2. 気さくなクラスメイト
そうして出発した馬車は、コトコトと音を立て、ゴルダール家から徐々に遠ざかって行った。
ふと窓掛に手をやり、外の様子を眺める。聖花の不安とは裏腹に、外は既に多くの人で賑わっていた。
アデルによると、月に一回行われる大規模な朝市があるということらしく、どうりで朝から外が騒がしかった筈である。
そんな日に入学式は執り行われるのだ。
いつか余裕が出来たらアデルや他の誰かと行ってみたいなと聖花は思い、静かに窓掛けを閉じた。
今は呑気に景色を眺めている場合ではない。
さて、程なくして学園へと辿り着いた。
あの日と変わらぬ校舎の姿を見て、聖花は僅かに目を伏せた。
けれども直ぐに前を向いた。それから、アデルとは一旦別れて、ひとり正面玄関へと向かう。
使用人にもいくつかルールがあるようで、書面では伝え切れぬことがあり、詳しい説明を受けに行くらしいのだ。
辺りには既に多くの生徒たちがたむろっていた。皆同じ制服に身を包んでおり、一見して見ると、貴族も平民もすべて等しくその場に存在している。
とはいえ、余計な諍いが起きないよう彼らのクラスは別々である。寮も、当然異なる。
貴族は身分を気に掛ける者が多いのだ。
聖花は、鞄を片手に校舎の中を歩いた。
事前に受け取っていた地図を見ながら、指定された教室へと向かう。
道中、パーティーで見かけた者もいくつか目に入ったが、特段仲の良い訳でも、ましてや話したことさえない訳で、彼女は彼らの横をスッと通り過ぎた。
幸いにも、浮足立った様子の彼らには聖花の存在など気にも留める余裕などない。それよりも、これから始まる学園生活に胸を膨らませていたのだ。
お陰様で陰口を叩く者は想定よりも少なく、早速何かを吹っ掛けられる気配はなかった。
が、事態が変わるのはいつも突然だ。
それは、ざわめき声が大きくなり、すぐ後ろで黄色い声が飛び交い始めた時のことだった。
嫌な予感を察した聖花は、気づかぬフリをして足を止めずに前へと進んだ。
「やぁ、おはよう」
が、それも虚しく、彼は突如として背後からニュッと姿を現した。宝石のように綺麗な橙色の瞳に、忘れもしない蜜柑色の髪だ。
指名された訳でもないし、まさか自身に話し掛けている訳では無いだろう。そう自身に言い聞かせて、聖花は彼を無視して歩を進めようと試みた。
けれどもその想いは即座に打ち砕かれた。
「ちょっと、行こうとしないでよ。そうそう、君」
「も、申し訳ございません。わざわざお声掛け頂いたのにも関わらず、あのような無礼な態度を………」
彼は、一向に見向く気配のない聖花を困惑した様子で引き留めた。漸く顔を向けた彼女の方をじっと見つめて。
流石に、これ以上無視することは出来ない。それこそ、不躾どころの騒ぎではないのだ。
兎に角、聖花はきちんと彼に向かい合い、おどおどとした様子で謝り倒した。あたかも自身に言われているとは思ってもみなかったような態度だ。
けれどもそのことは言葉にしない。聞かれてもいないし、言い訳苦しくて滑稽だから。
そうしていると、彼は慌てたように首を振った。
「いいよ、いいよ。急に話しかけた僕が悪い。
ねぇ、それより一緒に教室まで行かない?」
「………それは構いませんが、同じクラスとは限りませんよ?」
少しだけ間を置いて、聖花は小さく呟いた。
余りに唐突な提案には耳を疑ったが、既に彼女に拒否権はない。あんな態度を取った後で、断ることなど出来る訳がないのだ。
背後から嫉妬の視線と非難の言葉を一身に受けつつ、真っ直ぐに彼の方を見つめる。
すると彼は、不思議そうに首を傾げた。
「もしかして、正面玄関の近くに貼り出されてた紙、見てなかったの?」
「…………………え」
「……まぁ、人だかりもあるしね。自分のクラスだけ分かってれば十分か」
聖花の反応を肯定と捉えた彼は、察したように言葉を紡いだ。まるで、咄嗟に思い浮かんだ彼女の考えを代弁するしているかのような台詞。
単に気付いてなかっただけだが、そのことはおくびにも出さない。
聖花は、何とも言えない気持ちになった。他者の様子を棚に上げておいて、どれだけ自身も周りが見えていなかったのだろうと。どれだけ余裕がなかったのだろうと。
