13.来たる当日
それからは何事もない日々が続いた。
殆ど一日置きに交互に教師が訪ねて来て、授業を学ぶ。座学はフェルナン、作法はバラーレ夫人だ。
あのフェルナン対するバラーレ婦人は厳格で生真面目な女性だった。些細なことでも見逃さず、授業の際には聖花も洗礼を受けたものだ。
マリアンナとカナデでは全く体格が異なるのか、聖花が何をするにしても何処かぎこちない動きになる。マリアンナの動きでは上手くいく筈がないのだ。
それが仇となり、バラーレ婦人に手厳しく指導を受けたのだ。お陰様で今やすっかり慣れてしまった。
聖花に何も用事がない日には、書庫に籠もったり街へと出掛けたりした。
書庫は然り、街に行っても、厳重な監視により逃げるに逃げられず、ただ時が過ぎるのを聖花は待つことしか出来なかった。
が、不思議と辛くはなかった。完全には辛くない、といえば嘘になる。
それでも、刻一刻と近付く日々を心待ちにすると、気分が紛れるのを感じたのだ。
一つ変わったことといえば、アデルが聖花と食事を共にするようになった事だ。
本来であれば、使用人と貴族が同じ所で食事することはあってはならない。が、ヴィンセントと共に食事したい、と聖花が願った所、代役としてアデルと摂るように指示されたのだ。
但し条件はある。聖花の部屋で、且つ他の者に気取られないようにする事だ。
それさえ守れば許可が下りる。
幸いにもアデルは他のメイドから一線を引かれていた。他の者から見て、きっと成上り貴族の聖花と仲が良いからだろう。
だからこそ、食事を共にしていようが皆全く気付かなかったのだ。皮肉なことである。
因みに、残念なことにヴィンセントは食事の時間が惜しいほど多忙らしい。聞くに聞けないが、きっと表向きの業務以外のこともしているのだろう。
そう言えば、その期間にビートの話について考えたりもした。
当の本人はこの場にいるのに、何故か終身刑となっていれば考えもするだろう。
正直なところ、聖花にはアーノルドが手回ししたとしか思えなかった。でないと、こんなに円滑に事が運ぶなど有り得ないだろう。
それと同時に、だから脱獄しても騒ぎにさえならなかったのだろうな、と彼女は思っていた。
今は謎でも、いつかアーノルドが詳細を教えてくれる日を待つことにした。聞いても素直に教えてくれるとは思えないし。
けれども、彼には感謝してもしきれない事は確かだ。
例え目的があったとしても、助けてくれたことだけは事実なので、そんな感情を抱きはする。
勿論、本人の前ではそんなことおくびにも出さないが。
アデルが起こしに来るより少し早くに目を覚まし、聖花は寝具から起き上がった。
(今日が、一つの節目ね)
ふと思う。寝起きにも関わらず、聖花の思考は澄んだようにはっきりとしていた。
王族主催のパーティー。その参加名簿を覚えさせられた時、真っ先に目に入った家族の名前。
―――マリアンナが、いた。
その事実に何とも言えない気持ちを抱く。
やっと垣間見れるという思いと、見たくないものを見てしまうという恐ろしさ。
いくつもの感情が聖花の頭の中を行き来する。
が、まだまだ情報も少ないので、本人に直接仕掛けに出るには早すぎるのだ。
それでも出来ることはある筈だ。そう聖花は考えた。
アデルたちが部屋へと訪れるのを静かに待つ。その目はまるで死地に赴くかのようで、覚悟に満ち満ちていた。
とてもパーティーに行くとは思えない。
そうしていると、遂に扉がノックされた。「どうぞ」と返事をする。
予想通り入ってきたのはアデルだ。ただ、後ろに複数人のメイドを連れている。
聖花が時計をちらりと見ると、まだまだパーティーまでは時間があった。が、これから準備に数時間は掛かるだろう。
今日だけは朝食をまともに摂れそうにない。
メイド達の様子は多種多様だ。面倒臭そうな者、怯えている者、無表情を貫く者に主に分けられる。
それは、聖花に良い印象を抱いているメイドが少ないことの裏付けだった。
そんな者たちと長い間時間を共にするのは普通は苦痛であるが、聖花はもう慣れてしまっていた。
嫌な視線を一斉に浴びるかそうでないかの違い程度だ。
聖花は手始めに湯浴みへと連れて行かれた。誰も手を出してこないのは、反抗するメイドたちには徹底して処罰を下したからだった。
今では力の関係を理解したのか誰も何もしない。それでも、元々は仲良くしたかったので悲しいことだ。
髪を整えたら、今度は洋服だ。
聖花の着る服については有名店のもので、ヴィンセントが多額のお金を積んだらしい。少しでも目をつけられないようにだろう。
勿論、婚約者でも恋仲でもないのでアーノルドからの贈り物はない。そもそも痕跡が残ると不味い。
着替え終わると、流れ作業のように化粧を始めた。メイドたちは聖花の服に似合うメイクを画策していく。 出来るだけ話したくないのか、ひたすらに無言でつまらない。
ただ、アデルの場合は、真剣に取り組み過ぎて一言も話さなかっただけだろう。聖花も見ていて分かった。
後で興奮して大騒ぎするのが目に浮かぶ。この周囲の空気では間違いなく浮くだろう。
本人はこれといって気が付かないかもしれないが。
「お嬢様!漸く出来ましたよ!!」
「あら、思ったより早かったわね。皆ありがとう」
聖花が微笑む。アデル以外の殆ど全員は未だに素っ気ないが、流石に無視はしない。
頷き返したり、軽く返事したりするなどの反応をメイド達は返してくれた。
勿論、予想通り騒いでいるのはアデル一人だ。むしろ凄みさえ感じた。
空気が完全に白けているので、聖花はひとりになる為に一度皆を下がらせた。
メイド達はそそくさとその場を後にする。
(伯爵も人が悪いわね)
一人きりの空間で、そんなことを考える。今に始まったことではないが。
聖花の髪はすでにブラウンに染め直されており、瞳の色も茶系のカラーコンタクトを入れている。
パーティーの直前まで、ヴィンセントからはその存在を伝えられなかった。
それも、漸く今日アデルの口から伝えられたところだ。むしろ嫌がらせかと疑いたくなってしまう。
が、どうやら違うらしく、社交界でのルールやマナーが出来ているかの確認を行うらしい。
目立つな、と言う人間がする所業ではない。アーノルドに事前に教えられていたので知ってはいたが。
驚くべきことはそれだけではない。それは、案外ヴィンセントとアーノルドが情報共有していないということだ。
更に言えば、アーノルドが伝えていないことが多い、気がする。詳しくは聖花には分からないが、ヴィンセントも同様かもしれない。
目的が異なるからだろうか。
兎に角、聖花はアーノルドの頼み事を心に留めておいて、ある種正解だったと思った。どうやらヴィンセントも知らないようだから。
聖花自身、自分の目的とは直接的には関わらないので、今は深入りしないつもりだ。




