母、五歳になる 7
「やだ! もう、りおーがきらい! きらいきらいだいきらい! うわああああん! いたいよお!」
母上がわんわんと泣き出して、リオーガは真っ青になると慌てて離れた。
「ごごご、ごめんなさい! つい……」
びーびー泣いてる母上をよしよしと宥めながら、私自身も弛められた拘束のあまりの力に腰が抜けた。
そこで母上を落とさなかったのは私の気力のみ。
アクタが慌てて私の背を支えてくれる。
宰相がハラチュに目配せしていた。
ハラチュは私に何か言いたそうな顔をしたが、一礼すると教室へと向かっていった。
「……学校に護衛を入れた方がいいな」
「警備員だけではダメだろ……」
宰相と熊さ……団長が溜息混じりに呟く。
異論はない。むしろ必要だろ。
今まさに王族存続の危機だったろ……。
この混沌の原因である紫こと魔法薬研究所副所長リオーガは、その長い紫の髪が地に付いて砂まみれになるのも厭わずにひれ伏している。
「ごめんなさいごめんなさい! イチヨ様うっかり、ボクほんとうっかり!」
五歳児の幼女に混じって四十近いオッサンがわんわん泣く……リオーガは四十近く見えないが、それでもいい大人にしか見えない。
傅かれて生きるのが王族の定めとはいえ、大人をわんわん泣かせる趣味はない。
それよりも、リオーガの首に巻かれた白いもふもふしたものが、ぺしぺしと猫の尻尾のように彼の頭を叩いている。
襟巻きかと思ったが、生きているようだ。
アクタがこそっと耳打ちしてきた。
「ソーシェ様、もふもふもいますよ」
「……後で触らせてもらえるか聞こう」
「そういうことではなく」
「アクタ生き物はダメだったか?」
「いや、好きですけどね」
私はそれに大きく頷く。もふもふは至高の生物だ。
そんなことよりしかし――。
「……それにしてもなんでこんな早くタニーザ達が……」
私が城の伝達能力に感心していると、宰相が言う。
「城の緊急用伝達能力のある蔦を使えば、まるでその場にいるように会話ができます。それを使いました」
「えっ」
初耳ぃ。
「緊急用です。国難や有事の際に使用するため王が存命の頃に王妃陛下とそこのリオーガによって城と特定の場所が結ばれました」
「魔法薬研究所と国境を領地にしてるとこと、あとどこだっけ」
さすがにやっと己の年齢を思い出したか、ひくりひくりと出る泣きじゃっくりを抑えながら副所長が言う。
屈んだ宰相が副所長の頭をべしり! と叩いた。
「殿下、こいつは魔法薬学では王妃陛下と1、2を争う成績の者です」
「あ、ああ?」
「ろくでもない魔法薬を作り人体実験をするのが趣味で――」
「じんたいじっけん!?」
思わず声を上げると、副所長が不服そうに顔を上げたのが見える。
「違う! 自分でどんな効果あるか試すの!」
「おい! 言葉遣い!」
反論する副所長の頭を宰相がまたべしりと叩く。
「……イチヨさまと同じだよ。新薬ができたら自分で試すの、毒じゃないって分かってるから」
「自分で試すのも人体実験と言うのでは……?」
びーびー泣いていた母上は、今すんすん鼻を鳴らしながら副所長の話を聞いている。
あれ? 母上ホントに五歳か? もっと下な感じがする。
「――とりあえず伝達が早かったのはそういう理由です殿下。物理的に早かったのは足を早くする薬を飲みました」
宰相の言葉にニッキ団長も満足気に頷いた。
「……あれはいい、馬より速く走れるのは非常に気持ち良かった」
「……お、おお」
走ってきたのか。
「なぜ使用禁止なんだろうか」
ニッキが首を捻ると、宰相が溜め息を吐いた。
「スピードを決めて取り締まらねば事故が起きまくるでしょう。年寄りは異常にゆっくり走り渋滞を引き起こし、体力に自信のある者は年齢関わらずスピードを出したがるでしょうし、小さな子などは四つ辻を飛び出したがりますからね」
「確かに曲がり角とかも大変そうだよね」
副所長もしれっと会話にまざり始めた。首の白いもこもこから出た長い尻尾がひたんひたんと彼の肩を叩いている。
「あしのはやいくすりはどうでもいいの。なにしにきたの?」
私の腕の中から母上がやはり泣きじゃっくりを――こちらは抑えずに問うた。
そう、そうだよ、何しに来たんだ。
副所長は小首を傾げる。何度も言うが彼は四十近いオッサ……大人。
十代ならばまだしも、いや十代でもムカつくリアルでやられるとあざとい仕草は似合わないだろう!?
よし息継ぎなしで言ってやった(心の中で)。
「イチヨ様が研究室久々に見たくって。できたら色々過去研究結果を見せてもらいたいのと、イチヨ様を戻すヒントになるレシピを探したい。とんでもない効果だもん、これ」
「……なるほど。母上はどうされます?」
校内にあっても研究室は母個人のもの、中にあるこれまでの……まあ表に出せるものから出せない研究結果はいずれ研究所に引き渡さなければならなかったのだから、今回がいい機会だろう。
これまでは母上の多忙さゆえ、研究室の片付けは私が王位を継いで落ち着いたらするつもりだったらしい。
美しい
そこら辺でも中々に自分の頼りなさを突きつけられた気分になる。
はふ、と思わず息をつけば、腕の中からその美しい黄玉をまだ涙で潤ませながらも私の頭に小さな手のひらを当ててよしよし、と慰めてくれる。
「母上、ありがとうございます。鼻、ちーんしましょう」
ギャン泣きに泣いた母上の鼻水を拭うためにちり紙を出した。
【リオーガ】
39歳・魔法薬研究所副所長。
侯爵家の次男坊で父の持つ伯爵位を継いだものの領地は兄任せで放棄中。独身。
イメカラ:ツンデレ風紫
⭐️紫のゆる編み長髪と瞳
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でんでんむし展開&でんでんむし更新ですみません(涙)