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63 トロウエン大司教様、悪夢再び


「わ、わ、私にそ、そそそそんな、た、たたたた大役がつつつーーつつーつつ務まるで、でしょうかぁぁぁぁぁ???」

トロウエン大司教様の、いつもの平常運転に、不安が一杯になる一同。


しかも。途中モールス信号が会話に入ってませんでした?

でも、ここはなんと言っても引き受けて貰わねばならない。


顔を真っ青にする大司教様に、ドーバントン公爵の大貴族のお願いという圧力を掛けた。

「大司教様、今この国を救えるのは、貴方しかいないのです。是非にやり遂げて頂きたい」

大貴族の圧が強すぎたのだろうか、大司教様は、圧縮袋の布団が空気を抜かれていくように、プシュうぅぅぅーとしぼんでいく。


それでも、責任感は強い大司教様。最後には何とか納得して、首を縦に振ってくれた。


当日の計画はこうだ。

まず焼きたてを食べてもらうために、王宮内部でルコントの小麦で捏ねたパンを焼く。そして、そのパンを持ってトロウエン大司教様が壇上で待機。

その後、誓いの宣誓の前までに、参列している国王にパンを食べてもらう・・・というのがこの度の簡単すぎる計画だ。

さらに、駄目押しでルコント・ソーダも飲んでもらうつもりなのだが、果たして上手くいくのだろうか?


鍵を握る大司教様が、計画を話しているだけのこの段階で、既に足が生まれたての小鹿のように震え、顔を洗い立てのシーツよりも白くしているのだ。

不安しかない。


だが、今回正式な王族の結婚だと認められるためには、絶対にマルルーナは大司教を呼ばなければならないのだ。この場に於いて、結婚式に出席できるのは、彼しか・・トロウエン大司教様しかいない。


何度も言うが、例え、手足が震え、あわわわと口の神経を失くしていても、他にいないのだ。


前回の、レティシアの救出作戦で、既に失敗しているが・・・唯一の頼みの綱である。


各自の胸中に同じ不安があるが、結婚式に向けてそれぞれが動き出した。




◇□ ◇□◇


結婚式当日の朝、神はマルルーナを祝福しているのか? と思う程の晴天に恵まれた。


前日から、トロウエン大司教様が王宮入りしていた。

御付きの人は、ルコントで一番美味しいパンを焼けるジョージと、ケント、それにレティシアだ。


レティシアが王宮に潜入するに当り、ドーバントン公爵からも、タイラー侯爵からも、領民からも反対された。

だが、どうしても遠くの安全な場所で祈っているのは出来なかった。


まだ朝明けやらぬ頃から、パンの生地を練っていく。

バンッバンッと生地を机に叩きつける音が響いた。

この音に、部屋の外で大司教の部屋を守っている護衛騎士がドア越しに声を掛ける。


「あの、トロウエン大司教様。大丈夫ですか?」

「うむ、大事ない」

大司教様は、声が震えないように短く返事をした。だが、すぐに次の質問がくる。

「あの音は何ですか?」

静寂な聖教会とは真反対な激しい音に、疑問を持つのは当然だ。


「あのぉ、音わぁ・・自分を叱咤激励するためのぉ・・気合い入れです・・」

ケントの走り書きの紙を、棒読みするトロウエン大司教。


「・・・分かりました。集中されているところ、お邪魔して申し訳ございません」


何を納得したのか、護衛騎士はあっさりと下がってくれた。


ここまでは、とても順調だ。

怖いくらいに・・・。


ジョージとケントは、護衛騎士の交代時刻を見計らって、発酵したパンを持って、王子宮の侍女に案内されながら、王子宮の使っていない調理場に急いだ。


「ルコントの思いが詰まったパンを焼いてくるぜ。レティー様は、王宮の聖教会で待っててくれ」

ジョージはイケオジっぽく親指を立てて去っていった。


お日様が顔を出す前の、薄いオレンジ色の帯びた空を眺めながら、この作戦が上手くいきますようにとレティシアは一心に祈る。

その横で、同じく堅く目を閉じて祈っているトロウエン大司教様の顔が、相変わらずの白一色なのが気にかかった。


同じ頃、それぞれがそれぞれの思惑と願いを持ち、時刻がその時になるのを待っていた。


地下牢ではハリーが・・

エルエストがマルルーナと挙式を終えたら、ハリーは間違いなく殺されるだろう。

しかも、それはエルエストの初恋が閉ざされたことになり、この国の終焉を意味する。

ハリーはラシュレー国を愛していた。

「今はそれだけが心残りだ・・。否、もう一つあった。弟の恋の橋渡しをしてあげたかったな・・・」



エルエストは、短剣を懐に忍ばせていた。

「父が元に戻らぬときは、これであの女と父を・・・。最後に自分も死んで幕引きだ」



マルルーナは、皆に反対された真っ白なドレスを着て、鏡に映った自分にうっとり。

くるっと回り眺めてはご満悦だ。

「もう、この国の全ては私の物、王子も宝石も全部よ、全部!!」



レティシアは、今日失敗すればエルエストがもうルコントに来なくなる。その事実を考えると、胸の奥がチクチク痛む。だが、それよりもこれから自分がしなければならない役柄が大役過ぎて、そのチクチクに気が付かなかった。



