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ヒロインの座、奪われました。  作者: 荒川きな
4章 学園生活の幕開け
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6.記憶の隅に

 いつの間にか、フェルナンの説明も終盤へと差し掛かった。今日、他に授業はなく、この説明が終われば後は自由時間だ。クラスメイトたちも心なしか浮足立っている。



「さて、と。自己紹介もぼちぼちしてもらうとして、今日はこれで解散としよう。明日からまた、よろしくね。さっきも言ったように、僕は主に実技を担当するから、魔術のことで困ったことがあったら僕のところまでおいで。勿論、他のことでも歓迎するよ。では――――‥‥‥‥‥」


 そうして締め括ろうとしたかと思うと、今度は口を噤んだ。何かを考え込んでいるようで、痛く静かだ。

 元より彼に視線をやっていた生徒は疎か、聖花のように机に顔を向けていた生徒たちも顔を上げ、心底不思議そうにフェルナンを見つめている。対する聖花は違和感を覚えてはいたものの、頑なに顔を上げようとはしなかった。


 暫く黙りを決め込んだ後、フェルナンは何かを閃いたように、"あぁ、そうか"と呟いた。ほんの小さな声。

 それは彼から最も近い席の者でもやっと聞き取れるレベルで、教卓から最も遠い、最後尾の席に座る聖花に聞こえる筈がなかった。顔を上げていないのなら尚更、彼の口の動きにも気が付けない。



「―――セイカ・ゴルダール嬢?」


「‥‥‥‥‥‥‥‥へ、??」


 唐突に指名され、思わず変な声が漏れた。やっとのことで顔を上げるも、フェルナンは依然として落ち着いた様子で聖花を見つめていた。


 クラスメイトの視線がある一点に集中する。その殆どが聖花に向けられたもので、当人にとっては煩わしいことこの上ない。



「君に少し用があるから、僕についてきて貰えるかな」


 彼女の思考が追いつく前に、フェルナンは問答無用で言葉を続けた。ただただ、淡々と。

 普通に考えて、生徒が教師からの呼び出しに応じない理由がない。授業関連の大事な話かもしれないからだ。もしこれまで何も起こっていなかったら、聖花も然程疑いなく彼についていったことだろう。

 けれども今はまるで状況が違うのだ。



(嘘でしょ、この人。こんなに大勢の前で言う事ある?‥‥‥何にしても限度があるでしょう、限度が)


 怒りやら呆れやらの前に、突然起こった出来事に聖花は困惑していた。もはや首を傾げることも、頭を縦に振ることも出来ず、ただただフェルナンを見つめ返すことしかできなかった。

 その内、フェルナンが返事を待ちきれなくなったのか、畳み掛けるように続けた。トドメとばかりに微笑んで。



「ほら。君の場合、状況が特殊だから、ね?」


 聖花は漸く、力強く彼を見つめた。既に逃げ道は残されておらず、頷くことしか選択肢のないこの状況に何とも言えぬ苛立ちを覚えたのだ。

 けれども、それを人前で出す訳にはいかなかった。


 元々、聖花はフェルナンから逃げるつもりも、そうする術もない。なのに、わざわざ公衆の面前で呼びつけて、その場で彼女を回収しようとするなど鬼畜の所業である。

 いや、計算高いと言うべきか。事情を知らない生徒たちには『特殊な状況』が"伯爵家の養女で、元平民"のことを指しているように聞こえるだろう。

 お陰様(・・・)で、余計に断れない雰囲気にまで持ち込まれた。こんなの、返事をする他にない。



「‥‥‥‥分かりました」


 彼に聞こえるように返事をすると、フェルナンは満足げに小さく頷いた。それから言葉を紡ぐ。



「先に廊下で待ってるよ。僕がずっとここで待っていたら、他の皆が落ち着けないでしょ?

 だから、荷物が纏め終えたらおいで」


 心なしか上機嫌な様子で、彼はやっと教室から出ていった。それを合図に、静かだった教室が一気に騒がしくなった。

 群れを作り、帰る用意をせずに話し始める。フェルナンに熱を上げる者もいれば、聖花の陰口を叩く者もいる。中にはこれからの学園生活について楽しそうに話す者などもいて、三者三様だ。


 対する聖花は、ゆっくりと物を鞄に仕舞い込んでいた。フェルナンの存在故か、それともルードルフの存在故か、面と向かって悪口を言いに来るような痴れ者はいなかったけれども、自然と、何処から陰口が聞こえて来た。「先生に迷惑だと思わないのかしら」「伯爵家にもこうやって取り入ったのよ」「とんだ恥晒しね」などと。

 それを聖花の間近で聞いているルードルフに、先のように止める気配はなかった。当然といえば当然の話である。だって、彼と彼女はただの(・・・)隣同士で、特段仲が良い訳でもない。それに、例え彼がそういう類のものを嫌おうと、些細なことでいちいち口を挟んでいては切りがないのだ。


