49 恋愛補習授業
時間は、50分前に遡る。
エルエストは夢現だった。
この王子宮にレティシアがいると思うだけで、空気が甘く薫る。
王子宮に差し込む光も、虹色に輝いているのだ。
足取りが軽すぎて、浮かんでいるようにすら感じる。
まさに有頂天。
「さあ、レティシアに会いに行くぞ!!」
気合いを入れて自分の服装を何度もチェックする。
そして、集めに集めたプレゼントをレティシアの部屋に運ばせた。
山のような贈り物に、声も出さずに驚いているレティシア。
瞬きも忘れて見開かれた眼は、きっと喜びで一杯なのだ。
と、自分勝手な妄想を爆発する、恋愛知能指数20そこそこの王子。
更に、ここでとっておきの品物を投入。
王家の紋章入りのペンダントを渡してプロポーズだ!!
と思っていたのに、邪魔が入った。
それはまさかの実兄。
しかも、いきなり羽交い締めにされて、レティシアの元から連れ出された。
行き先はハリーの自室。
「エル君、早く席に着きなさい」
教師の役に扮したハリーは、教鞭で机をペシペシ叩き、のりのりである。
しかし、一世一代のプロポーズを邪魔されたエルエストは、むすっとしている。
しかも、あのペンダントをレティシアの首に掛ければ、成功するはずだった、とこれまた勝手な未来を予想していたのだから、手に負えない。
なので、エルエストは助けられたとも知らず、ぶうたれた顔でハリーに
問う。
「兄上? 一体、これは何の真似ですか?」
ハリーは聞かれた事に答えず、
「そこの残念な君、無駄口を叩かない。さあ、これより恋愛マスターによる恋愛補習授業を始める」
「れんあ・・い・・ほ・しゅう・・?」
エルエストは、聞き馴染みのない言葉に戸惑った。
全く理解が追い付いていないエルエストを置いて、ハリーはとっとと授業らしきものを始める。
「それでは第一問。現在王子宮にいる愛しいレティシアに、宝石を見せて『気に入ったのがあればあげるよ』と言うと、彼女は喜ぶでしょうか?」
男子生徒のエル君は元気よく頷く。
「そりゃ、女の子は喜ぶだろう?」
「根拠は?」
心なしか恋愛マスターが、憐れむような顔をしている。
「だって、女性はキラキラした宝石が好きだろう?」
「ブブーー」
ここで後方にいた授業参観ならぬ、見物人の二人から深いため息と共に、ダメだしを言われた。
「お聞きになりました? シルフィナ王妃。女性が何でもかんでもキラキラした物をあげれば喜ぶって、エルエスト殿下って単純な思考回路の持ち主だったのね」
側妃の言葉がエルエストの胸にぶっ刺さる。
だが、落ち込むのはまだ早い。さらに実母の攻撃も的を射ていた。
「まあ、父親(国王)があんなだったから、お手本が悪かったのね? 相手の女性を見ずに初デートのときにやらかしてしまうタイプね」
バルコニーに続くカーテンの後ろから、女性が出てきて言いたい放題。
エルエストは母親にもダメだしされて、焦った。
「な、なんで、二人がここにいるんですか?」
「だって、ハリーが面白いことをするって、マットから聞いてここに忍んでいたの」
あっけらかんとアレイト側妃が答える。
いじけるエルエストを見て、ハリーが廊下へのドアを開いた。
「保護者の方、授業参観は終わりです。授業の邪魔なので、ご退出を」
「ええーー。面白いのにぃ」
尚も居座ろうとする二人に、眇めた目を向けるハリー。
冷たい眼差しを向けられた二人は、
「ハリーったら、ちょっとくらい見せてくれてもいいじゃない」と、
ぶつぶつ言いながら部屋から出ていった。
「ふー・・静かになった・・。では授業を再開するよ。エルはレティシアを喜ばせたいんだろ?」
「そうだけど・・・」
エルエストはダメだしされて弱気になっている。
「じゃあ、私たちに群がってくる女の子とレティシアとは同じものが好きじゃないって分かるよね?」
