31 悠々自適な一人暮らしが・・(2)
食事を適当に食べていると言ったのが間違いだった。
厳密には言っていないが、しっかりと不摂生がバレてしまった。
日頃の食生活にダメだしをされて、俯くレティシア。
更に、山積みの書類にも言及された。
「ねえ、この書類の量は尋常じゃないよ。こんなにも沢山の書類をレティシア一人で終わらせようとしていること自体、無理なんだ」
エルエストが机をコンコンと叩く。
「そんなことはありません。夜中まで目を通せばなんとか、間に合っています」
この言葉で、さらに二人に心配げな目を向けられた。
「夜はきっちり寝ているんだよね?」
「ええ、その・・適当に・・」
二人の王子が目を眇る。
その目を逸らすように、横を向くレティシア。
そして、何も話していないのに二人の王子はアイコンタクトで頷き合う。
レティシアが知らないところで、今何かが決定したようだった。
まず口を開いたのはハリーだ。
「いいかい、レティシアは私の母の恩人でもある。その恩人がこのような惨めな暮らしをしているなんて、私が許さない」
ーー惨めって・・・。
レティシアは困惑する。自分にとって、優雅な一人暮らしを満喫中だったのに、それを惨めな暮らしと言われてしまったのだ。
しかも、その話しっぷりから、この満ち足りた生活が終わろうとしているではないか。
止めなければ!!
レティシアは、「でも、この生活に私は不満はなく、むしろ・・」
「「この生活に不満がないだって?!」」
ハリーとエルエストの両王子に、目を剥かれて怒られる。
「やはりこのままではだめだな、エルが言ってたように侍女と執事の手配をしなければいけないな。それに不用心すぎる。護衛の騎士も必要だ。護衛騎士は、私に心当たりがある。えーと、侍女は・・」
口を挟もうとレティシアが言い掛ける。
「あの・・私は・・」
しかし、二人には聞こえていない。
「兄上、大丈夫です。侍女については、信用出来る人物を俺が確保できます」
「も、もう決まっているの?・・・」
レティシアの質問にさらりと答えるハリー。
「二人で話し合った上で、どちらに転んでも良いようにしようと決めたのだ。彼女には貴族としての教育も必要だ。私はマナー教師と家庭教師も準備している」
「どちらに転ぶって?どういう・・・?」
レティシアの話し合いが、レティシア本人の前で次々と決められていく。
しかも、その本人であるレティシアの意見は全く反映されるどころか、無視されている。
元々このような話になったのは、昨晩エルエストが王子宮に帰った時に遡る。
「帰りが遅いから心配していたんだ。何かあったのか?」
ハリーが遅い帰りの弟を心配して、待っていた。弟だけを心配していたのではなさそうだが。
「兄上、レティシアの事が気になって屋敷に送りその後、暫く一緒にいたのですが・・」
エルエストの『一緒にいた』と言う言葉を聞いて、ハリーの顔が凍り付く。
その変化は分かりやすく、エルエストは次の言葉が言えなくなった。
「兄上もレティシアを好ましく思っているようですね?」
エルエストは兄の返事が『いいや』と否定してほしいと願う。だが、違った。
「・・・分からない・・・いや、そうかも知れない。だが、彼女はとても領地を大事にしている。だから・・」
「だから、手を引くとは思ってないでしょ?」
鋭い視線を兄に向けるエルエスト。
「そうだな。会う度に、彼女の懸命な姿に心を打たれている。きっとレティシアと一緒に過ごす人生は楽しいだろうと考えている自分がいるのも事実だ」
あまり物事に執着しないハリーが、こうまで欲を口に出すことは珍しい。
それだけで、彼がどれ程レティシアを思っているのか本気度が分かる。
「兄上、最初に会ったのは俺だ・・と言いたい所ですが、きっと順番は関係ない。レティシアがどちらを選ぶのか分からないからね。俺は自分のやり方で、振り向かせて見せる」
「そうだね、正々堂々と頑張るよ」
二人はお互いを認めた上で、レティシアに振り向いてもらうと決めたのだ。
そして、エルエストは再びさっきまで一緒にいたレティシアの窮状をハリーに教えた。
現状を聞いたハリーは、信じられないと首を振る。
「まさか、侍女も執事も、警護の者もおらず一人で屋敷にいるなんて、危ないだろう」
「そうなんです。しかも、一人で領地の管理をしているため、部屋に書類を山積みさせて、経理の仕事もしているんです」
ハリーとエルエストが頭を抱え、レティシアにとって最善の環境を作るために動きだした。
これが昨晩の出来事である。
そして、現在。
二人の協定により、レティシアは自由と言う名の汚部屋生活の終了を迎えようとしているのだ。
青菜に塩とは現在のレティシアの状態を指すのだろう。
二人の王子の話し合いには割り込めず、どんどんと規律正しい生活をすべきだと諭されて、侍女、警護の兵士、マナー教師に家庭教師を付けられてしまった。
あれよあれよと言う間に、決まっていくと同時に使用人との契約書にサインを求められる。
以前に叔父にサインをしろと強く言われた時を思い出す。
あの時は、誰がするものかと逃げられたが、今回それはできない。
「ほら、ここにサインして」
言い方は優しかったが断れない感でいうと、こちらの方が無理矢理に近い。
レティシアは言うがままに、しおしおと萎れたままサインする。
ため息つく間もない。
ハリーはレティシアのサインを確かめてから、レティシアの隣に座る。
昨日までのハリーのいる距離ではない。
なぜかとても近い。
「ほら、ここにもう一つサインして」
耳に触れそうなほどに近い場所で話すハリー。
(この兄弟は揃いも揃って、人との距離がおかしいわ。それとも私の耳が聞こえにくいと思われているのだろうか?)
と思いつつ、ハリーに言われたところに名前を書こうとペンを持ち、用紙にペン先を置いたところで、レティシアの隣、ハリーとは反対側にエルエストが乱暴にドスンと座る。
その衝撃で、レティシアのペン先が大きく跳ねてしまった。
「ああ、名前が!!」
レティシアは乱暴に座ったエルエストを不満げに見るが、エルエストは今サインをしようとしていた用紙をさっと抜き取り、内容をチェックする。
そして、レティシアの隣のハリーを睨むとその用紙をグシャグシャと丸めた。
「『領地経営が辛くなった暁には、第一王子の侍女として働く』って何だよ? 抜け駆けは禁止だろ?」
エルエストの睨む顔をさも嬉しそうに見ながら、「バレたか」と舌を出すハリー。
「え? 今の用紙にそんなことが書かれていたのですか?」
レティシアは驚きの声をあげた。
(やはりラスボスは、私を王子宮で働かせようとするのかしら?
危ないわ。サインする時には何度も読み込んでしないといけないわ。
でも、ハリー王子って舌を出して悪戯っ子のように笑ったりする人物だったかしら?)
今までと違うハリーに、驚くレティシア。
それにはエルエストも驚いていた。
いつも真面目な兄が、感情を出し、より自由に行動しているのだ。
自由で朗らかになった兄は、エルエストから見ても、魅力的に見える。
まずいな。レティシアも、このままでは兄上の虜になってしまう。
そう焦るエルエストだが、レティシアにとってハリーはラスボスとしか思っていない。
厳密に言えば、ハリーもエルエストも、レティシアにとって未だに恐怖の対象なのである。