抱く感情は違えど、何ら彼らと変わりないことに漸く気が付いたのだ。
「それは置いておいて、僕と君、どうやら同じクラスみたいなんだ」
暫く黙り込む聖花に行き詰まりを感じたのか、彼はパッと話を切り替えた。白けてしまった空気が嘘のように変わった瞬間だ。
ハッとして、聖花は彼の方を見直す。すると、当人と視線が重なった。子供のように無邪気な笑みを浮かべる彼と。
そこにあの時感じた雰囲気はなく、ただただ純粋な青年がそこにはいた。
が、―――
(………………怪しい)
内心、聖花は彼を疑った。だって今の彼には裏表があるようには見えず、それが返って不審感を際立たせていた。
街で会った事に気付いていないのか。それとも気付いていて声を掛けたのか。街では変装していた訳であるし、彼の様子から推測することは出来ない。けれども、彼がピンポイントで聖花に話し掛けたことだけは確かなのだ。
それに、彼―――リリス・ティーザーは侯爵令息。そこまで純粋でいられる訳がない。
パーティーでの様子も少しだけ目に入っていたが、あの人気っぷりを見るに、表向きは社交的な性格であることに違いない。
そう結論付けた聖花は、それを悟らせないよう会話を続けた。周囲の視線が痛いが、逃げられないのだから仕方ない。
そうしていると、リリスがあたかも自然に言い放った。
「あ、そうそう。あの後はどうだった?無事逃げ切れた?」
「あの後、とは………?」
一瞬、息が止まる。それから聖花は、怪訝そうにリリスを見つめた。やはり油断ならないと。
けれども彼女の反応とは裏腹に、リリスは不満げな様子でぶつぶつとぼやき始めた。
「もう、知らない振りは酷いよ。……会ったでしょ?確か君は変装していたよね。それから、」
「わ、分かりました。ですのでもうお止めください」
続けようとする彼を慌てて制止する。出来るだけ動揺は悟らせないように努めていたが、突然語り出すものだからどうしようもない。
流石に無理があったのか、聖花の焦りを察した彼はしゅんとした様子で呟いた。
「あぁ、ごめんね。何気なく言ったつもりだったんだけど、気に障ったようなら謝るよ」
「………いえ。その件については感謝しています。お陰様で助かりました。ですが、この場ではあまり口に出さないで頂きたいのです。周囲の目もありますし………」
そんな彼の様子に狼狽えた聖花は、感謝の言葉を口につつつも、そのワケを簡単に説明し直した。本当に理解していないのか不明であるが、もうそうであってもここまで言えば分かるだろうと。
チラとリリスの方を見る。彼は、先程の様子と一転して他愛無い笑みを浮かべていた。
調子が狂う男だ。
「あはは。それは心配しないで大丈夫だよ。だって……」
ぼそり、と最後に何かを呟いて、リリスはそのパッチリとした目を細めた。
が、肝心の部分が小さすぎて、何も聞き取れなかった聖花は首を傾げる。何が大丈夫なのだろうか、と。
彼は何も答えない。ただ、そんな彼女の様子を見て朗らかに微笑むばかりだ。
そうしている間に、彼らの教室へと通ずる扉が目に映ってきた。傍には教室番号が振られたプレートが吊り下げられており、直ぐにそこだと確信する。
それと同時に、聖花はこの状況を危惧していた。ただえさえ人気が高く、さらには侯爵令息という肩書きまであるリリスと共に教室に入れば、クラスメイト全員に目の敵にされるも同然であることは明らかだ。
廊下で合流していたことも大概であるが、流石に仲良く教室に入ることはリスクが高すぎる。
それだけは避けなければならない気がしたのだ。
それを知ってか知らずか、漸くリリスが口を開いた。対する聖花はというと、どう別れるか、どう説明するかでいっぱいいっぱいである。
「ああほら。教室が見えてきたよ。この話はまた今度にしよっか。僕は先に中に入っておくね。それじゃ」
けれども彼はそう言った。聖花の心情を察してか、彼女を取り残してリリスは先に教室へと入って行く。
聖花は、そんな彼の背中を一心に見つめていた。
「―――やっぱり、まだ教えてくれないか」
去り際、リリスはそう呟いた。が、その言葉は誰に聞かれることなく、虚空へと吸い込まれて消えていってしまった。




