05 ご先祖様、手伝って。
司教様は、水路の事を全く知らなかった。
司教様が生まれた時から、既にこの領地には川もなく、雨水と僅かな井戸水で小さな畑を守ってきたらしい。
それでも、この水路の事を知っているかも知れないと、ある人物を紹介してくれた。
その人物は山の麓に小さな畑を耕している老人で、名前はマイク。
79歳の老人は、一人で小さな畑を守っているそうだ。
レティシアは再び徒歩で、時間をかけて会いに行った。
遠目には、厩舎なのかと間違うほどの簡素な作りの家。
足の疲れもなんのその、マイクの家に着いて息を調えると、すぐにノックする。
返事はない。
もう一度ノックをしようかと迷っていたら、強めの警戒心を伴う低い声がした。
「誰だ?」
「あの、この度新しくルコントの領主になりましたレティシア・ルコントと申します。この土地の事で聞きたい事があります」
「・・・」
返事もなけりゃ、出てくる様子もない。
「あの・・」
レティシアがもう一度声をかけたところで、壊れかけのドアがバンッと開いた。
「こんなところに来る奴で、碌なもんがいた試しがない。さっさと帰れ・・・」
マイクはドアを開けながら、そこに立っているはずの人物に向けて喋ったのだが、誰もいなくてキョロキョロした後、下の方に目線を下ろし驚いている。
身長180cmはあろうかという大きな老人マイクは、ドアの前の人物が、少女だと気がついて絶句していた。
「あの、今度この領地を管理することになった、レティシア・ルコントと申します」
レティシアはそこまで言うと、相手の出方を待つ。
「・・・、前は能天気なだけの領主で、今度は子供か・・。もうここも終わりだな」
目を手で覆い、天を仰ぎ見たマイクの顔には、絶望という文字が浮かんでいた。
まだ何もしていないレティシアの目の前で、ドアが閉められようとしている。
がっと足を入れて、マイクがドアを閉めるのを阻む。
「子供に用なんてないぞ」
マイクはレティシアを睨みつけはするものの、差し入れたレティシアの足を怪我をしないように、少しドアを開いた。
うふふ、この人もいい人だ。
レティシアは、じっとマイクをドアの隙間から見て観察する。
この老人、眉間のシワが深くて頑固そうに見える。だが、その目は象のようにつぶらで優しげだ。
それに、今もレティシアの足で閉められなくなったドアを、どうしようかと考えあぐねている。
強く怒鳴るでもなく、その顔には戸惑いしか浮かんでいない。
「私の話を聞いてください。私はずっと以前に流れていたはずの、川や水路を探しています。何かマイクさんはご存知ないですか?」
今ならば、マイクにも声が届くとレティシアは一気に質問を捩じ込んだ。
「・・・水路か・・・」
マイクが、ドアノブから手を放して顎に手をやって考えこんだ。
この感じ、明らかに何か知ってそう。
レティシアはじっと答えが出るのを待つ。
そして、顔を上げたマイクは重要なヒントを思い出したようだった。
「大昔、わしの曾祖父に聞いたことがある。曾祖父も聞いたらしいのだが、この先にため池があり、この辺り一帯の畑は、そのため池を利用していたらしいのだ」
――やったわ。手掛かりを見つけたぁぁ。
「では、きっとため池があった場所を探せば、地下に隠れた水路も見つかります!!」
マッチの火ほどの希望の光が灯る。
みんなで探せば絶対に見つかるわ。
「マイクさん。ため池と水路探しを手伝って頂ける人を、私に紹介して頂けませんか?」
レティシアのキラキラお目目攻撃に、「まあ、やってみるといいさ」とぶっきらぼうだが、手を貸してくれる事となった。
この後レティシアは、マッチの火は吹けば簡単に消える事を知る。
あちらこちらの家をマイクと一緒に回ったが、どの家からも、半笑いか、胡散臭い者を見る目付きで追い払われた。
