38 諦めの悪い叔父
マルルーナがいなくなった王子宮に、今度は叔父のヤニク・ワトー男爵がやってきた。
人事課のパスカルに呼ばれたからだ。
自分の領地の経営悪化と、夫婦の危機で八方塞がりの中、すっかりレティシアの事を忘れていた。
なのでパスカルに呼び出されたヤニクは、てっきりレティシアを侍女にする件だと思い、イライラしながらも素直に王子宮に足を運んだ。
だが、パスカルがヤニクを呼んだのは、レティシアの事ではない。
既にパスカルは、レティシアが伯爵として自立しているのを把握していた為、今さらその用事でヤニクを呼び立てる理由がない。
パスカルがヤニクを呼び出したのは、領民の娘達を下級侍女として王宮に紹介した件である。
ヤニクが領地から連れてきた侍女達は、王子宮の仕事が過酷な訳でも、給料が薄給でもないのに、逃げ出す者が後を絶たないのだ。
調べると、その侍女達の上前をヤニクが撥ねているという事実が浮かび上がってきた。
いや、彼が搾取しているのは、一部ではない。
彼女達の給料の90%を盗っているのだ。
そして、その残った僅かな給料から彼女達は家族に仕送りをしていた。
公には領地の問題は、その領地で解決させるべきことだが、ここは王宮だ。
流石にパスカルもこの違法な状態を重く見た。
そしてこの問題を詰問すべく、パスカルは彼を呼んだのだ。
そして呼ばれたヤニクが遭遇したのが、運の悪い事に侍女姿のレティシアだ。
「久しぶりだな、レティシア」
耳障りな声を耳にしたレティシアは、一度目を瞑り、深呼吸してから振り向く。
「まあ、叔父様。お元気そうで何よりですわ」
「そんなに虚勢を張らずともよい。やはり領地経営がうまく行かず、ここで働く事になったのだな?」
顎をさすりながらニタリと嗤う叔父に、うんざりしながらも反論した。
「いいえ、領地は今現在、とても順調です。今はその、・・・エルエスト王子殿下の元で一週間の・・謂わば研修で来ておりますの」
「ほほう、嘘はよくないぞ。まあ、今日ここで会ったのは良かった。ルコントの領地の様子を見に行ってやるから、待っていろ」
「今さら見に来られても困ります」
そう言ったレティシアの言葉を、ヤニクの自分勝手な脳みそには『見に来られては、恥ずかしいくらいに落ちぶれているので困る』ということなのだと、勝手な解釈に変わっていた。
(やはり、天は俺に味方にしている。レティシアが行き詰まって侍女になっていることを、わざわざ知らせてくれたのだからな)
そして、ツルンツルンの脳みそで都合のいい事を夢想する。
面倒なパスカルの呼び出しの後、レティシアに経営の失敗の責任を追求し、今度こそ追い出してルコントの領地を自分の物にしよう。
今後の計画を考えると自然に笑いが出ていた。
笑顔のまま人事課に入室すると、鋭い眼差しのパスカルに、睨まれた。
しかし、すっかり気分がいいヤニクはパスカルの顔に気がつかず、見当違いの発言をする。
「パスカルさん、レティシアの侍女の件ですがね、もうすでにルコント領地を捨てて、この王子宮で働いてましたよ」
「・・・。あなたは何を言っているのですか?」
パスカルのピシャリと撥ね付ける厳しい態度に、ヤニクは怯んだ。
「え? だから、姪のレティシアの事ですよ」
再びヤニクが伝えると、手に持ったペンをヤニクに向けつつ、今回の呼び出した意図を説明する。
「私が貴方をここに呼んだのは、貴方には詐欺の容疑がかかっているからです」
「いきなり・・何を?」
てっきりレティシアの件で呼び出されたと思い、安心しきっていたヤニクが身構えた。
「貴方は領地の娘達を王子宮の侍女として仕事を斡旋しているが、実はその給料の全てを搾取しているという容疑がある。それについての弁明はありますか?」
パスカルはヤニクの返事を待っている。
ヤニクは蛇に睨まれた蛙のように、脂汗を垂らし、必死で言い逃れる方法を考える。
「・・ああ、あの子達は勘違いをしているんですよ。貧しい子供が大金を持つと騙されたり、なくしたりするでしょう? それに若いとついつい無駄遣いをする。だから、私はそういった事がないように、こちらで貯めてやっているんですよ」
ヤニクは身振り手振りを大きく、いかにも領民の事を考えての行動だったのだとアピールして見せた。
もちろん、侍女から巻き上げたお金はとうの昔に使いきってないが。
