58 諦め
マルルーナが国王に甘えた声で、お願いをする。
「王さまぁ。早くエルと結婚したいんだけど、明日にはできる?」
「バカ言うな!! お前とするわけがないだろう」
エルエストが被せ気味に言うが、これでは解決策を勝ち取れない。
頭に血が昇ったエルエストに代わり、ハリーが穏やかに提案をする。
「マルルーナ嬢、あなたは国の内外に第二王子との結婚を知らしめたくはないのですか? 明日にでもと言うならば、挙式もせず婚姻の誓約書に名前を書けばいいのです。それでよいのですか?」
ハリーの言うことが理解できず、首をかしげるマルルーナに、もう少し分かりやすい餌を蒔いてやった。
「例えば、荘厳な教会で、美しいドレスや宝石に身を包み、多くの招待客の前で結婚式を挙げたいとは思いませんか?」
ハリーがマルルーナにも分かるようにゆっくりと話をする。
どうやら、マルルーナも理解したようで、瞳を輝かせた。
「ドレス・・宝石・・素敵・・。私、昔から豪華で素敵な結婚式を挙げるのが夢だったのよ。するわ!! 招待客を呼んで盛大な結婚式を挙げるわ」
浮かれるマルルーナとは対照的に、『おいおい、何を勝手な事を言っているんだ?』と驚いたままの顔でハリーを見ているエルエスト。
「あなた、妾の子にしちゃ、気がきくじゃない。でも、王さまの座は諦めてね。王はエルがなるの。そして、私が王妃よ。ねぇ、王さま。エルを王太子にしてね」
「何を勝手なことを言って・・」
エルエストが、言い掛けたがハリーに袖を引かれて止まった。
「そうだな。マルルーナが望むなら、そうしよう」
ラシュレー王はもう何を言っても誰の言葉も届かない。
王に言葉を聞かせられるのは、マルルーナだけなのだから。
再び、ハリーが爽やかな笑顔をマルルーナと王に向ける。
「では、色々と諸外国に向けての招待状の発送や、準備などがありますので、これで退出いたします」
そう言うと、エルエストの腕を掴み、素早く退出した。
そして、部屋から出ると、不満そうなエルエストの腕を掴んだまま走り出す。
「いいか、ここにいては、さらにあの女の無理難題をお前は聞くことになる。ここから早く離れろ」
「あっ・・」
「早く、作戦を練って結婚式をぶち壊すぞ。挙式を盛大にするのはそれまでの時間稼ぎだ」
ハリーの深い思慮に、エルエストが謝る。
「兄上、ごめん。俺があれと結婚したら、兄上はレティシアのところに行く気なのかって、疑ってしまった。本当に申し訳ない」
ハリーは「なる程、その手があったのか」と冗談めかして笑う。
「お前とレティシアの仲を応援しているって言っただろう。お前は絶対にレティシアと結ばれるんだろ?」
「・・・ええ。勿論です」
力なく答えるエルエストは、レティシア、ハリーそして、この国を守ると決意した。
ハリーは、王子宮に着くと冷静にこの状況を分析していた。
自分と弟は『魅了』には掛からない。
なぜだ?
始めは、王族は魅了の魔法には掛からないのだろうか? と思っていたが、残念ながら違った。
今まさに王様自らが見事に掛かって自分を見失っている。
それに、騎士達の中でも王子宮の近衛騎士は正常な者が多い。
ここで、仮説を立てた。
『魅了』に掛からない者は、何か『魅了』に対する耐性を身に付けているはずだ。
王子宮の騎士と王宮の騎士の違い。
そして、魅了されたタイラー侯爵と全く魅了に掛かっていないドーバントン公爵の違い。
それは、ルコントの領地に行った者と行ってない者の違いだ。
これを確かめるためには、ルコントに行くしかない。
そこで、作戦会議を開こうとエルエストの部屋に行く。
ノックしたが返事がない。ハリーはそのまま、部屋に入るとそこには、ソファーの下で前のめりで踞り、頭を抱える弟の姿があった。
すぐそばに手紙が落ちていた。
ハリーが拾って見るとマルルーナからのものだった。
その手紙には、「エルエストを一番に愛しているが、マットやルイスも情夫として置くから、新しいベッドを用意して欲しい。後、アキッレーオ、バルトロ、インノテェンテも愛宝殿に入れるつもりなの等々・・」と男の名前が延々と書かれていた。
「兄さん・・。やはりどう考えても、あのキチガイ女は嫌だ」
顔も上げず、呻くように呟くエルエスト。
「大丈夫だよ。お前はきっとレティシアと結婚できる」
弟の肩をポンポンと叩く。
「いい加減な事を言わないでよ」
パンッッ!!