はっとするエルエスト。しかし、すぐに顔を下に向けて項垂れた。
「でも、豪華な食事もドレスも宝石も喜んでくれないなら、他に何をどうすればいいのか・・・」
「エルはレティシアともっと話をしなくちゃいけないね。レティシアが喜ぶもの。それと困っている事。それを聞いてプレゼントを考えてごらんよ」
「レティーの本当に喜ぶもの・・」
ハリーの言葉に何か思い付いたのか、一番良い笑顔で「分かったような気がする」と席を立った。
「ありがとう、ハリー兄さん」
走って出ていく弟の背中を見ているハリーは、とてもスッキリとした気持ちになっている。
「久しぶりに『ハリー兄さん』て呼ばれたな。ふふふ、可愛い弟の力になれたかな?」
とまあ、こんな理由で再びエルエストはレティシアの前に現れて、今に至るのだった。
ハリーにヒントをもらったエルエストは、食事中はお互いの事を沢山レティシアと話をした。
その中の話題でレティシアが困っていることを聞いたエルエストは、早速行動に移す。
「レティー。一緒に庭園を歩かないか? 腕のいい庭師を紹介するよ。庭園の事で聞きたい事があるだろう?」
「まあ、ありがとうございます」
現在オルネラ村にある数軒の和風旅館の庭園の事で聞きたい事があったのだ。
エルエストが呼んでくれた庭師は、とても誠実そうな男性だった。
いくつ質問をしても、いやがることなく、丁寧に答えてくれた。
「今の時期、すぐにでも広がる雑草をどうにかしたのですが、いい案はありますか?」
「そうですね。引っこ抜いてもすぐに生えてくるのが、雑草です。引っこ抜くのは時間と労力がかかりますが、そんなことをしなくても、雑草の茎と根の境目を切るんですよ。そしたら暫くは生えて来ませんよ」
レティシアには庭師の話は、目から鱗の話である。
その他にも疑問に思っていることを質問をした。
その間、エルエストは気長に待ってくれている。
質問が終わると庭師にお礼を言い、エルエストにも、「今日は庭師の方を紹介して下さって、本当にありがとうございます」と深く頭を下げた。
その顔が生き生きとしていることから、レティシアが心の底から感謝しているのが分かったし、エルエストも十分に手応えを掴んでいた。
先日までの『押せ押せがむしゃら王子』の影を潜ませて、今は余裕すら感じる。
そう、恋愛マスターの授業はすごいのだ。
エルエストは教えられた通りに、焦らなかった。
じっくりとレティシアと会話をし、彼女が今本当に欲しい物はなんだろうと考えつつ、楽しく話をしていた。
ルコント領は今人が流れて来ている。
未開の土地を開墾すれば、2年間は税金を免除という厚待遇も噂を呼び、沢山の開拓希望者がルコントに来ているが、書類審査の上で入植者を決めている。
それに伴い、やはり新しい住人と古い住人の間でトラブルも起きていると聞いたエルエストは、王家の過去30年間の水利関係の判例集を持ってきてレティシアに渡した。
「王宮からの持ち出しは禁止だけど、今日中に返却すれば大丈夫だから、ゆっくりと読んでね」
と本だけ置いて部屋を出ていくという、さりげない優しさを見せるまでに至った。
端から見ても、レティシアもエルエストを頼もしく見ていて、良い感じになっているのが分かる。
後はエルエストが勇気を出して、告白するれば絶対に良い返事をもらえるはずだと、ハリーと二人の妃殿下も疑っていなかった。
誰もが、エルエストが花束を持ち、情熱的に愛の言葉をレティシアに捧げ、彼女もうっとりとしながらその言葉に頷くという劇的なシナリオを想像していた。
だが、エルエストは最後のフィニッシュで焦ってしまったのだ。
そう、人生に於ける一番根性を見せるときに、彼は安易に手に入る方法を選択してしまった。
つまり、やらかしてしまったのだった。




