25.芽生えた想いは(フェルナン)
場面は、フェルナンが初めて家庭教師として
ゴルダール家にやって来た所からです。
フェルナンはある日、ヴィンセント伯爵に家庭教師をしないかと頼み込まれた。それは彼にとっては珍しい頼み事で、貴重な出来事だった。
フェルナンは常に刺激を求めていた。だからか、彼は二つ返事でヴィンセントの頼みを引き受けたのだ。
家庭教師など、大層な役割を頂くことは初めてだった。確かにフェルナンは優秀であったが、頼む側にとって彼は、人柄的にも身分的にも、とても頼み事を出来るような者ではなかったのだ。
そして彼の過去を知る生徒は少なく、フェルナンは学園内では令嬢たちに人気があった。
だから、彼が家庭教師としてゴルダール家に抜擢された時、生徒たちの中で、噂話は瞬く間に広がっていた。
聖花を羨む者や妬む者など様々いる中で、当人はというと、そんなこと気にも留めていなかった。
何方かというと、噂の養女がどんな者かと興味を抱いていた位だ。
調べても出自は分からず、突然現れた彼女に。
そもそも、あのヴィンセントが養女を迎い入れたともなれば、彼が興味を持つのも当然の話だった。
その彼女と対面できるこの上ない機会を彼が掴み取らない筈もなかったのだ。
フェルナンは、元々生徒を導くことに深い意義は感じていなかったが、それでも何もせずに時間が過ぎるよりかは有意義な時間だと感じていた。
だから、教師になる道を選んだ。いつでも入念に準備をして、時間を掛けて熱心に指導していると、いつの間にか日が落ちているから。
それでも彼は満足できなかった。日常に変化がないと、仕事をしている時でさえ余計なことを考えてしまうようになったのだ。
満たされない思いを他のことで紛らわせ、それでも心の何処かでは過去を忘れられない自分がいる。それがどうしようもなく嫌で、虚しくて、だからこそ新たな刺激に期待した。
当日、フェルナンは嬉々として早くにゴルダール家に向かった。そうして家に辿り着き、屋敷の使用人に案内されて、例の養女が待つ部屋へと辿り着いた。
間髪入れずに扉を開ける。すると、狭くて重圧感のある空間が視線の先に広がった。本棚に囲まれていて、明らかに異質な空間だ。
けれどもそんなものは物ともしない。それよりも、こちらに視線を向けるひとりの令嬢の方へと先に目が行った。
何時から待っていたのだろうか。振り返ってこちらを見つめる彼女は、元平民とは思えないほど落ち着きがあって、痛く静かだった。
けれども、その身体は少しばかり強張っていて、僅かに不安げな表情を浮かべていた。
フェルナンはそんな聖花に小さく笑った。それから、手慣れたように彼女の前に跪いて、どう反応するかと彼女の顔色を伺った。
「初めまして、麗しきご令嬢。
僕は教師のフェルナン・パース。よろし・・・」
明らかに困惑している様子の聖花の手の甲に、まるで御伽噺に出てくる王子様のように優しいキスを落とそうと、フェルナンは彼女の手を取った。
これは、貴族社会においてはそれ程驚くべきことでもなかった。が、普通は特別な相手にするものであって、決して婚約者でもない女性にするものではない。
しかしそれは、彼にとっては単なる都合の良い挨拶に他ならなかった。
けれども、至近距離で彼女の顔を見たフェルナンは、思わずその動きを止めた。
豆鉄砲を食らったようだった。
―――だってその令嬢には、見覚えがあったから。
彼が一度関わった女性を忘れる筈はない。それが例え別人のようなメイクであっても、その雰囲気や動作などから瞬時に誰が誰かを判別できるのだ。
今回の聖花の場合、そもそもそこまで激変している訳ではないが。
兎に角、目の前にいる令嬢が一体何者であるのかを、フェルナンは即座に理解した。十中八九、最近貴族令嬢を襲って捕らえられ、彼自身が連行した少女だろうと。
どうやって出て来たのか。どうしてこんな所にいるのか。そんなことは彼にとって、今気にすべき点ではなかった。
それよりも、こんなに刺戟的で興味の唆られる人間に出会えたことが何より彼を奮い立たせたのだ。
(僕は何て運が良いんだろう)
フェルナンは内心ほくそ笑んだ。 家庭教師を頼まれた時もそう思っていたが、この時の気持ちはそんな物よりも遥かに強く、歪んだ思いが滲み出そうになっていた。
彼女を手に入れたいと、僅かながらにそう思った訳である。
そう考えると、彼は自身のしようとしていたことを忘れ、聖花から手を離した。
端から印象が最悪であってはならないと、警戒して授業を聞いて貰えない訳にはいかないと、彼は至って穏便な授業を進めた。
全ては彼女を油断させて、少しでも仲を深める為に。
けれどもフェルナンは去り際につい、我慢しきれず聖花を脅すような真似をしてしまった。これは大きな失態である。
そんなことを分かっていても、彼女が余りに面白おかしくて、抑えることが出来なかった。