「では、本当に彼女達のお金は、貴方が管理してあるのですね?」
パスカルが信じたのか、微笑んで問う。
「ええ、勿論です。これは領主としての親心みたいなものです」
自分で言ってても可笑しくなる台詞だ。
しかし、笑っていられたのもここまでだった。
「では、その親心で貯めていたお金を来月に持って来ていただけますか?」
「ら、来月?」
手元の資料を見ながら、パスカルが蒼白となっているヤニクを更に追い込む。
「来月に持ってこれないならば、王宮の侍女の給料を搾取した罪で、罰せられるので、1レニーも間違いなくご持参下さい」
「クッ・・・わかりました」
人事課の部屋を出たヤニクは、手っ取り早くお金が手に入る方法を考える。
呆然自失状態で、ふらふらと王宮の廊下を歩いている時に、レティシアが浮かんだ。
「くそっ、こんな事に巻き込まれたのもレティシアのせいだ」
「レティシア?」
ヤニクの呟きを聞き付けたのは、マルルーナだった。
王子宮から王宮へ配属が変わったマルルーナは、諦めずに王子宮の近くを彷徨き、虎視眈々とチャンスを待っていた。
それが、急に邪魔なレティシアを排除する機会が、向こうから歩いてきたのだから、これを逃す訳がない。
「そこのおじさん。今レティシアって言ったわよね? もしかして貴方は、ヤニク・ワトー男爵かしら?」
急に呼ばれてヤニクが振り向けば、それはしがない侍女だった。
「侍女の分際で、何の用だ?」
同じ男爵のクセにとは言わず、マルルーナは笑みを向けて近寄る。
「レティシアの事を王子宮の侍女にし損ねて、お金がないのね? でもねえ、ルコント領は、本来貴方の物だったのよ? 奪われたままでいいの?」
言っている事は不穏な発言だが、マルルーナが首を傾げて言うと、お菓子の話のような軽い感じになる。
「お前に言われんでもわかっている。だが、今はまだ奴が正式な領主なのだから、仕方ないだろう?」
国王の割印まで入った書類があるのだ。上手くやらないとルコント領は手に入らない。
事は慎重に運ばなければならないのだ。
「もしかして、『慎重に』って考えていない? そんな悠長なことを言っている場合じゃないのでしょう?」
まるでヤニクの心を読んでいるかのように、侍女ははっきりと告げてくる。
そして、可愛い顔をした口には似合わない恐ろしい言葉をいとも簡単に吐いた。
「殺してしまえば、領地は叔父である貴方の物よ」
「そ、そんな・・すぐにバレるだろう!?」
流石に殺しまでは考えていなかった彼は、あからさまに戸惑っている。
(なんて小心者なの? 使えないわね!!)
狼狽えるヤニクにうんざりしながらも、手口を伝授する。
「あの小娘の領地の人々はきっと苦労していると思うわ。だから、自分が領主になれば、もっと良い暮らしをさせてやれるとかなんとか言いくるめて、ルコント領の平民に殺させるのよ」
「そうか、自分の手を汚さなくてもいいわけだな? 少し大金を見せればやってくれる奴もいるだろう」
ヤニクとマルルーナは互いの利害が一致し、ほくそ笑む。
「それで、ルコントが俺の領地になれば、隣の領地のドーバントン公爵に売れば高く買ってくれるかもしれん」
さっきまで、金の工面を考えていたのに、もう大金が手に入った。
正確にはまだ手にしてないが、すでに大金が自分の手に入ったも同然だった。
素晴らしい考えをくれた侍女に、「ありがとう。君のお陰で助かったよ。来月ここに来る時に、お菓子でもあげよう」
にこにこと手を振って去っていく男を見ながら、マルルーナは『けっ』と吐き捨てるように口を歪めた。
「何が『お菓子でもあげよう』だ。まあ、ヤニクが殺ってくれれば万々歳だし、出来なくても領民に傷つけられたなんて言ったら、誰にも相手してもらえなくなるでしょう。王子にもね」
簡単に納得したヤニクが、バカで良かったと声を張り上げて笑いたいが、我慢する。
「自分の手を汚さないって言うのは、私の事よ。ヤニクはもう人に依頼した時点で自分の手を汚したも同然なのに」
この好機が今転がってくるなんて、やはり自分はヒロインなのだと、神様に愛されている状況を喜ぶ。
「さて、そろそろ魔力を使いきって弱っているマットに優しい言葉をかけに行こうっと」
急に前途が開けたマルルーナは、王子宮と王宮の間にある建物に走っていった。




