14.この関係に名前をつけるなら
草木がさわさわと揺れ動き、ふたりの来訪を歓迎する。一点に集まった木々の数々は彼らを覆い尽くすかの如く、その枝葉を空いっぱいに広げた。昨日、この場でカナデとアーノルドが密かに会話していたのだ。
「こんな、所があったのですね」
何か言わないといけない気がしたのか、聖花がポツリと呟いた。目を瞬かせる。それから、壮大な景色に見惚れているかのように、ゆっくりと辺りを見渡した。
そんな無駄な努力などには見向きもせず、彼女の前方を静かに進行していたアーノルドは、突如として傍の木にもたれ掛かった。
暫く放心していた聖花は、ようやく理解が追い付くとギョッと目を見開いた。何も敷かずに、それも一日が始まったばかりにも関わらず、自ら汚れにいくなど正気の沙汰ではない。
「で、で、殿下!!何をしてるんですか!?」
思わず声を荒らげる。仮にも王子ともあろう者が一体何をしているのか。気でも触れたのかとアーノルドを凝視して、彼が僅かに口角を上げていることに気が付いた。
又もや誂われていると、聖花は口を真一文字に引き結んだ。悟られぬよう呼吸を整え直して、直ぐに落ち着きを取り戻す。いくら不可解な行動をしようとも、彼のペースに乗せられている場合ではないのだ。
「セイカ。お前も座るか?」
「いいえ、私は結構です」
思わず真顔で即答する。真剣に彼の言葉を真に受けていれば身が持たない。
「そうか。では先程の話の続きを聞こう。何か用があるのだろう?」
このまま話を続けるのかと、彼女はやや引き気味に頷いた。なんて無茶苦茶なと思いつつ、指摘した所で時間の無駄だと自身に言い聞かせる。どうせ誰も見ていないから問題は無い筈だ。
彼女は、アーノルドを見下ろす形で、引き結んでいた口を動かした。
「では、改めまして‥‥‥‥。私が殿下をお呼び止めした理由はただ一つ。ルードルフ様のことについてです」
「続けよ」
アーノルドが続きを促す。神妙な彼女に何かを感じたのか、辺りがしんとなった。草木の揺らめきも感じない、余りに静かな空間だ。
当然、フェルナンの話については一切触れないが、それとは別に今言うことではないのかもしれない。けれども、ずっと聖花の中で引っ掛かっていたこと。それはカナデ云々の話ではなく、その前に明確にして置かなければならないことだった。
「‥‥‥‥以前殿下は彼の方と出来るだけ仲良くなるように、と命じられました。しかし、よくよく考えてみると余りに大雑把。殿下のことは疎か、ルードルフ殿下のことすら全く知らない状況です。加えて、殿下の立場。第一王子ともなれば、周囲が放っておく筈がありません。その状況下で”仲良くなれ”というのも無理があるでしょう?」
「何が言いたい」
単調な声色の中に、アーノルドはほんの僅かな感情を孕ませた。
聖花を侮っていたのだろう。思いも依らぬ確信を突いた発言に、彼は少しばかり不満げに彼女を凝視した。けれども怯むことはない。淡々と、且つ冷静に聖花は話を続けた。
「つまりです。あくまでそれは建前。アレは真の目的を隠すためについた偽りでしょう?情報なく、仲良くなれなんて無理がありますもの」
「では、その目的とやらを教えてもらおうか」
アーノルドが凝視する。気持ちを切り替えたのかやけに落ち着いていて、まるで聖花の心を見透かしているかのようだ。
聖花はそれを叩き落とすようにピシャリと言い放った。彼の言葉は、聖花がそれを確信するには十分すぎたのだ。
「いえ、殿下がどういう考えであろうが興味などありません。ですが、今ので確信は持てました。無知で愚かな私は嘸かし扱い易く、しかし扱い難かったことでしょう。
それでも手放すことは出来ない。何故ならば、貴方の計画には『私』が必要不可欠だから。‥‥違いますか?」
「――正解だ」
「随分あっさり認めるのですね」
正直、聖花は驚いた。アーノルドならば上手く避けるだろうと予測していたから、こんなに直ぐに認めるなど思ってもみなかったのだ。
「無論だ。ここまでくれば誤魔化しようがない。種明かしするつもりはなかったのだがな」
「‥‥‥左様ですか。とはいえ、結果的に助けられたのは事実。殿下が何を考えていようと、やり直す機会を与えてくださったことには感謝しています。
しかし、それはそれ。こうもはっきり認められるとは思っておりませんでしたが‥‥‥‥。
今後に支障が出るとは思わないのですか?」
「計画に迷いはない。セイカが思い通りに動いてくれないというのなら、奥の手を使うだけだ。何なら試してみるか?」
