62 霊のあの人
王宮に帰ったハリーは、国王に申し開きの場どころか、すぐに地下牢に直行させられた。
マルルーナの『魅了』が蔓延した王宮には、正常に頭を回転させる事の出来る人物は、ほとんどいなかったのだ。
少数はいるが、エルエストにその時が来るまで『魅了』に掛かった振りをしていろと言われているために、泣く泣くハリーを牢屋に入れた。
その者から聞いた話では、国王はマルルーナから『魅了』を重ね掛けされて、更に立派な操り人形に成り下がっている。
ハリーが地下の牢屋に入れられたことを知ったエルエストが、大声で怒鳴り散らして駆けつけた。
「退け!! 俺に命令をするな」
エルエストはハリーが、ベッドもない牢屋で座っているのを見つけた途端に、さらに暴れ出した。
「第一王子をここからすぐに出せ!! こんな事を仕出かして、お前達ただではおかんぞ!! すぐに鍵を持ってこい!!」
だが、大勢の兵士にブロックされて、全くハリーに近付けない。
「ただいま、エル」
呑気にハリーが言うと、エルエストの力がズルッと抜ける。
「全く兄さんは・・・この状況を理解しているのですか?」
「しているよ。謀反の罪で処刑間際って感じだろ?」
自分の命が危ないって危機感は皆無な言い方だ。
「兄上が行ってから、ますます陛下は、マルルーナの言いなりになってしまったよ。調子に乗ったあの女は、ドレスや宝石を買い漁っている。さらには、自分の部屋を改築、それに、王宮にド派手な滝を擁した庭園を作ろうとしている」
レティシアを思い出し、唸るハリー。
「うーん。国庫が尽きそうな勢いだね。その滝は、ルコントの滝を真似ようとしているんだろう。レティシアに異様なライバル心を持っているようだ」
「そうなんだ。今レティシアがここに連れて来られたら、どんな仕打ちを受けるか分からない」
誰に言われなくても、マルルーナが国王を使って、レティシアをどん底に陥れる計画を練っているのだろうと推測できる。
「でも、レティシアは大丈夫だ。領民だけでなく、国民に愛されている彼女には、迂闊に手は出せないだろう」
ハリーはルコントの領地で見つけた魅了解除の方法を、エルエストに伝えたかった。
だが、マルルーナの下僕しかいないここで、『ルコントの食べ物を食べると、魅了が解除される』とこの場で言えばマルルーナは、ルコントを根絶やしにするまで兵を送り込むだろう。
何も言えないハリーは、安心しろと鉄格子から手を伸ばし、弟の肩を叩いた。
不安なのは自分だろう? 命が懸かっているのに・・。
とエルエストは兄を思うが、さらに多くの兵士が地下に雪崩れ込み、兄弟にとって大事な事を話す事なく、地上のマルルーナの元に連れて行かれた。
そして、目が潰れるのでは?、と思う程の金ぴかの部屋に押し込まれたエルエスト。
そこには、清楚とは掛け離れた姿のマルルーナが、両手に若い男を抱え込むようにソファーに座っている。
「ダメじゃない、エル。あんな罪人のところに行くなんて。王子としての資質を疑われるわよ。私の夫としてきちんとしてねぇ」
そういうマルルーナは、『魅了』で操ってすっかり従順になった男の頭を撫でている。
「これから王太子妃になるつもりの女が、この様で資質とかよく言うぜ。それに何度も言うが、お前と結婚なんてするわけないだろ」
「反抗的な態度ばかりしていると、大好きなお兄様がどうなっても知らないわよ」
エルエストが黙ったのを面白そうに眺めるマルルーナは、さらに嬉しそうに続けた。
「今日、陛下とお話して決めちゃったんだけど、一ヶ月後に結婚式をするわよ。逃げないでね。逃げると・・・」
マルルーナは、にこりと微笑みながら、親指を立て、首近くで横に引いた。
ハリーを盾に取られているエルエストは、逃げることもできない。
今出来る事は、睨む事くらいだ。
「じゃあ、二人の衣装を合わせるから、明日はどこにも出掛けないでね」
「勝手にしろ」
禍々しい宮殿に変わってしまった王宮を後にして、王子宮に戻った。
今のエルエストには、父、母、兄を人質に取られて蟻地獄の巣に落ちて行くだけのようだった。
ハリーにルコントの様子や、レティシアの様子を聞きたかったが、敵ばかりで聞けなかった。
レティシアの話が、うっかりマルルーナの耳に入ったら、またどんな悪どい事を仕出かすか分からない。
はあーとため息が出る。
一人自室に入ると、後悔しかない。
「せめて、レティシアにちゃんとプロポーズしたかったな・・・」
『そうだね。ちゃんとあの時しとけばよかったねー』