 やっとのことで荷物を纏め終えた聖花は、またもやスローモーに席から立ち上がった。気持ちの問題のせいか、やけに準備に時間が掛かった。

 既に行きたくない気持ちでいっぱいだ。


 と、そんな時、傍から囁やき声が聞こえてきた。



「‥‥‥‥‥ゴルダール嬢。彼には‥‥その、艶な噂が多いと聞く。私にはどうすることもできないが、念のため気を付けておいた方が良い」


「‥‥‥‥ご配慮頂き、ありがとうございます」


 暫くの沈黙の後に、聖花は軽く会釈した。その一言に思いの全てを込めて。

 周囲の目がある以上、これ以上の会話は危険である。万が一、ルードルフと親しい関係にあるとでも思われたら更に面倒なことになる。

 だからといってアーノルドとの約束を反故にすることも出来ない。だから、話すのならば目立たぬように。これが鉄則だ。


 一瞬、ルードルフは目を丸くした。それから、彼女の意図を汲み取ったのか、何かを言いたげに口を噤んだ。

 そんな彼を置いて、聖花はようやく手荷物片手に前へ前へと歩き出した。流石にこれ以上フェルナンを待たせるわけにはいかない。



「遅くなり、申し訳ございません。準備に時間が掛かりまして‥‥‥‥‥」


「あぁ、大丈夫だよ。何も問題ない。事前に伝えていなかった僕が悪いからね。次からは気をつけよう」


 嘘をつけ、と聖花は心の中で突っ込みを入れた。端から予告する気などなかっただろうに、と。申し訳なさそうな表情を浮かべている辺り、わざとらしくて嫌らしい。きっと、周りの視線を気にしてのことだろう。


 フェルナンの後ろに付き従うようにして、目的地へと向かう。どうせ碌でも無い場所だと警戒心を強めつつ、聖花は手に持った鞄に力を込めた。中には、刺繍針と、防犯用の音の出る魔具が入っている。流石に、ナイフやそういう類のものは全て持ち込み禁止なので気休め程度だが、ないよりはマシである。


 程なくして辿り着いた場所は、予想外にも人気がある所に位置する部屋の一室だった。万が一声を上げたら、即座に誰かが駆けつけてくれることだろう。

 だからといって、聖花は警戒を怠るわけにはいかなかった。目の前に立つ男がどんな人間か知っているから。油断させておいて、後ろから噛み付く相手であると。


 鍵を開け、フェルナンが部屋の扉を開く。けれども彼はなかなか部屋へと入ろうとはしなかった。

 聖花は、不審げに彼の背中を見つめていた。一体どうしたのだろうかと。それに呼応するかのように、彼はくるりと身を翻した。



「さあ、先に中に入ってよ」


 明らかにこれは罠だ。こんなに目立ったところで彼が何をするつもりなのかは不明だが、だからといってここで押し問答をしても切りがなかった。

 暫く無言で見つめ合った後、聖花は諦めたように部屋の扉をくぐった。ずっしりとした鞄を握り締めて。


――――カチャンッ。


 その瞬間、扉の閉まる音と共に鍵が掛かる音が部屋の中に木霊した。


 まさかと思っていたが、こんなにすぐ、それもこんな場所で事を起こそうとするとは。ある程度予測は立てていたものの、やはり実際にやられると話が違う。聖花は、ギュッと身構えた。何かあれば、いわゆる防犯グッズを使うつもりで。



「ここは、僕の専用部屋。実はね、ここは防音なんだ。おまけに、防魔術加工を施している。

 隠し事をするのに最適だろう?」


「貴方ね‥‥‥‥‥‥」


 聞いてない、とばかりに彼を睨むように見る。流石にそれは聖花も予想外だった。これでは魔具も使えないし、声を出しても意味がない。

 余りの彼の狡猾さに、聖花は呆れを通り越して怒りのほうが湧いた。反抗的な目付きで睨んではみるものの、そこには明らかな恐怖が芽生えていた。ここまでするのか、という思いと、蔑むような気持ちまで。


 夥しい程の狂気を身に纏い、フェルナンはじりじりと距離を詰めた。縫い針を取り出す余裕はなく、やっとのことで握り締めた鞄を振るった。

 すると、鞄の口が開いていたのか、中から筆記用具やら本やらが零れ落ち、辺りにバラバラと散らばった。


 足場が悪くなり、フェルナンは少しだけ地面に視線をやって、――――固まった。まるで石のように、まるで抜け殻のように、その動きが完全に静止した。

 視線を一点に集中させて。

 先程の彼の様子からは想像できないほど、動揺の色が見て取れる。


 何がそんなに彼の心を乱したのか。そう気にはなりもするものの、今はそれどころではない。

 これがチャンスだとばかりに、聖花は彼の横を抜けて扉の前まで駆け寄った。地面に転がったものを犠牲にして。

 大きな犠牲だったけれど、どうにか鞄は無事だ。扉の鍵の辺りを探して、聖花はようやく気がついた。

 それが、鍵穴だということに。つまりそれは、背後のフェルナンから鍵を取り上げるか、ピッキングしなければ扉は開かないということを指していた。


 ゆっくりと後ろを振り返る。依然として動きのない彼を見て、生唾を飲み込んだ。

 意を決して、出来るだけ音を立てずに背後に近付く。


 そうしていると、何故か外側から鍵を開ける音が部屋の中に鳴り響いた。



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