51 婚約は保留
『大丈夫だよレティー。俺と結婚すれば、全て解決するよ』
最初レティシアは、エルエストのその言葉が理解できなかった。
「そ、それは・・どういう・・」
ルコント領が瓦解してしまうと、涙を流す彼女に、エルエストが分かりやすく、そして結婚に誘導するような説明が始まる。
「聞いて、レティー。このままだと王家の土地を勝手に使用していた処罰があるかも知れないよね?」
「しょ処罰・・・」
レティシアの真っ赤に充血した瞳は恐怖に滲む。
「それと、これからもここを使うとなると、使用料を王家に支払ってもらわなければならない」
「もう、使いません」
食いぎみにレティシアが言うが、エルエストは優しく首を横に振る。
「せっかく今までルコント22滝の、特に最後のメインの滝である『夫婦滝』を見に来た観光客は、それがなくなったらどう思うだろうな?」
親身に寄り添ってくれているようで、レティシアにはじりじりと追い詰められているようにしか聞こえない。
実際に、エルエストの顔付きは、弱った者を捕食しようとしている肉食の顔になっていた。
昨夜まで告白をするのだと、必死に台詞を考えていた、エルエストの純粋な気持ちはどこかに行ってしまったのだろう。
このまま、説得をすれば婚約出来るかも知れないと言う、なんとも後ろ向きなへたれ根性が心を占めているのである。
「じゃあ、どうすれば・・?」
わなわなと震えるレティシアには、急な得策は思い付かない。
「ねえ、このルコント家に俺が婿入りすれば、持参金の代わりにこのコート山の中腹までの土地を、ルコント領とすることは出来るよ」
「・・・それは私のために、殿下が・・・?」
犠牲になってくれるということ?
それでは、いくらなんでもエルエストに悪い。
でも、これを断れば、今右肩上がりの観光業は大打撃だ。
それに勝手に王家の土地を使用していたのだから、知らなかったとはいえ世間的に許されない。
エルエストがこの領地に婿に来てくれれば、なんとかなるかも。
でも、どうしてエルエストが、ここまでしてくれるのかわからないし、甘えて良いのか考えあぐねていた。
流石、恋愛接触0パーセントである。
それが、エルエストの好意からだとは思い付かないのだ。
その肝心なエルエストも、告白するという、勇気のいるイベントよりも、自分の商品価値を高めて売り込むという、全く以てなんとも情けない方法に、舵を切ってしまったのだから、恋愛下手のレティシアでは分からないはずだ。
切羽詰まったエルエストは、恥も外聞も捨ててまで、レティシアと一緒になりたかったのだ。
間違ってもジョスパン王子に掻っ攫われるなんてことになったら、もう立ち直れない。
「この案はどうだろう? 俺が婿入りすれば君はこのままコート山が使えるし、良いこと尽くしだ」
「でも、そうなればエルエスト殿下は、王国一狭い領地に来られることになります。これでは、エルエスト殿下にはなんの恩恵もない結婚となります」
「俺はこの結婚で、とても大切なものを守れるんだ。だから、それに付いては気にしなくていいよ」
「エルエスト殿下が守りたいものとは・・・。もしかして・・」
(そうだわ。殿下が守りたいものとはハリー第一王子の事。自分が身を引く事でハリー王子は確実に王太子になれる)
二人の心の恋愛的な距離は、少しの歩み寄りも見せずに、婚約へと突き進むのだ。
大切な者がそれぞれ伝わらないままで話が進む。
これぞまさに、平行線。
お互いにわずかに芽生えた信頼と恋心が、全く別の物へと掏り替わって伝えられたのだった。
「殿下、本当に後悔なさいませんか? この婚約ではエルエスト殿下には全くメリットがございません」
「俺にはメリットしかないよ。それに君はこのルコントを守れるのだから、いい話だろう?」
エルエストはなりふり構ってなどいられない状況だ。
ここでレティシアから、確約をもらっておきたい。
あのローフレンス王国のジョスパン王子に靡かれる前に、安心できる返事が欲しい。
後ろの騎士達が、この『嘆かわしい状況』に頭を抱えていることなど敢えて無視。
さらに詰め寄る王子様が更に追加の一押し。
「俺は大事な者が守れて、君もこの領地を守れるんだ。どうだ?」
自分の大安売りだ。
バナナの叩き売りよりも安い。
ここで、漸く決意をしたレティシアが、顔をあげてエルエストを見た。その瞳に婚約の喜びに受かれた色はない。
「本当に、私と婚約をしてこのルコントを守っていただけるのですね?」
「勿論だ」
「では、どうぞ宜しくお願い致します」
二人の間で、情熱的な言葉もなく、熱い眼差しを交わし合うこともない、事務的な婚約が決まったのだった。
◇□ ◇□
プロポーズの結果を王宮で、首を長くして待っていたハリーと両妃殿下。