いきなり耳元で男の子の声がした。
ばっと起き上がり、周りを見渡すが誰もいない。
ゆっくりと息を吐いて、部屋の気配を探る。が、誰もいない。
『でも、諦めたらだめだよ』
「うおおおお!!!」
再び真隣で声が聞こえ、叫び声を発した後、エルエストは見事にベッドから落っこちた。
そして、すぐに立ち上がり剣を取って構え、見えない相手に怒鳴った。
「誰だ、どこにいる!!」
『ああ、ここにいるよ。僕の名前はアンソニーだよ』
エルエストが目を凝らすと、そこには、小さな男の子がにっこり笑っていた。
だが、容姿に騙されてはいけない。
現在マルルーナが動かしている騎士が、わんさかといる状態だ。
その中をこんな小さな子供が、すり抜けて来られる訳がない。
「マルルーナの手先か?」
剣で脅して、それ以上近付かないように牽制する。
『違うよー。僕はね、レティシアのえーと・・・親戚? ってか先祖?』
コテンと首を傾ける男の子は、確かに、レティシアに似てなくもない。
だが、まだ油断は禁物だ。
こんな幼い子供でも、『魅了』に掛かっている可能性もある。
『えっとね・・僕は絶対に魅了にはかかんないし、それに剣で脅しても意味ないよ。だって・・ほら!』
と言いながら、剣を自分自身で突き刺していった。
この行動に驚いたのは、エルエストだ。
「ぬわぁぁぁっぁぁ」
『あはは、腰を抜かす人を初めて見たよー』
アンソニーが平気そうなので、自分の剣を見て血もついていないのを確かめ、もう一度アンソニーを見た。
「ははは、俺としたことが・・・。手品か・・?」
『うーん、違うけど。まあいっか。時間がないから、言うね。ルコントのパンを食べると、『魅了』に掛けられた人の正気が戻るみたいなんだ。だからね、結婚式に王さまにパンを食べさせようって今、みんなで知恵を絞って考えているから、諦めないで』
「それは、本当か? 本当なのか?よく教えてくれた感謝する」
藁にもすがりたい時に、希望の藁を差し出してくれたアンソニーに感謝を述べた。
『あああ・・、ありがとうって言っちゃダメだよ。気持ちがほわわってなって消えちゃうよぉ・・・まだ大事な事言わなきゃなのにぃぃ・・』
そう言うなり、アンソニーが、足からうっすら消えていく。
「ななな、どういう事だ?」
焦るエルエストにアンソニーは『ああ、幽霊って言ってなかった?』
との言葉を残し・・・消えた。
その夜、エルエストは色んな意味で、眠れなかった。
◇□ ◇□◇
そのちょっと前。
ルコントでは・・・
タイラー侯爵の使用人による『魅了』解除をしながら、効果的な方法模索中。
そして、焼きたてのパンを食べると、『魅了』を解除する効果が早いという結果が出た。
だが、問題は焼きたてのパンを誰が陛下に食べさせるのか?
これが問題だった。
現在、王宮に出入りする者は厳しく制限されている。
「でしたら、結婚式には多くの貴族も参列できます。そこで、国王に食べさせることはできないでしょうか?」
コルネリウスが、アイデアを出した。この中で一番の高位の貴族は、ドーバントン公爵だ。しかし、その彼でも現在の国王に近付くことは容易ではない。
再び、沈黙。
ここで、もう一度コルネリウスが提案した。
「では、王族の結婚式ならば大司教様が式を執り行う筈です。是非頼みましょう」
大司教様といえば、この国で数いる聖司教様の中で一番偉いお方だ。
そんな尊い人物が、どこにいるのだろうか? レティシアが思ってると、コルネリウスが意外にも、レティシアを見て、うんうんと一人納得して目を輝かせている。
意味が分からず頭を傾けるレティシアに、「だから、レティシア様から頼んでください」とコルネリウスにお願いされた。
レティシアは、益々、分からないとさらに頭を傾けた。
じれったくなったドーバントン公爵が口を挟む。
「このルコントの地にいらっしゃるではないか。トロウェン大司教様が」
「・・・・、・・どええええええ???」
ルコントのボロボロの聖教会ににこにこといらっしゃる、あの聖司教様が?
この国で一番偉い大司教様?
そういえば、初めてお会いした時に聖教会にいるアレク少年が『トロウェン大司教様』と呼んでいたような・・・。
なんてことだ。
そんなに偉い方のありがたいお話を、いつぞやは『お尻が痛いから早く終わってくれないかな?』とか『眠い・・・』とか思ってしまった。
なんて・・罰当たりな事を!!
レティシアは深く懺悔をしたが、口には出さなかった。




