22 ラスボス現る
現在レティシアは冷や汗をかいている。
「これは一体・・? 私は何を間違えた?」
豪華な馬車に乗せられて、体をガッチガチに固まらせたレティシアは過呼吸寸前だった。
座席は生地はビロードで、その手触りは艶やか且つ滑らか。おまけにお尻に優しいクッションで座り心地は最高だ。そして、足元の絨毯はふっかふか。室内には煌めく装飾。
それになんと言っても・・・
さっきまで人事課の文官の下働きだと信じていたエルが、馬車に乗った途端に灰色の髪の毛を黄金色に変えて、優雅に座ってる。
レティシアは恐る恐る尋ねた。
「あの・・この馬車は、乗り合い馬車とはちょっと違うようだけど・・・えっと・・近頃の王都では、こんな感じの乗り合い馬車が流行しているのかしら?」
「そうだ」と言って欲しいレティシア。
だが、先程までの態度とは違うエルが、流し目付きでのたまった。
「これは、俺専用の馬車だよ」
『俺専用? 俺専用ってどういう事なの?』と大声で聞きたいが、それは脳内で響いただけであって、さすがに声には出さなかった。
いや、出せなかったのだ。
生唾をゴックンと飲み込み、今のエルの返事を繰り返す。
金髪の超美形男子+見たことないド派手な馬車+極めつけは、馬車の取っ手にまで付いている見慣れた王家の家紋=王子様?
どう考えても、この式の行き着く答えは王子様・・・だった。
1+1=2よりも簡単な答えで、間違うはずがない。
(それに、今考えれば『エル』って第二王子様のエルエストの略じゃない。
ああ、そんなこととは露知らず、
愛称呼びしちゃったぁぁぁぁ・・。
もう、答えを聞いちゃう?
処される前に・・・
聞いちゃう?
『もしかして、王子様?』
それを聞く前に、命の嘆願をしなければいけないかしら・・。
折角、領地経営が上手く回り始めてきた所なのに、神様!!ひどいわ・・)
一人悶絶状態のレティシア。
「ねえ、その百面相を見せてくれるのも嬉しいんだけど、ちゃんと顔を見せてよ」
「はい、どうぞ!!こんな顔で良ければ喜んでぇぇぇ!!」
居酒屋のような掛け声だが、レティシアは必死である。
今までの不敬を許してもらうために、もう土下座の準備は出来ている。
「ごめんね。王子って事を隠してて」
(聞くまでもなかったあ。
王子様と今決定しました・・。
処される?その前にする? 土下座する?)
悲壮な顔のレティシアに、「はあーー」と、ため息をつくエルエスト。
「何か勘違いしているけど、今までの事を不敬だとか言わないよ」
「ほ、、ほんとですか?」
「俺が身分を偽っていたのに、そんな罪に問える訳ないだろう?」
呆れた顔のエルエストの様子に、レティシアはホッと胸を撫で下ろした。
「それに、今まで通りにエルと呼んでもらって構わない」
キョトンとしたレティシアだったが、すぐに王子様の申し出を理解し、手を横に振る。
「滅相もございません。エルエスト第二王子殿下とお呼びさせて下さい」
読んだ小説では、第二王子の挿絵はあった。
でも、その挿絵と全く違った。
しかも、灰色の髪で町を探索する場面があったけれど、その時は全く違う偽名を使って、『エル』なんて名乗っていなかった。
だから、レティシアも気がつかなかったのだ。
そして、今から向かう場所はレティシアがヒロインを苛めて切り殺されるあの王子宮。
ずっと避けていたのに、これが小説の強制執行力なの? と、レティシアは項垂れた。
そのレティシアの様子にエルエストも力なく項垂れそうになる。
通常の令嬢ならば、王子と一緒に王宮に入るとなれば、嬉々とするはず。
だが、目の前のレティシアはこれから牢獄に入るが如く、悲壮感漂う顔つきになっていた。
しかも、レティシアの手は小刻みに震えている。
それは仕方ない。ここは、レティシアを突き落とす出来事が満載な王子宮なのだから。
門をくぐると、ストレートな黒髪を後ろで一つに結わえた、これまた目元が涼しげな超絶イケメン騎士が並走する。
その騎士は、レティシアと目が合うと優しげな笑みを浮かべた。
だが、レティシアは卒倒しそうになる。
彼はあの小説の描写通りの人ならば、きっとルイス・クレマンだ。
レティシアは、小説の一部分を思いだし、顔をひきつらせながらも、どうにかルイスに会釈して、すぐに馬車に身を隠すようにした。
ヒロインに毒を盛ったと知ったルイス・クレマンは、詮議の機会を待つ事なく、牢屋にいるレティシアを剣で突き刺したんだ。
あの恐怖の人物だ。
目の前には、ヒロイン激甘王子。
横には無慈悲な突き刺し近衛騎士。
今にも詰みそうな状況に、レティシアは、呑気にエルの家に泊まるとほざいていた過去の自分を殴ってやりたい。
そうだ、一緒に来たケントや町の人達は?
漸く自分以外の人に気が回った。
「あの、私といっしょに来た領民は、どこにいますか?」
「ああ、申し訳ないが、さすがに王宮に泊めることは出来ないから、王都の一番信用の出来るホテルで宿泊してもらうよ」
良かった。
そこなら王宮よりも安全だ。
小説とは違う人生になるようにと、こんなにも抗ってきたのに、小説の登場人物に会ってしまう流れが怖かった。
仲良くなった領民を巻き込むのではと、それも心配だった。
このままヒロインに会ったら、嫉妬して、否、嫉妬しなくても毒殺の流れに入っていくのではないか?
そう思うと恐ろしくて、握った掌が汗びっしょりになるほど握りしめていた。
「・・・・着いたよ」
急に耳に届いたエルエストの声に、我に返る。
「さあ、どうぞ。お姫様」
目の前のエルエストは手を差し伸べている。
これは、手を取って降りる方が正解なのか?不正解なのか?
怖々エルエストの手を取り、馬車から降りた。
どうした事か、エルエストはその後もレティシアの手を放そうとはしない。
そのまま豪華な建物の中に入っていこうとするが、レティシアが踏み留まった。
オーバーオールで、しかもペンキの付着した靴で、服で、顔で、この荘厳な建物の中に入る勇気はない。
しかも、それは言い訳に出来る。
「申し訳ございません。この身なりの私が、王宮に足を踏み入れるなど畏れ多くて・・・」
頭を下げて、これ以上は無理だと必死でアピールする。
「それなら大丈夫。ここは王宮ではなく、王子宮だ。陛下のお住まいではないから安心して」
エルエストにぐいぐい引っ張られて、とうとう建物の中に入ってしまった。
入った先には高いところから吊り下げられたシャンデリアが中央にどーんと煌めいている。
そのホールの両サイドには、吹き抜けからのホール階段が優雅な半円を描いている。
「向かって左は兄上の住まいだ。こっちは俺の住まい」
エルエストが示した右の方にレティシアを連れていこうとしたところで、左の階段上から穏やかな声が響いた。
「やっと帰って来たと思ったら、珍しい事をしているね」
ダークブラウンの髪から覗く黒い瞳。
知性と優しさを兼ね備えたハリー第一王子が弟のエルエストを出迎えたのだ。
レティシアは頭を後ろから鈍器で殴られたような衝撃を受ける。
――なぜに?
―――こんなところで?
―――ラスボスに会ってしまうのおぉぉぉ・・・。




