37 ヒロインとご対面
侍女の休憩室には沢山の侍女が、僅かな休み時間をお喋りしたり、足を揉んだりと各々好きに過ごしていた。
ここは下級侍女の集まりで、レティシアがお願いすれば、すぐに休憩中にも拘わらず、お仕着せを渡してくれた。
そこで少し気になる話を耳にする。
「男爵令嬢ってだけで、私達をバカにするあの態度が腹立つんだけど」
「ああ、あの女ね? さっきも王子を追いかけて足蹴にされてたわ。見ていて面白かったもの」
男爵令嬢って誰だろう?
もしかして、ヒロインだったりするのかな?
とレティシアは考えたが、それではあまりにも小説と人格が違いすぎるし・・・。
等々とうーんと考えたが、それよりも早くこの侍女のお仕着せに着替えなければと、侍女の休憩室の奥の部屋を借りて、さっさと服を着替えた。
侍女服を着て、意気揚々と王子宮に戻る。そして、エルエストの部屋をノックした。
「レティシアです。遅くなって申しわk」
「遅いよ!!」と飛び出てきたエルエストは、レティシアの服装を見て、数秒停止。
そんなエルエストに気が付かず、『遅い』と叱られた事への謝罪を再び口にする。
「遅くなってすみません。すぐに働きますので、ご用をお申し付け下さい」
「エプロン姿も可愛い・・・。じゃなくて!! 部屋にあったドレスは?!」
エルエストが正気に戻り、レティシアの腕を掴んで、自分の部屋に引っ張りながら、ドレスを着ていない事を問い詰める。
「あの、私は専属侍女としてここに来たのですから、しっかり仕事をしようと・・・」
エルエストが項垂れているところを見ると、どうやら部屋にあったあの豪華なドレスを着るのが正解だったのかと、今気が付いた。
「まあ、今日はその姿でもいいよ。その代わり、侍女として俺の身の回りの世話をきっちりとしてもらうからね」
エルエストはさっきまで項垂れていたのに、急に考えを方向転換したようで、機嫌が良くなる。
「はい、勿論そのつもりです」
元気に返事したレティシアは、数分後、自分の考えていた仕事とエルエストとの認識のズレを経験するのだった。
――あれ? ・・・・おかしい。思ってたのと大分違う。
レティシアは、今王子の部屋に隣合って座り、ケーキを食べている。
雑巾がけをするのでは?
掃除や洗濯、シーツ交換などをするのでは?
なんて考えながら、侍女とは全く別の仕事? をさせられている。
これで合っているの?
考える間もないくらいにエルエストが、ぐいぐい仕掛けてくる。
しかも、『このケーキも食べてごらん』と王子様自らケーキの載ったフォークをレティシアに差し出しているではないか。
「これは恋人がする『あーん』に似ているが、違うはず。だって恋人同士ではないもの。このような仕事があるのよ。きっとそう。『あーん』とは似て非なるもので。うん」
「何をぶつぶつ言っている? 早く食べてごらん」
「毒見? または味見? それならば分かるわ。これはそういう類いの仕事なのよね?・・・」
レティシアは頭が沸騰する前に、パクリとケーキを食べた。
「このクリーム美味しい・・」
レティシアは、毒味の仕事だと割りきって食べたが、そのクリームの美味しさに全て忘れる。
目を丸くして唇に付いたクリームを舌を伸ばしペロッと舐めると、目の前のエルエストが横を向いた。
(毒見と言えども、舐めるのはお行儀がよくなかったのね)
レティシアは一人で反省をしているが、実際にはエルエストがペロリに悶えているだけである。
すっかり食べ終わったので、片付けをしてテーブルを拭くレティシアを、何故かうっとりと見詰めるエルエスト。
レティシアはティーカップやお皿を持ち、部屋の外に出ようとするが、夢うつつから我に返ったエルエストにドアの前で通せんぼされた。
「新婚生活を想像していた・・」
想像する力が作家レベルまで逞しくなっているエルエストは、脳内でレティシアとの間に出来た子供まで抱っこしている最中だった。
「レティーは、ここにいて。運ぶのは他の者にやらすから」
「はい、では拭き掃除等をしましょうか?」
「レティーはそこに座ってて」
じっとするように言われ、仕方なく座っていたソファーに戻る。
王子が侍女を呼ぶと、勢いよくドアが開き、入ってきたのはマルルーナだ。
「エルエストさまぁ。お呼びですか?」
あざといまでに腰をくねらせ、侍女のお仕着せの前ボタンを上から二つも外してエルエストに近づく。
「なぜ、お前がきた? 侍女長を呼べ」
マルルーナを一目見るなりエルエストの眉間のシワが谷のように深く刻まれ、険しい顔になった。