正体がバレていないと安心しきった彼女を見て。
帰路についてから、漸く落ち着きを取り戻した彼は、自身の不可解な行動に溜息をついた。
(やってしまった…………)
彼にとっては初めてのことである。いたいけな令嬢を脅し、自身の元へと無理やり近づけようとしたのは。
これまで彼はきちんと手順を踏んで、女性が嫌がらないような態度を心掛けて来たのに、その知識の全てが無に帰した。
そもそも、彼は女性を脅すような真似はして来なかった。大抵の者が少したらしこめば彼の元へとやって来たから。
が、聖花にはそれが適用されなかった。思わぬ弱みを握ったからか、不思議な経歴を持つ彼女を取り逃がしたくなかったからか、単に個人に惹きつけられたのか。
それは彼には分からなかったが、興味を引かれたという事実だけは確かだった。だからといって、やらかしてしまったことに変わりなく、これから関係を築くにしても、警戒されるに違いない。
けれども、やって見る価値はあった。その日からフェルナンは、聖花との関係改善に励んだ。
しかし、取り付けた脅しという名の約束は一向に取り下げる気が起きず、そのまま放置し続けた。
その理由も理解しきれず、むしろ日を増すに連れ、初めに感じた後悔は薄れていっていた。
そうして訪れた家庭教師最終日。ゴルダール家でする最後の個別授業に、フェルナンは寂寥の念を抱きつつも、明日から再開する学園生活に期待で胸を躍らせた。
その思いは例年よりも強かったのだと思う。
彼はその日も何かを起こすつもりはなく、恙無く授業を済まして、予定通り最後に挨拶をして終わるつもりだった。
が、余りに注意散漫な様子の聖花を見て、フェルナンから一瞬笑顔が消えた。
自身が目の前にいるのに、他のことを考えるとは何事かと。それも、折角の最終日だというのに。
「………セイカ嬢?」
フェルナンが彼女の名前を呼ぶと、慌てた様子で聖花はその顔をパッと上げた。
ニコニコと微笑んで、彼女をしっかりと見つめる。
「授業中だよ。他のことを考えている場合じゃない」
「……申し訳ございません」
自身のことなどまるで見ていないような彼女の態度にはもどかしさを感じたが、フェルナンは出来るだけ優しく注意して、自身の感情を鎮めることにした。
こんなことで苛立ちを覚えていては切りがない。
聖花の意識を彼の方へと挿げ替えて、漸く彼女の瞳にはっきりとフェルナンが映った。笑みをより一層深くする。
それからフェルナンは、聖花を誂うように、冗談めかして言い放った。
「学園では気を付けてね。ところで…、一体どんなことを考えていたのかな?」
首を傾げて、彼女を誘惑しているような態度を取る。不慣れな令嬢ならば、即座に顔を赤らめることだろう。ついでに、彼の思惑通りのことを妄想した筈だ。
実際、そこまでではないものの、聖花は僅かに頬を赤く染めていた。恥ずかしさを隠そうとしている様が何とも面白い。
聖花が闇雲に否定したので、ついつい弄り過ぎてしまった。ついには、"説明するようなことではございません"とピシャリと言い放たれた。
意外と骨があるのだな、とフェルナンは少しばかり驚いて口を噤んだ。授業の様子を見るに、案外努力家であることは知ってはいたが、捕まった時の絶望具合と言い、余り言い返さない態度と言い、どちらかと言うと物をハッキリと言えないタイプなのだと誤認していたのだ。
考えてみれば、脱獄など大それたことを犯す時点で、根性があることは明らかだった。
単に愚かなだけかも知れないが。
そうして暫くして、漸く考えを取りまとめたフェルナンが、他の話題に変えようと口を開いた。
このままでは埒が明かないし、何よりもまた暴走してしまう恐れがあったのだ。
が、それは思わぬ方向へと転んだ。
「……それよりも、!お話したいことがあるのですが宜しいですか?」
何を勘違いしたのか、聖花が先に話を切り出したのである。慌ててフェルナンの言葉を止めたかと思うと、彼女は改め直した様子で言葉を紡いだ。
生唾を飲み込む音が聞こえる。
「……ん?どうしたの急に。何処か分からないところでも?」
「いえ、そうではなく‥‥‥‥」
話の続きが気になったものの、敢えて惚けて見せる。このまま授業の質問でもしてくれれば、何とか軌道修正できそうだったから。
が、今度は口籠った様子の彼女を見ていると、話の内容が知りたくて堪らなくなってきた。
焦らされているみたいで、どれ程大きな話だろうと気になって仕方がない。
「話してくれないと分からないな。ほら、僕に話してごらん?何か悩みがあるのなら、相談して欲しいな。
教師が生徒を助けるのは当然、だからね?」
出来るだけ不自然のないようにニッコリと微笑む。が、色々と漏れ出ていたのか、聖花は頬を引くつかせていた。
(駄目だな、これは。完全に疑われている。
さて、どうしようか。……弄りすぎたか?)