始めに、二人の様子を聞くために同行した騎士を呼んだ。
そして、その騎士から衝撃の状況をつぶさに聞き、報告が終わる頃、ハリーは項垂れ、アレイト妃は椅子からずり落ち、シルフィナ王妃は両手で顔を覆いながらプルプル震えている。
誰も暫くは、一言も発することはなかった。
「・・・・・・」
「・・・・・。このまま、婚約を発表しても良いのでしょうか?」
ハリーはこのまま婚約するのは、二人のためにも良くない気がした。
「そうね。せめてお互いの気持ちを確かめさせないと・・」
アレイト妃はずり落ちた椅子に掛け直し、ハリーの意見に賛成する。
「勿論よ。あのヘタレ!!バカなの? 『愛してる』くらいなぜ言えない!!」
普段はおっとりしているシルフィナ王妃が吠えた。
この失望の渦巻く最中に、エルエストが結果の報告にハリーの部屋にやって来た。
ノックの後に、返事がない。
だが、重苦しい雰囲気が部屋の中の様子を見なくても伝わってくる。
しかもその比重を考えれば、ハリー一人から出たのではない。
女性からの蛇のようなねちっこい重さを感じた。
「どうぞ」の声がすでにハリーではない。
この声は不機嫌が最高潮の時の母の声だ。
「ただ今戻りました。それで、すでにお聞き及びだと思いますが、俺とレティーは無事に婚約の意思を固めたので、報告します」
「エル、君の告白の言葉はまるで政略結婚の時に使う、駆け引きのような言い回しだったらしいわね」
すぐに噛みついたのは、王妃シルフィナだ。
「そんなことは・・・」
歯切れの悪さから、自分でも男らしくなかった事は百も承知である。
「いいこと? 婚約を大々的に発表する前に、もう一度きちんと愛を語りなさい。でないとお互いに誤解したままで夫婦円満な生活は望めないわよ。始めが肝心というでしょ?」
「わ、分かりました。しかし、陛下には今からレティシアの領地の件もあるので、報告に行きます」
誰かが王家の領地をレティシアが勝手に使っていると、悪意のある告げ口をされる前に、陛下に直訴をした方がいい。
仕方なくシルフィナは頷いた。
エルエストは、陛下の都合のいい時間に会いたいと先触れを出す。
しかし待つことなくすぐに、陛下から自室で会うと返事が来た。
自室に入ると、シルフィナ王妃も同席している。
さっき報告したというのに、何を言うつもりなのかとヒヤヒヤするエルエスト。
だが、まずはレティシアの大事な領地を守るために、申し開きをしなければならない。
「急に会いたいとは、どうしたのだ?」
陛下は余程忙しいのか、話を聞きながらも他の書類に目を通している。
「実は、本日ルコント領にて、ジョスパン殿下が見学に行かれる滝の下見をして参りました」
「ほうほう、それはご苦労」
ラシュレー王が話半分で、興味なさげに相槌を打つ。
「そこで、ルコントの滝を調べたところ、どうやら王家の所有地が一部含まれていることに気がつきました。無論ルコント卿は知らなかったようなのです。王家の結界が解除されていたために起こったことであり、ルコント卿に過失はなかったものと思われます」
そう言いながら、レティシアが書いた謝罪文と弁明書を差し出した。
「フーム・・」
事が事だけに難しい顔をして、読んでいる。
「それと、話は変わりますが・・、私はレティシア・ルコントと婚約をしたいと考えています。
ルコント卿にも良い返事を頂いています」
「は?」
ラシュレー王は弁明書から目を離し、息子の顔を見た。
「それで、私がルコントに婿に行く時に持参金代わりにその土地をお譲りいただけないでしょうか?」
「ん? ・・・はあーーー・・。全くお前は王家に育ったのだから、順序を守れ」
ラシュレー王はそう言った後、暫く頭を抱えて目を瞑る。
そして、再び目蓋を開けるとエルエストに尋ねた。
「エルエストよ、そんなにも急ぎ臣籍降下を選んだのは、お前を推している貴族からハリー王子を守るため、延いては無用な争いから国を守るためか?」
王が息子の返答を待つ。
「それも、ありますが・・、何よりレティシア・ルコントを愛しているからです」
『なぜそれをレティシアに言わなかったのだ!!!』
と、無言の圧力が母シルフィナからだだ漏れである。
その圧力を感じ取ったのか、ラシュレー王がピクリと、王妃の方を見たが、口を開き掛けて閉じた。
「そうか・・。お前の気持ちはわかった。コート山の件と婚約の件、追って知らせる故、待っておれ。先ほど王妃から婚約の経緯は聞いていたのだが、暫くこの婚約は保留だ」
「なぜですか?」
食い下がるエルエストに、ラシュレー王は王妃をチラリと横目で見て、首を振る。
エルエストの勇気がなかったばかりに、婚約は一旦保留になってしまった。




