母、五歳になる 4
何とも嫌そうな声を出したのはニッキ団長だった。
「ニッキ殿、アレが苦手なのはあなただけではない」
宰相もめちゃくちゃ嫌そうな顔をしている。
アレ……魔法薬研究所副所長……会ったことがあるような?
思わず首を傾げた私に、アクタが含み笑いしながら耳打ちする。
「きましたよ紫です、紫」
紫? ……ああ。
魔法薬研究所副所長と言えば派手な紫色をした長髪の。
「リオーガ伯爵か」
私がそう声に出すと、宰相が苦いものでも飲み込んだような顔をした。
「……ええ、リオーガ殿であればこの状態に至る原因と戻す薬を作れるかもしれません」
「あいつ、王妃様とは研究仲間だったしな……」
団長も力なく呟いた。
そう言えば団長も母上たちとは幼馴染みだったと聞く。
父上がまだベッドの住人だった頃、私に言っていた言葉があったな……。
『幼馴染みや友人とは良き好敵手でもあるんだ、ソウシェも友人は大事にするんだよ』
ライバルか。父上にとって彼らはお互いを高め合う良い友人だったのだろう。
父上にとって幼馴染みであり婚約者でもあった母上もそうなのだろうか。
すやすや眠る母上を感慨深く見れば、現在もよだれが肩口に垂れ流されていることを確認した。
うん、着替えよう。
「では一旦私は陛下を連れて下がる。陛下への伝言は陛下付侍女頭のライテを通して伝え、私にも伝えるように」
私がそう言うと、室内の者はアクタ以外皆頭を下げた。
* * * * *
自室の前に母上の侍女ライテが待ち構えていた。
「イチヨ様はお預かり致します」
「ああ、頼んだ」
侍女は寝ている母上をその腕に引き取ると、一礼して下がる。
そのまま私はアクタと共に部屋に入ると、ベッドに突っ伏した。
「腕が……肩が……子供ってあんな重いのか」
「まあ寝るとね、そりゃあ重くなりますよ。力抜けるんだから」
アクタはそう言って、私の上着を脱がしにかかる。
「わー、よだれでびちゃびちゃですね。で、今日学校どうするんですか」
「行かないとマズいだろ」
「ああ、苦手分野の授業ですか」
「学校じゃなくて王城で個人的な教育受けるのじゃだめなのかな」
アクタはやれやれと新しい上着をうつ伏せたままの私の上に投げ付けた。
「そういうもんなんでしょ? 昔から。『同年代の貴族子女と友好を育むことで未来の臣と心を通わせ、また切磋琢磨することにより王族として己を律し他者を認める為の王族への学校教育である』ですからねーって何回言いましたっけ」
わかってる。わかってる。理解してる。
だけど行きたくないんだよなあ。学校。
「ソウシェ様あれっすよねー、婚約者サマに会いたくないから」
「……うん」
「仲は深めないと」
「……うん」
「解消しても文句言わないと思いますよ、誰も」
「……」
母上のように完璧王妃を望んでいるわけではない。
私のような薄ぼんやりした者にははっきりと意見を言ってくれて、手を引いて導いてくれるような……。
「婚約者サマ、強気だし手を引くどころか抱えて走り出しそうですよね」
おっと、声に出ていたか。
「……サノア嬢の気持ちが私に向いていればな。私に全く興味がないからなあ」
「なんで侯爵令嬢なのにあんな男好きになったんですかねー」
アクタがそう言うのも仕方ない。
サノア嬢は演技でも何でもなく、好みの男性に突進するタイプだ。
ちなみにアクタも言い寄られている。
彼女は私みたいな薄ぼんやりではなく、こう……闇を抱えてそうな? お仕置きだよ? というセリフが似合う男が好みだ。
……と、2年前にはっきりと言われている。
国内で結婚相手となるとサノア嬢も私もお互いしかいなかったために結ばれた消極的消去法婚約だ。
彼女は不本意な婚約にいたくご立腹で、結婚した後はお気に入りの男を囲うと宣言している。
『男は他に側妃作ったり愛人作っていいのに何で女はダメなわけ!?』
婚約式でそう宣って、侯爵夫妻はぶっ倒れた。
人って本当に泡吹いて倒れるんだなって。
そういえば母上は何も言わなかったな。
サノア嬢に決めた時も、婚約式でも。良いとも悪いとも。
「はあああ……」
「うっわ、すっごいタメイキ」
「侯爵夫妻から是非にと請われたことだし、他に相手もいないし」
「あんたのその自信のなさは何なんですかね。見た目はちゃんと王子様なんだから、胸張ってたらいいんですよ、さっきの執務室でもちゃんと王子様だったし」
ぼすん、とアクタがベッドの端に座って、私の身体がばゆんと揺れた。
「ぐぬう」
「ソウシェ様はソウシェ様ですよ、薄ぼんやりでもロイヤルミルクティーでもそれもソウシェ様のいいとこじゃないすか」
「そうかなあ……」
「まっ、とにかく用意してくださいよ? 俺も用意してくるんで」
「ふぁい」
ベッドにうつ伏せたまま返事をすると、また身体が揺れて、部屋の扉を開け閉めする音が聞こえた。