ハリーは弱気な弟の背中を思いきり叩いた。
「痛っ!」
「ははは、漸く顔を上げたな。エルエスト、諦めるな。まだまだ手はある」
落ち込む弟を励ますように、兄は力強くエルエストを見る。
それでも、尚不安そうなエルエストに言葉を続けた。
「いいかい、多くの騎士がまだ正常で仕事をしている。その多くはルコント領に行った者達ばかりだ。ほら思い出してみなさい」
言われたエルエストが、自分の周りの面々をくるっと見る。
確かに、ルコントの警備に一緒に行った者達は、ここに揃っていた。
「私はあの地に、何か『魅了』の力を撥ね除ける何かがあるのかも知れないと考えている。だから、調べに行って欲しい。そして、ついでに今の状況と「愛してる」って言ってこい」
ニヤリと笑うハリーにエルエストは面食らいながらも、顔を真っ赤にしている。
「ななななにをいい言ってるんだよ」
だが、すぐに真剣な顔に戻りエルエストは首を横に振った。
「ルコントに行くのは俺じゃない。兄さんに行ってもらいたい。・・行きたいのは山々だけど、今のこの王宮の状況で兄さんを置いていくのは不安なんだ。それに難しいことを調べるのは、俺は得意じゃないだろ?」
エルエストが言いたいことは分かる。
この王宮はマルルーナの支配下にある。女が望んでいるのは、エルエストとの結婚といずれ王妃になることだ。
そうなれば、一番邪魔なのは第一王子のハリーの存在。
しかも、ハリーを推しているのは最大派閥のドーバントン公爵だ。
彼が賛成しない限りエルエストの妻になり王妃になるという野望は、叶えられない。
だが、ハリーに何かあればそれも容易に叶えられる。
つまり、今この王宮内で最も命の危険に晒されているのがハリーなのだ。
「いいのか? 私がレティシアに手を出すかも知れないぞ」
ハリーのこの言葉に、エルエストはぐっと喉に力が入った。
少し躊躇いがあったものの、すぐに「いい、兄さんを信じている」とエルエストが言う。
「・・信じるか・・・。弟にここまで言われたら裏切れないな。絶対に『魅了』を解除する方法を見つけて帰って来るから、待っていてくれ」
その夜遅くまで、二人の兄弟は話し合った。これから起こるであろう事柄を予測して、それに対しての対策を考えた。
そして、夜間の警備の人数が少なくなる時間帯を狙って、ハリーは王宮をそっと出ていった。
その後ろ姿を見送ったエルエストは、複雑だった。
期待半分、諦め半分、胸中そんなところだった。
そううまく『魅了』の解除方法が見つかるとは思えない。
それにここにハリーがいては、いずれ何らかの理由をつけて殺される。だから、一刻も早く王宮から追い出さなければならなかった。
何の対策も見いだせなかった場合、この国を守るために、おかしくなった父を支えながらも、妻となったあの女を牽制しつつ政務をしなくてはならない。
そうなれば・・・。
もう、レティシアは・・・。
諦めるしかない。
あの女から守るために、第一王子であるハリーと結婚してもらうのが、二人のためか・・・。
そう考えた途端、胸が焼ける程に苦しくなった。
これは嫉妬だ。
初めての苦しみ。
「くそっ。なんであの時契約結婚を口走ったのだ」
正々堂々とプロポーズしておかなかった今、後悔しかない。
窓ガラスに映った自分の顔が、余りにも情けなく、エルエストは自嘲気味に笑ってしまった。
「何が『媚びへつらうだけの令嬢にはうんざり』だ。自分は好きな女性にそれすら出来なかったのに」
以前自分が、貴族の令嬢に向けて吐いた言葉を思い出す。
「兄上、魅了の解除がなかったら・・・レティシアを守ってくれ・・・」
歪んだエルエストの顔が、窓に映り消えた。




