4.二人の関係は?
ロザリアたちが教室の隅で話している。そこに誰も立ち入る隙はなく、皆自然と一定の間隔を空けていた。
けれども皆、二人が何を話しているのか興味津々な様子で、談笑しつつも、必死に彼らの会話に耳を傾けている。
一部の者はうっとりとした表情で二人の様子を見つめるばかりであったたが、何方にせよ今この場で最も注目が集まっていることだけは確かだった。
聖花はそれを横目に見て、内心溜息を着いた。話題の中心である彼らであるが、その片割れには恨みを買っていて、もう片割れには‥‥‥‥‥。
考えるだけで恐ろしい。
(はぁ、最悪の組み合わせね‥‥‥。ロザリアが私に何もしない訳が無いし、面倒事が増えそうな予感しかしないわ。
‥‥‥あれ?そう言えば、殿下は、?)
気怠げにクラス全体の動向を伺っていた彼女は、ハッとアーノルドの存在を思い出した。
何処にも見当たらない気がするのだ。
既に殆どの者が登校して来ている。初め来たときより教室内は賑やかで、その中に彼が混じっていても可笑しくはないが、それでいて気が付かないなど有り得ない。
第二王子という身分に釣られて、貴族が群がるから?―――それもあるが、彼の髪も、ルードルフ同様目立つ色をしているのだ。
日の下では白銀の如く、闇の下では漆黒の如く。何色にも染まる銀の髪は、ルードルフとはまた一味違う美しさを秘めている。
結局、クラス内をどれだけ探したところで、そこに彼の姿は見当たらなかった。
当然、心当たりのある者もいない。
聖花は、彼がてっきり見張り役と称して、素知らぬ顔で同じクラスにいるだろうと読んでいた。彼女の仮説通り、彼がクラス分けやら席位置を操作しているとしたら有り得る話である。
だってクラスが同じである方が、彼にとっては何かと都合が良いだろう。様子を伺ったり、進捗具合を確認するにはうってつけなのだ。
聖花はチラと時計の針を見つめてから、教室の出入り口へと目をやった。まだ始業までに時間があるようであるが、一向に誰かが来る気配はない。
少しだけ考えて、聖花は席から立ち上がった。いっそ確認に行ってみようと思った訳で、まだ時間に余裕があるのだ。
初日から面倒事に首を突っ込むことは避けたかったが、既にそんなことを言ってられる状況ではなくなった。
彼には聞きたいこともあるし、出来るだけ状況把握は早いほうが良い。聞いたとて、教えてくれるかは別であるが、彼女に関係のあることなのだから、"共犯者"として知っておきたかったのだ。
そもそも話せるかさえ分からないけれど、見て確認するだけなら簡単に済ませそうだ。
気配を出来るだけ消した聖花は、何食わぬ顔でささっと教室から出て行った。
もし話が出来るような状況に持ち込めれば上出来であるが、彼が教室にいるとしたらそれは不可能に近い。
ルードルフという存在がいない中で、第二王子という身分を令嬢たちが放って置くとは到底思えないのだ。
足早に廊下を歩く。人気は少なく、幸運にも何ら邪魔が入ることはなかった。
教室内から聞こえてくるざわめき声が廊下によく響いて、どこか不思議な心地がした。
他の教室を僅かに覗いては、此処ではないと遠ざかる。何度か視線を向けられたが、気にしてはいられない。
一向に見つかる気配のないアーノルドと、彼女。
一体何処にいるのだろうかと、聖花は何気なく窓の景色を眺めた。
そんな時だった。外で、風に吹かれて揺れ動く木々。その辺りに何者かの影が見えたのは。
無意識のうちに木々の動きを目で追っていたからか、不自然にもその陰に紛れた人の姿はやけに目に付いた。
少なくとも、二人はいる。
(こんな人気のない場所で一体何をしているの?
