33 屋敷に住人が!
王子が選んだ使用人が来た。
始めに来たのは侍女だった。
侍女は35歳のふくよかな女性で、いかにも優しげだ。
彼女の名前はリズ・ワンゼン。
彼女には子供がいるのだが、ここにいる時には王都の家で留守番をさせると聞いて、レティシアは驚く。
通勤時間が掛かりすぎる事も驚きだが、その間幼い子供だけでずっと留守番させるのは、心が痛む。
この世界には保育園もないのだから、是非この屋敷に連れて来るように言った。
すると住み込みで、働かせて欲しいとお願いされる。
そんな嬉しい申し出をされるなんて思ってもおらず、喜んでレティシアは了承した。
つまり、これでこの屋敷に住人ができたのだ。
しかも、その後すぐ二人目の使用人(執事)がきた。
執事は37歳のロバート・ワンゼン。七三分けの黒髪に黒縁眼鏡。
まさに几帳面、と言った感じだ。
名前の通り、この執事と侍女のリズとは夫婦だ。
子供は息子のコーリー・ワンゼン、10歳。
父親そっくりな黒髪で、しっかりものだ。
そして、娘のケイト・ワンゼン4歳。
彼女はとにかく愛くるしい容姿で癒される存在だ。
護衛騎士は必要ないと言っておいたのだが、せめて一人は傍に置くようにと言われトラビス・ハイムが護衛でやって来た。
18歳の騎士は幼馴染みの婚約者がいるらしく、昼間の護衛が終われば飛ぶように帰っていく。
王子宮に勤めていたのに、ルコントの方が婚約者の家に近いという理由だけで、この仕事を引き受けてくれたそうだ。
夜はレティシアが屋敷に入れば、この屋敷の結界が住人を守ってくれるため、夜は護衛が必要ない。
なので、騎士はレティシアが屋敷に入るまでが仕事の、至ってホワイトな仕事場である。
以前レティシアが幼い頃、この屋敷には沢山の使用人がいた。
しかし、母の使用人に対する態度が悪すぎて、その余波が娘のレティシアにも及んでいた。
使用人達の態度は慇懃だが、親しみを感じることはなく、一定の距離を保って接していた。
そのため、この屋敷でレティシアはいつも孤独を感じて育った。
それが今、ワンゼン家の家族とは家族のような親しみを感じている。
リズは働き者のお母さん。レティシアを伯爵として敬語で接してくれているが、二人の子供と分け隔てない愛情を感じた。
疲れて帰れば、温かい食事を作ってくれている。
初めてその料理を食べた時には、少し涙が出てしまった。
執事のロバートは、生真面目そうに見えて、レティシアのやりたいように自由にさせてくれている。
しかも、その後のアフターフォローは万全なのだ。
最初二人の子供達は、レティシアを遠巻きに見ていたが、レティシアが優しく接っしているうちに、いつの間にか本当の姉のように懐いてくれている。
そして、護衛騎士のトラビス・ハイムはやんちゃなお兄ちゃん的存在。
それに、彼のお陰で今まで徒歩で移動していた領地の隅々を、馬で移動できるようになった。
これは本当にありがたい。
当初使用人は必要ないと言っていたレティシアだったが、既にいないと困るくらいになっていた。
どんなに忙しくても、屋敷に帰れば出迎えてくれる人がいて、温かい料理を出してくれる。
沢山の書類も、執事がきれいに整理してくれているので、見やすくなっていた。
しかし、いつまでも平和な日は続かないものである。
こんな心地の良い屋敷から、恐ろしいあの王子宮へ行く日が来てしまった。
レティシアは、朝から食欲が落ち込み、目は死んだ魚のように虚ろである。
「レティー様。今日はあの王子宮に行かれる日なのですよね?」
まるで、牢獄行きのようなレティシアに、リズが困惑している。
きっと、大喜びで出発すると思っていたのに、この態度である。
「レテさま、行くのいやなの?」
心配して近寄るケイト。
「行きたくない・・・。この家がいいけど・・。頑張ってくるわ。だって、お仕事だもの」
レティシアがケイトを抱き締めて、自分を励ますように言う。
それを見ていた、ワンゼン夫妻とトラビスが首を捻っている。
「普通、この年の女の子なら王子宮に行けるなんて、大はしゃぎするところだよな?」
トラビスは最近まで王子宮にいたが、我先に王子に会おうとする女の子しか見なかった。
