2.忍び寄る影 後半
「試験の回答を止めなさい。答案の回収、及び採点を行います」
女性試験官が試験終了の合図を指で鳴らすと、受験生たちが手に持っていた筆記具が弾けるかのように消えた。
回答用紙は浮き上がり、試験管の前に置かれた箱めがけて吸い込まれて行く。
(これが… 、本で見た魔道具……)
聖花は、『魔道具』が使われる瞬間を初めて目の当たりにした。先の不安よりも、驚きと何とも言えない感動が彼女の心の中を満たした。
魔導具―――それは、人類の利器。それ一つの開発に莫大な時間と費用が掛かり、物の理では説明出来ない代物。
魔石を入れることで扱え、貴族の生活を更に潤してくれる。
「他の試験官と、今季の最低点について議論して参りますので、そのままで少々お待ちください。
迷惑行為が見受けられた場合、即退出処分と致しますので、お静かにお願い致します」
そう言うと、試験官は箱を抱えて直ちに教室から出て行った。受験者たちの疲れがドッと表情に表れる。
張り詰めていた緊張の糸が切れたのだろう。
けれども、誰も一言たりとも話さなかった。静かに、時が来るのを待ち続けていた。
まさかこんなに早く結果が出るとは。皆そう思っているに違いない。心の準備というものがあるだろう。
様子は人それぞれ。見るからに絶望している人もいれば、自信に満ち満ちた様子の人もいる。
対する聖花には圧倒的な自信があった。
これまで頭に叩き込んだ結果が出たのか、それとも記憶の奥底に眠っていた知識が溢れ出したのか。不思議な事にスラスラと解答出来た。
程なくして、先程の試験管が教室へと入って来る。
用紙が大量に入った箱を抱えている。合否の通知書だろうか。
「‥‥‥お待たせ致しました。集計が完了しましたので、合格者の机には合格書を、不合格者の机には不合格書を配布します。不合格の方は、速やかにお帰り願います」
そう言うと、箱の中からその紙が飛び出した。
今度は受験者たちの所に向かって勢い良く飛んで行く。
それを見ながら、聖花は胸を高鳴らせた。自身の鼓動がはっきりと聞こえてくる。
自分自身を信じて、通知書が彼女の元に届くのを待った。
遂に、一枚の紙が彼女の前で動きを止めた。目の前に浮かぶ紙に書かれた文を二、三度心の中で読み上げる。
―――マリアンナ・ヴェルディーレ、合格。
その文章だけがやけに目に入った。嬉しさで身体を震わせて、文字をしっかりと目に焼き付ける。
取り敢えずは一安心だ。
その後は一通り内容に目を通し、魔術適正の測定をする為に、聖花は指定の場所へと向かった。
そこは所謂、グラウンドだ。地面は整備され、殺風景な光景が広がっている。
それを囲う巨大な岩壁。何処か威圧感を感じる岩壁には、特殊な加工が施されているらしく、並大抵の魔術で貫くことは出来ない。
これがあるお陰で、思う存分魔術の訓練が出来るのだ。ある程度の暴走は抑えられる。
聖花はグラウンドへと向かう途中、敢えて先の少女とすれ違った場所を避けた。そこからが一番近いのに。
けども、原因不明の悪寒が走って、彼女はそこに近付くのを止めたのだ。
そして無事、辿り着いた。
殺風景な景色を掻き消すように、人々がその場を埋め尽くしている。殆どが合格した喜びからか、すっかり気を抜いていた。
自分の属性は何だろうと、浮足立っている者さえ居るほどだ。中には興味なさげな者もいる。
属性の確認が済んだ者は、それぞれ色の付いた指輪を身に付けている。炎は赤、水は青、森は緑のようだ。
対する光と闇は―――今のところ見当たらない。
(私はどんな属性かな。
炎でも水でも、森属性のどれでも素敵だなぁ)
そんなことを考えて、聖花は列へと並ぶ。
光と闇は眼中にはない。非常に稀だと聞いていたから。
そうしていると、前の方からどよめき声が聞こえてきた。魔昌石の置かれた辺り。
それは徐々に後ろへと伝わって、大きな騒ぎへとなっていく。