「待って、エルエスト様は何か誤解を・・・」
マルルーナはソファーに座っているレティシアと目が合った。
暫くパチクリパチクリと瞬きしていたが、レティシアの頭から爪先までじろじろ見て、ニヤリと笑う。
その笑みは、小説に書かれていたような白ゆりのような清廉の微笑みではなく、肉食の尖った牙が見えそうな笑いだ。
「あなたは、レティシア・ルコントよね?」
「はい、そうです」
正直王子宮では会いたくなかった。
「やはり王子宮に侍女としていたのね」
マルルーナは嬉々としていたが、すぐに顔を曇らす。
「もう、ここまでお膳立てができているのに、なんでエルったら私に惚れないのよ・・・おかしいわ」
独り言のマルルーナに、エルエストは厳しく言い渡す。
「今、君はレティシアを呼び捨てにしたな? 彼女はれっきとした伯爵だ。ルコント卿と呼びなさい」
マルルーナは、格下に見ていたレティシアが、実際には伯爵になっているという事実に驚く。
すると彼女の顔に、じわじわと表れる悪意。
「あんたが原因なのね!!」
今にも掴み掛からんとするマルルーナだったが、伯爵に手出しをした後の処分を考えたのだろう、悔しそうに自分の右腕を左腕で押さえ、頭を下げた。
「申し訳ございません、エルエスト殿下。以後気を付けます」
「謝るならルコント卿に謝れ」
「くっ!! 申し訳ございませんでした」
頭を上げたマルルーナの額には、怒りで血管が浮いている。
「わかったら、この食器を持って下がれ」
震える手で皿を掴み、ティーカップを持ち、その動作は恐ろしく緩慢でありながら、呼吸は荒い。
フーフーと怒りの遣り場を堪えているのだ。
全身からレティシアに呪いを放っているかのようだった。
マルルーナが部屋から出た途端、レティシアはソファーにずり落ちた。
(怖すぎる。あれがヒロイン? ヒロインの可憐さなんて微塵もなかったわ)
まるでヒロインが悪魔のようだったのだ。
「大丈夫? あの侍女は少し前にここ王子宮に入ってきたが、何を考えているのかわからないんだ。ここでの業務を全く覚えず、俺を含めた男性を追いかけ回しているんだ」
(ヒロインが男を追いかけ回しているの?)
あり得ないストーリーに、困惑するレティシア。
それを見たエルエストは、他の意味に捉えた。
「そんなに不安な顔をしないで。俺はあんな女に見向きもしない。それに侍女長に相談して、明日には王宮に移動してもらうよ」
「はあ・・。お心遣いありがとうございます」
別に見向きしてもらってもいいのだが・・。
でも、あんなに恐ろしい顔を向けられるなら、王子宮ではない別の場所にいてくれる方がいい。
その程度にレティシアは軽く考えていた。
マルルーナの事を『性格が怖くなったヒロイン』と思うだけで、強欲な女の本質を深く見ようとしていなかった。
壁を蹴るヒロインのマルルーナ。
いや、その行動は正に悪女。
「悔しい。そうかあの女がこの話をめちゃくちゃにしたのね。どうりで、学校でもここでもエルエストの態度が違うんだ」
マルルーナも転生者だ。
マルルーナはすぐにここが小説の中と同じだと気が付いた。
さらに、他の人物とは明らかに違う薄いピンクの髪の毛に、紫の瞳。
美しく愛らしい容姿に自信を付けていく。
しかし、学校に通い出してもエルエストに近寄れもしない。
その近衛騎士のルイス・クレマンにも一瞥されただけで、なんの成果もない。
他のモブキャラでさえも、ヒロインの効果がない。少し微笑めば、モブ等は恋に落ちるのではと思っていたが全くだ。
モブでさえこうなのだ。
主要人物に至っては、全て遠巻きにしか見ることが出来ない。
どうして、小説通りに物事が上手く行かないのだと焦っていたところに、レティシアが全く別の役柄で登場したのだ。
当然、怒りの矛先はレティシアに向けられる。
「それもこれも、レティシアが勝手な行動をしちゃったせいだったのね。今に見てらっしゃい。エルエスト、マット、待っててね。私が間違ったストーリーから守ってあげるわ」
しかし、その夜にマルルーナの仕事場は王子宮から、王宮に変更になった。
エルエストが侍女長に頼んだこともあるが、それよりも若い貴族子息を追いかけるばかりで、全く仕事をしないという理由もあった。
それと下級侍女への嫌がらせが酷く、見兼ねた侍女長が前々から異動を考えていたというのもあったのだ。
つまりは数が多い下っ端への左遷だったのだが、そうとは知らないマルルーナは、自分が王宮勤めに選ばれた人物なのだと、鼻を高くして出ていった。