彼には聖花を誂っている自覚はあった。特に今日は特段、彼の色気に磨きが掛かっていた。
だからか、警戒されても可笑しくないのかも知れなかった訳だ。恙無く授業を終わらすつもりだったが、案外気を急いていたのかもしれない。
が、聖花はポツリと聞き返した。
「本当に助けてくれるのですか?」
「勿論、僕に出来ることなら任せてよ」
彼女の質問に迷いなく頷く。良かったという安心と、何の話だろうという疑問が半々だ。
そうして、聖花は感謝の言葉を口にすると、口をゆっくりと開いた。
「……では、以前の話そのものをなかったことにして下さい」
(あぁ、成る程。そういうことか)
フェルナンは漸く納得がいった。これまで何をそんなに考えていたのかと思えば、彼のことだったとは。
最後のチャンスとばかりに交渉に出た訳だ。
ここで彼が頷いてしまえばそれまでの話だ。
そこで全てが終わる。そう、手に入れられないまま、彼女との関係が終わりを迎えてしまう気がしたのだ。
「‥‥‥以前の話、とは?」
だから彼は、再び惚けることにした。声をより一層低くして、無言の圧力を掛ける。
今すぐに取り消して貰おうか、と。さすれば、聞かなかったことにしてあげようと。
「そんなの、先生が一番分かっている筈です。
これまでの恩はありますが………。何度聞き返されても、発言を訂正するつもりはございません」
けれども彼女は、フェルナンの思惑には乗らなかった。ハッキリと言い切って視線を向ける聖花に、彼は自身の認識の甘さを感じていた。
恐ろしいくらい静かに、机の一点を見つめて、漸く一つの結論に辿り着く。
「………本当に、いいんだね?」
再確認と言わんばかりに聞き返す。腹の底から溢れ出たような声だ。
聖花の方を凝視して、余りの圧に固まる彼女に何らかの気持ちが湧いてきた。
が、何処かから第三者の気配を感じて、スゥっと視線を扉に移す。姿は見えないが、恐らく見張り役がノブに手を掛けようとしていたのだろう。
扉に取り付けられた特殊加工の窓をひと睨みしてから、再び聖花に視線を向け直す。
彼女はそんなこと気にも留めていないようだ。
そして理解した。それでも構わないと言わんばかりの反抗的な視線だ。
(可笑しいな……。彼女はこんなではなかった筈だ)
訝しげな目をして聖花を見る。それから彼は意地の悪い笑みを浮かべて、一言言い放つ。
「ふぅん。それでも動じない、と。
……僕が広めない保証はないんじゃないの?」
彼は、これまでの反省やらが嘘のように、とうとう聖花を脅す真似に出た。
聖花は僅かに頬を引きつらせているが気にしない。むしろ、…………。
と、考えてると、再び思わぬ言葉が彼女から飛んできた。
「……遠回しに人を脅すなど、先生は意地悪ですね。
そうすれば私が折れるとでも、?
だとしたら見当違いです。私は、脅しで人を動かそうとする人の言いなりになんてなりません」
しかし、フェルナンは動じない。それどころか言い返して、彼女の動きを止めた。
口元を僅かに緩ませて、新たな娯楽の発見に、狂気なまでの喜びを感じていた。
彼は、興味を持ったものは手に入れないと気が済まない性分だった。勿論初めはそうだったわけではないが、気が付けばそんな衝動に駆られるようになっていたのだ。
それが聖花に強く出ただけの話だった。
(何でこんなに感情が荒ぶるのかよく分かったよ。聖花は、彼女によく似ているんだ)
フェルナンは、この気持ちの原因に納得がいって、やっとのことで落ち着いた。実際に落ち着いている訳では無いが、表面上はそう見えたことだろう。
こんなに無謀で愚かで勇敢な人間と出会うのは、久々のことだ。
(あぁ、彼女が、―――欲しい。僕のモノにしたい。今度は逃したりなんかしない。だから―――)
「絶対に来て?………絶対に」
力強く、爛々とした瞳でフェルナンは聖花を見つめた。彼女は戦慄していたが、彼はもう自身の気持ちを抑えることは出来なかった。
絶対に来てもらう。そう心に決めて、彼は屋敷から立ち去った。
2人目(?)無事に墜ちました。
あと3人分は4章以降に出てきますので
もう暫くお待ち下さいね(*‘ω‘ *)
なお、次回から四章に入ります。