何事かと思い、聖花は静かに耳を澄ました。
「……ゃ、ゃや、やみだ!!闇が出たぞ!!!」
「闇だって!?!?!?」
「最悪だ。よりによって闇が……」
"闇が出た"。そう人々が口にする。何かを恐れた声。
大声で騒ぐ人、驚愕して目を見開く人、小さな声で呟き続ける人―――。皆様々なことを言い合っている。
勿論、聖花も驚いた。なにか嫌な予感がした。
一体誰だろうか。そう思った彼女は、その姿を一目見ようと、背伸びしたり横から覗き込もうとした。
けれども、肝心の本人が見当たらない。居た堪れなくなって、直ぐに立ち去ったのだろうか。
そうこうしている内に、既に聖花の番が回って来ていた。
すっかり殺伐とした雰囲気が漂う中、彼女が魔昌石へと優しく手を乗せた。
瞬間、閃光がほとばしった。何事かと目を見開く。
が、それは徐々に大きな光となり、辺りを強く照らした。純真無垢で、神秘的な光。
思わず目が奪われたけれども、漸く冷静になった試験官から小さく声を掛けられる。
正気に戻った聖花が石から手を遠ざけて、やっとのことで呟いた。
「………これ、は……???」
彼女の周囲も見事なまでに固まっている。
対する遠くにいた人は、突然の閃光に、何事かと目を丸くした。
静寂は一気に広がり、気が付いたら皆黙り込んでいた。
けれども漸く、誰かが呆然と呟いた。聖花の近くで順番待ちをしていた者。
「光、だ、、、、、、、」
その言葉が、嫌にしんとしたグラウンドに響き渡っては消えていく。
すると、皆何処かから呼び戻されたかのように、息をゆっくりと吐いた。
「闇と光が、同時…………。何てことだ。こんなこと、近年、我が国では見られなかったのに」
先ほどのざわめきが、別のものに塗り替えられる。歓喜の声と、憧れるような声。羨望の眼差し。
中にはそれを悲観するものもいたが、その殆どが期待を抱いた。闇に対抗しうる力。
今は皆、自分の属性なんかよりも、目の前で起こった出来事にすっかり意識を向けている。
周囲の眼差しに耐えきれず、聖花は慌てて指輪を受け取った。その場から逃げるように出て行く。
向けられる物は違えど、闇属性の人もこんな気持ちだったのかもしれないと思って。
指輪は無色と白銀が混じりあった神秘的な色だった。
人々の視線から逃れ、聖花は漸く落ち着きを取り戻した。
誰かに呼ばれている気がして、校舎の中をひたすら歩き回る。今にも消えそうな声だった。
後は帰るだけなのに、どうしてか行かなければならないような気分になったのだ。
目的地が分からずとも、聖花の足は無意識にその声の主の所へと向かって行く。
けれどもそれには気が付かない。
少しずつ、歩を進めて、少しずつ、彼女の待つところへと近付いた。
そして、曲がり角を曲がった。その時だった。
―――視線の先に、ある少女が立っていた。
濃い青髪の、少女。
けれども彼女は動かない。動かずに、誰かをただただ待っていた。
意志なんかに関係なく、聖花の足取りは止まらなかった。少女に向かって、いつものように歩いていくだけだ。
少女は笑っていた。奥が見えない程に深く、底まで黒い目を細めて。
それがとても恐ろしかった。
(止まって!止まってってば!!)
けれども聖花は止まらない。止めることが出来ない。
恐怖で足が竦みそうになっても、顔を歪めても、今の彼女にはどうすることも出来なかった。
そして、とうとう聖花と少女はすれ違おうとした。その時だった。
ニッコリと歪に笑った少女が、何かを呟いたのは。
聖花の視界がぐにゃりと歪んだ。何事かと困惑して、頭が上手く回らない。
そうしていると、その内に視界が漸く開けてきた。真っ直ぐ、向いていた方向をそのまま見据える。
視野の先には、マリアンナが通って来た所。
つまりは、先程までの少女が見ていた景色が広がっていた。
この時のセイカの気持ち
(あれ?さっきまでと逆の方を向いてる。
一体どうして?何が、起こったの‥‥‥?)