うぅん‥‥‥、木陰が暗くてよく見えない。せめてもう少し、明るければ‥‥‥‥)
不審に思い、聖花はじっと目を凝らした。ほんの少し見える人影が気の所為である筈がなく、だからこそ何故あんな所にいるのか、何をしているのか、不思議でならなかった。
風が吹く。先程よりも強く、大きな風が。木の陰が激しく揺れ動き、一瞬、彼らの姿が光に照らされた。
儚くも美しい白銀と、淡くたゆやかなコーラルピンク。それらは余りに衝撃的なもので、印象に残っているものだった。
見間違うはずもない。何度も見た彼の姿と、心に刻み込まれた彼女の姿。
聖花は思わず自身の目を疑った。
―――アーノルドと、‥‥‥‥マリアンナ。
最早、彼らがこんな所にいたという事実はどうでもいい。それよりも、何故二人が共にいるのか。
その疑問だけが、聖花の心の中を満たした。
何方から接触したのかは知らない。けれども、アーノルドからにせよ、マリアンナにせよ、何かを企んで近付いたのには違いない。
でなければ、隠れるような真似をしてまで話す必要などない筈だから。
(嘘、でしょ‥‥‥‥‥。彼は何を考えているの?光属性に目を付けて?それとも、奏から接触した?
どっち道、このままじゃ不味い。もしアーノルドが彼女の方が役に立つと判断すれば、私は‥‥‥‥)
考えれば考えるほど、最悪の可能性がほつほつと浮かび上がってきて、聖花は背筋が凍るのを感じた。
流石にそんなことはないと考えたい所てあるが、はっきりと否定しきれない。
度々忘れそうになるが、アーノルドは彼女を見捨てようと思えば何時でも切り離すことができるのだ。例え彼女がどう足掻こうと。
彼が無礼を許すのは、あくまで利用価値があるからで、決して優しさから来るものではないことは考えずとも分かる。
つまり、不要だと判断されれば簡単に捨てられる、ということだ。少なくともアーノルドはそうする。
何時までも重荷を抱え込む必要はないのだ。
目を離すことができず、視線が一点に釘付けになる。一瞬、様子を直接見に行くことも考えたが、それはただの自殺行為に他ならない。後でアーノルドに尋ねることも出来そうにない。
聖花には、その時が来るのを待つことしか出来ないのだ。何もせずに只今時を待ち続けるつもりはないが。
そんな時、聖花とアーノルドと視線が重なった‥‥‥‥気がした。
即座に窓から後退り、逸る鼓動を落ち着かせて再び窓をチラと見る。きっと気の所為だろうと心に言い聞かせて。
その時には見られている心地はなく、聖花は漸く息を吐いた。
「もう、戻ろうか‥‥‥‥‥‥」
見なければよかった。後悔の念を込めて聖花はポツリと呟いた。窓から離れて歩き出す。
その姿を、アーノルドは下からじっと眺めていた。
「………アーノルド様?どうしましたか?」
コーラルピンクを靡かせて、首を傾げた少女―――マリアンナがアーノルドの方をじっと見つめる。
ふっと息を吐いた彼は、何事もなかったかのように彼女の方へと身体を向けた。
「いいや、何でもない。それよりも、貴女はどうしてこんな所に?」
「木陰で涼む貴方の姿が見えて、何をしているのかなって思って様子を見に来ました」
「そう、か‥‥‥‥」
アーノルドは訝しむような視線をマリアンナの方へと向けた。事件があった後だというのに余りに無用心で、警戒心が薄過ぎる、と。
事件の仔細を聞いていた彼にとって、彼女は不自然そのものだった。むしろ犯人の方が心にダメージを負っていたというのに、当の本人がそれを気にしているようには見えないのだ。
当時のマリアンナはショックを受け、塞ぎ込んでいたと話に聞いた。けれども今、そんな素振りは微塵も感じない。
蝶よ花よと育てられて来ただけの箱入り娘であればこの様子に説明がつくのだろうが、一度痛みを知ってしまった彼女がそんなに簡単に立ち直るものなのか。そうアーノルドは疑念を抱いた。
もう一度、彼はじっとマリアンナを見た。凝視され、困惑した表情を浮かべる彼女の頬がほんのりと赤く染まる。それから、おずおずと微笑んだ。
一見、裏表のない笑み。けれども、それすらもアーノルドにとっては違和感でしかなかった。
練習してきたかのような、彼が自身の内を隠すときに使う笑顔。そんな風に見えたのだ。
彼が話に聞いていた箱入り娘は単なる純真無垢な令嬢ではない。そう彼が確信した途端、ほんの少し抱いていた『期待』は何処かへと消え失せた。
アーノルドが微笑み返す。その瞳に、彼女の姿はもう映ってはいなかった。
こうして、奏は一人目の攻略を失敗しましたとさ。




