなければならない。
その教えが間違っているとも知らず、ヴァージニアは姿勢を維持する。
異常な光景だった。
メイナードは困ったような顔をする。それに気づいた側近は心底驚いたような顔をしていた。メイナードは獣人皇帝の名にふさわしいほどに冷酷だ。感情を持ち合わせていないと言われることも珍しくはない。
それなのに、今にもドレスが脱げそうなヴァージニアから目を離せないでいた。
大きさのあっていないものを好んでいるのか、嫌がらせで着せられているのか、わからない。宝石をふんだんに使われているのは、せめての気遣いなのだろうか。
「挨拶の方法だと王子殿下に教わりました」
「王子殿下は兄だろう。なぜ、兄と呼ばない」
「兄と呼ぶことは許されているのは、私以外の王女だけです」
ヴァージニアは一向に頭を上げようとしなかった。
そのまま、会話を続ける。
「……偽物をあてがわれたか」
メイナードはため息をついた。
……偽物ではないのですが……。
正式な王女になったのは馬車に乗る寸前だ。省略された儀式を行い、第五王女と死して国が存在を認めたのである。
その為、けっして、偽物ではない。
虐げられていた過去を隠すように父親である国王に何度も念を押されてきた。使い古された化粧道具や髪飾りを山のように押し付けてきたセシリアにも、絶対に戻ってこないようにと念を押されている。
心臓が弾けそうなくらいの動悸がする。
ばれてしまえば、どのような目に遭うのか想像ができない。
……また、ローザに迷惑をかけてしまいますね。
ヴァージニアは覚悟を決めた。
「いいえ」
震える声でヴァージニアは否定する。
偽物の王女は存在しない。存在自体を否定され続けた王女なだけだ。
「私は、第五王女のヴァージニアです。王国に確認をされてもかまいません」
ヴァージニアは答えた。
何度聞かれても同じ答えを口にするだろう。
「……わかった」
メイナードは否定しなかった。
「頭を上げろ。それから、部屋に向かえ。謁見はこれで終わりとする」
メイナードは指示を出す。
その指示に従い、顔をあげたヴァージニアはきょとんとしていた。
「まだなにかあるのか」
メイナードは戸惑っていた。
同じ色の目をしたヴァージニアに見つめられると動悸が激しくなる。
「蹴らないのですか?」
ヴァージニアの質問に対し、メイナードは呆れたようにため息を零した。
「蹴るわけがないだろう。噂を真に受けすぎだ」
メイナードの返事を聞いた側近は人を疑うような顔をしていた。
「さっさと連れて行け」
メイナードは指示を出す。
それにヴァージニアは従い、立ち上がった。
……優しい方なのかしら。
ヴァージニアは馬車の中で聞かされた噂話を思い出す。人間を食料として見ており、姿は魔王を連想させる恐ろしい残虐な皇帝だと聞いていた。
ヴァージニアは王の座を離れ、廊下を歩く。
部屋に案内するのは門番をしていた猫の獣人のリロだ。
「陛下の戸惑う姿は初めて見ました」
リロは好奇心が旺盛なのだろう。
案内をしながら話を始めた。
「戸惑っておいででしたのね。ごめんなさい。私のような人間に来られても迷惑でしたよね」
それに対してヴァージニアは謝罪をする。
……セシリア王女だったら、歓迎されたのかしら。
噂とは違い、優しいように感じた。
……私はお荷物だから。
王家の誇りとしてふさわしい金髪碧眼の異母姉ならば、喜んで歓迎されたのではないだろうかという不安からヴァージニアは俯いた。
「いいえ! いいえ! そんなことはないです!」
リロは尻尾を立てて否定した。
あの場にいた獣人ならば誰もが思っただろう。残虐非道で横暴な皇帝が戸惑う姿などめったに見られるものではない。ましてや、十も離れた花嫁を前にして緊張していたのだ。