何軒も何軒もレティシアはドアを叩いて、説得しようとしたがダメだった。
どこも貧しい家ばかり。
それは領主がきちんと治めていないせいだ。
どの家もレティシアが名前を告げると、眉をひそめた。
だがレティシアに、前領主の無能さを直接責める人はいない。
きっと、レティシアが着飾ってドレスを着ていたならば、一人くらいは子供のレティシアにも、文句を言っていただろう。
だが、貴族のレティシアが自分達と同じように薄汚れた服を着て、訪ねてきたのだ。
門前払いはしたが、誰一人として、レティシアに酷い言葉を投げつける者はいなかった。
勿論、一緒に水路を探してくれる者もいなかったのだが・・・。
「俺たちはそんな暇はねえんだよ!!」
バタン。
また目の前で、ドアが閉められたところだ。
「もう、諦めろ」
マイクが水筒の水をレティシアに差し出して、ポツリと言う。
決して強く言ったわけではない。
寧ろ、レティシアを気遣うように言ったのだ。
「うん。そうですね。誰もあるかどうかわからない物を探す時間など、無いですよね」
俯くレティシア。
「そろそろ、日が暮れるぞ。諦めろ」
マイクは俯いたレティシアが、泣いているのではと、慰めるように頭を撫でる。
だが、レティシアはマイクの言葉を『今日は諦めろ』と解釈した。そして、立ち直りが人より数倍早かった。
「そうですよね。まだ始まったばかりです」
満面の笑みで立ち上がると、「今日はありがとうございましたぁぁ」と元気良く去っていった。
ちょっと、拍子抜けしたマイクだったが、久しぶりに楽しい時間だったとレティシアを見送る。
レティシアは屋敷に帰り着くと、ソファーに座り動かない。
動けなくなったと言うのが正しいだろう。
一日中歩き回って、へとへとだ。
しかも、今から自分で料理を作るなど、出来そうにない。
再び床に寝っ転がりながら、パンを食む。飲み物は汲み置きした水で済ませた。
「はー・・、料理人もいなくなったのは辛いわ。せめてハムくらい挟めば良かったかしら・・・でも面倒臭い」
仕方なく、パッサパサのパンを水で流し込む。
棒のようになった足を揉んで、マットだけのベッドに潜り込んだ。
そして、明かりを消す。
広い屋敷にただ一人。
ギー・・・。
誰もいないはずの屋敷に音がする。
コツコツと靴音もする。
レティシアの眠気が吹っ飛んだ。
目だけをキョロキョロと動かして、耳をすます。
もう音はしない。
・・・あれは家鳴りね。
うん、きっとそうだ。
そうに違いない。
一人で無理矢理納得し、再び目を瞑る。
誰に言うでもなく、独り言が出る。
「ああ。それにしてもアンソニー君。お水がそんなにも怖かったのかなー・・・」
『うん、そうなんだ。水が流れるのを見ると、足が震えちゃって』
「ああー、それはトラウマになったんだね・・・・って、誰ぇぇぇ?!」
レティシアの横に、小さな男の子が座っているではないか。
「ギャアーーーー!!」
男の子から遠ざかろうと、下がり過ぎてベッドマットからずり落ちた。
『大丈夫?』
心配そうに覗き込む男の子は、とても可愛い顔をしている。
しかも男の子の容姿は、レティシアと同じ金髪に紫の瞳。少々違うところはうっすらと足が霞んでいるところ。
・・・足・・ぼやけてるよね?
ここで恐ろしい容姿の幽霊さんなら怖かったに違いないが、なにしろ可愛いのだ。
良く見ると、全く怖くない。
それに、男の子は5歳くらいで、顔も自分に似ているために親近感が湧いた。
『えーと、呼ばれたから出てきたんだけど・・、僕アンソニーだよ』
レティシアが弟みたいだと思ったのも仕方ない。
遠いご先祖様だった。
「アンソニーって・・本当に?」
アンソニー君がうんと頷く。
「水が怖いアンソニー君?」
もう一度うんうんと頷くアンソニー君。
『僕のせいで子孫が大変そうだから、ちょこっと応援しに出てきたよ』
・・・くっ、ありがたいーー。