だが、レティシアは項垂れて生気すらない。
「なんで、エルエスト王子が必死になっているのか、分かった気がしますね」
ロバートは分析結果をリズに話す。
「きっと、逃げられる経験をしたことのない王子が、理由をつけて無理に傍におこうとして、裏目に出ているんですね」
面白そうに笑う夫を睨み付けるリズ。
リズはいつも元気なレティシアが、意気消沈しているのが可哀想でならない。
すっかり、自分の娘のように心配しているのだ。
「レティー様、それほどにお嫌でしたら、私からエルエスト王子にお断りの返事を言いましょうか?」
レティシアは一瞬嬉しそうにお願いしようかと顔を上げたが、すぐに思い直した。
「いいえ、負けた上にその約束を反古にしたとあっては、領地の名に傷がつきます。この領地がバカにされるようなことは出来ません。私、この仕事を成し遂げて、絶対にこの地に帰ってきます」
レティシアは今から戦場にいくかの如く、決意表明を言い、引き締めた表情を向けた。
「偉いですわ、レティー様。領地のために、頑張って行ってらっしゃいませ」
お互いの手を堅く握る二人を、トラビスとロバートが遠い目で見ている。
『いったいなんの話なのだろう。一週間後には帰ってこられるというのに・・・』
この台詞は決して声に出してはいない。
二人の胸の中で思っただけである。
「あの、別れを惜しんでいる所、誠に申し訳ないのですが、今屋敷の前にお迎えの馬車が到着したので、そろそろ行きませんか?」
トラビスがレティシアに言うと、名残惜しそうに、リズの手を放した。
玄関を出て、いつもながらの豪華絢爛の馬車が貧相な屋敷に横付けされていた。
そこから、キラキラの馬車に負けないくらい華やかな王子が、笑顔で降りて来た。
エルエスト王子だ。
にこやかにレティシアの手を取り、優雅にエスコート。
リズに髪の毛もセットしてもらったレティシアは御姫様のよう。
それにエスコートしているのはキラキラ王子。
それは美しい絵画のようだった。
惜しいのは姫様役のレティシアの顔が、ひきつっているところだろう。
これが笑顔ならば、誰もがうっとりとするところだった。
その二人を沢山の領民が見送りに来ている。
王子の馬車を、領民が見に来るというのは、どの領地に視察に行ってもよくある光景だが、今回は様子が違う。
「王子さまー、絶対にレティー様を返してくだされー」
「レティー様、ご無理をなさらず辛くなったらすぐにお帰りを!!」
「エルエスト王子殿下、我がご領主様をよろしく頼みます。必ず返して下さいませぇぇ!!」
それは、たった一週間領地を離れる領主を見送りにきた領民で溢れていたのだ。
この場合、王子を見に詰め掛けたのではなく、レティシアを連れていく王子に釘を刺すために集まったのである。
なかなかない光景に、王子の護衛騎士は驚いていた。
更に、王子の横で窓から顔を出し手を振るレティシアも喜びとはほど遠い寂しげな表情だった。
馬車が小さくなるまで、領民は見送っていた。
それを見たレティシアが、なんとも言えない顔でポツリと悩みを漏らす。
「仲良くしてくれれば・・」
「どうした? 悩みか?」
エルエストに言われ小さく頷く。
「オルネラの村人とルドウィン町の住人があんな風に一緒に仲よくしてくれたらいいのですが・・・」
領民は仲よくレティシアを見送っていたのに?と、エルエストが馬車の後ろの小窓を開けて、見送っていた人々を見る。
小さくて、顔はもう分からないが、しっかりと二つの集団に分かれている。
「確かに・・」
うーむとエルエストが唸る。
レティシアの悩みは、未だに領地の人たちの間には大きな溝があることだ。
二つの地域はお互いに豊かになっても、未だ交流がない。
お互い、避けているのだ。
ここまで有名な観光地になれば、二つの村と町で伝達事項のやり取りが生まれる。が、それだけだ。
事務的な関係だけが続いている。
その溝をどうすればいいものやら。
レティシアは、今日もその問題に頭を悩ませていたのだが・・。
この悩みがレティシア不在の時に、思わぬ形で解決するのだが、まだ先の話である。