トロウエン大司教様は・・・

「パンを食べさせるパンを食べさせるパンを食べさせるパンを食べさせる・・・・」

ぶつぶつと呟いている。

そして、その彼の耳にノックが聞こえた。


「トロウエン大司教様、お時間になりました、大聖堂へ移動をお願いします」


聖司教だけが着られる真っ白な祭服のアルバの上に、金色の刺繍のカズラを掛けて王宮内の大聖堂の真ん中をゆっくりと、ゆっくりと歩く。

その足取りは、あまりにも遅い。

大司教の足取りが覚束無くて、付き人の少年レティシアが手を引いているのだと参列者は思っているようだ。


実は大聖堂に入る間際に、ジョージ達から、パンが届けられる筈だった。

だが、未だにその香りすら届かない。

レティシアの腕に掛けられた籠の中にはルコント・ソーダだけが入っている。だが、重ね掛けされた『魅了』の解除に一番効果が絶大といわれたパンはない。


計画のズレにトロウエン大司教は、最早虫の息で歩いている。


レティシアは頭から頭巾を被り、俯きながら、しっかりとトロウエン大司教を支えた。


両脇の席には300人の参列者がいる。本来ならば、この倍の人数は参列しているはずだ。

しかし、この結婚式は無事に終わることはない。それ故、エルエストは他国に送った招待状を密かに回収させた。

国内の招待状の回収は、マルルーナの手下が自ら各貴族に届けられた為に回収は出来なかったのだ。


この参列者の真ん中をトロウエン大司教はゆっくりゆっくりと進み、とうとう祭壇の前に到着してしまう。


そして祭壇に立つと、一番前に見える位置にラシュレー王が座っていた。

しかし、その様子は以前とは全く違っていて、落ち着きはなく、首を動かし辺りをチラチラと見ては激しく瞳も動いていた。

誰が見ても異常だと気が付く行動。

だが、誰も王を見ていない。

全ての視線は、後方の扉に集中していた。


トロウエン大司教は、一人祭壇で、ソワソワと落ち着かない様子でエルエストとマルルーナが入ってくるのを待つ。


前触れもなく、騎士達がざざざと音を立て大聖堂の後方の扉に横一列に並ぶ。

そして、その中央の扉がゆっくりと開くと、エルエストとマルルーナが腕を組んで?いや、ダラッと下げたエルエストの腕を、マルルーナが必死に絡めている状況だ。


しかも、牛歩のように進まないエルエストをマルルーナが引っ張っている。

ざわつく大聖堂内。

しかし、招待客がざわついている理由は他にあった。


それはマルルーナの着ている白いドレスだ。

この国では、教会や聖堂に入る時は、聖司教様以外白い服を着てはいけないという決まりがある。だが、マルルーナは前世の記憶を押し通し、この国の掟を無視した。

その結果・・。

「なんて非常識なの。結婚式なら薄い水色かピンクと決まっているのに」

『魅了』にかかっていない女性達は、あからさまに不満な顔で抗議の声を挙げる。


だが、『魅了』にかかっている男性達は、「マルルーナ様の愛らしさは正義なんだ。だから、何を着ても許される」と隣に妻や恋人が居ても緩んだ顔を隠しもしない。

これで、聖堂内の雰囲気は一気に最悪になったのだ。


不穏な空気の中、祭壇前に到着した二人。

その並んだ光景を目にしたレティシアは、イライラ? チクチク? 落ち込み? とにかく負の感情がない交ぜになった。

この感情を簡単に表す適切な言葉があるのだが、レティシアは恋愛を避けすぎて理解できない。

これが『嫉妬』だと・・・。


それよりももっと大事になっているのが、トロウエン大司教だ。


二人がここに到着したからには、本来誓いの言葉を言わなければならない。

しかし、言えない。

言ってはいけないのだ。


二人が入ってきた大聖堂の後方の扉で、ケントが大きく手を振っている。

招待客が前方を注視しているとはいえ、危険な行為だ。

トロウエン大司教が心配していると、ケントが例の恐怖のジェスチャーを始めた。


あのルコントでの時と同じ両手を横に広げ、時間稼ぎの合図だ。


ああー・・神よ!! またなのですか?!!

トロウエン大司教の悲痛な心の叫びは、神に届くのだろうか?





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