「いえ。今のところは遠慮しておきます。そうしたところで、私に何らメリットはございませんもの。
だから、暫くの間は殿下の言う通りに致しましょう。対等な協力者として」
そうやんわりと言うと、アーノルドは真一文字に結んだ口角を僅かに上げた。気分を害した訳では無さそうだ。
「言うようになったな。‥‥まあ良い」
アーノルドが小さく息を吐いた。どうやら少しは認めてくれたらしい。
不意に彼が立ち上がる。服に付いた砂埃を魔術で綺麗に払ったかと思うと、アーノルドは聖花に何かを手渡した。
何処から取り出したのだろうか。僅かに重みのあるそれは、鈍い銀の輝きを帯びたブレスレットだ。宝石のようなものが埋め込まれており、見る向きによって色が異なって見える。
「‥‥‥‥‥‥‥これは?」
聖花が怪訝な顔をして、アーノルドに視線を送った。彼が意味もなくプレゼントを送る筈がない。
一見ただのブレスレット。けれども見た目に惑わされてはいけない。どれだけ綺麗であろうが、きっと何らかの魔具に違いないのだ。
「渡し忘れていた入学祝いだ。『森属性』であるセイカにとっては必要不可欠なもの。言わば相手の力を利用することの出来る代物だ。
これで、やや劣るが俺の魔術を扱える。先ず『闇』だと疑われることはないだろう。いつ使っても良いように、常日頃身に付けておけ」
案外その答えは直ぐに出た。聖花は成る程と思いつつ、余りに都合の良い代物に僅かに眉を顰めた。そんな簡単に他人の魔術が操れるものなのか。と。
「代償、などはないのですか?」
「セイカの身体に負担が掛かることはない。但し、無闇矢鱈に使うなとだけ言っておこう」
聞き返されることを想定していたかのようだ。彼は迷いなくそう言い切ると、言い含めるように聖花をじっと見た。どうやら嘘を言っているようにも思えない。
言葉の節々に引っ掛かりを感じるものの、その違和感が一体何なのか分からない今、それを尋ねる訳にはいかない。聖花はコクリと頷くと、ブレスレットを強く握り締めた。
「‥‥‥‥分かりました。遠慮なく受け取らせて頂きます」
どの道、これは聖花にとっても有利なものであることだけは確かである。代償なく、他属性の魔術が使えるとなると願ったり叶ったりだ。
本当にそんなものがあるのか疑いたくなるが、雲行きが怪しくなれば直ぐに取り外せば良いだけの話である。そもそも取り外せるのかその場で検証するも、何ら異常は見られなかった。そんな馬鹿らしい様子を観察されていたことだけが恥ずかしい。
コホンと軽く咳をする。
「少しだけ気になっていたのですが、隣の席にルードルフ様がついたのも、殿下の策の一つですか?」
「‥‥‥‥‥?俺はそんなことしていない。そもそもそんなこと出来る訳がないだろう。入学に手を回すだけで手一杯だ」
「はい?でしたら何故」
そんな偶然滅多に起こり得るものか。そう突っ込みたい所であるが、如何せんアーノルドが巫山戯ているようにも思えない。
彼は心底不思議そうに口元に手を当てた。何かを考えているかのようだ。
「‥‥‥‥そうだな。偶然、と片付けるには出来すぎている。だが、俺の他にルードルフとセイカを引き合わせて特をする人間がいるとでも?」
「それは分かりませんが、何らかの力が働いてると考えるのが自然でしょう。心当たりはありますか?」
「特にない、が‥‥‥‥‥。やはり座席を弄れるとしたら教師が怪しいな。セイカのクラスの担任は、」
「フェルナン・パース先生です」
「‥‥‥あいつか。何か関わりは?」
「―――特にありません」
不自然だったろうか。返答するまでに少しだけ間が開いてしまって、ちらとアーノルドに視線を送る。彼の眉はピクリとも動かない。
「成る程。‥‥調べたいことが出来た。
一週間後、この時間にこの場で集まることにしよう。異論はないな?」
「はい‥‥‥。分かりましたが、」
「え、先客がいるの?」
聖花が話を続けようと口を開いたとき、何処からか声が聞こえた。聖花の背後、即ち先程まで二人が通って来た道だ。
話に夢中になっていたのだろう。彼女が話し掛ける直前まで誰もその存在に気付いてすらいなかった。
アーノルドも、聖花も、思わずその人物を凝視する。こんなにも早く向かい合うことになろうとは、聖花は想像すらしていなかった。
「あ、貴女は‥‥‥‥」
「初めまして。私はマリアンナ。マリアンナ・ヴェルディーレと申します。ところで、貴女はどちら様ですか?」
聖花がすべてを言い切る前に、彼女はそう名乗ったのだった。




