48
【外界184日目(雨)】
宿から雇用主が出て来ないが、頭上を滝の如く雨が降り注げば仕方もないだろう。
川も激流に変わり、天幕で1日が終わるのを待つほかなかったものの、乾いた土の上で聞く焚火。
そして花を摘んでは編む妖女の鼻唄も、正体を知らねば風情を感じてならない。
だが景観では腹も膨れず、夕餉の具材も無くなってしまった。
釣りは困難だが幸い蛙の鳴き声が聞こえ、早速調達すべく野営を離れると、川辺にて手際よく食材を回収していく。
順調に篭を満たしていたのも束の間。ふと雨音以外の気配を感じるや、亡霊まで点滅を始めた。
己が直感と光に従って振り返れば、蛙とは似ても似つかぬ――何度も濡れた草地に倒れ込み、顔も拭わず這ってくる妖女の姿があった。
どうやら“見えていない”らしく、食材を探しているようにも見えない。
放っておけば川に流されそうな様子に渋々摘まみ上げ、天幕に戻れば調理のために汲んだ水を妖女の泥落としに使う羽目に。
その際に[…つめたいよぉ]と震えるため、湯を沸かす事になった。
[……ひとりにしないで]
そして身体を洗っていた時、聞こえた声に思わず手を止めた。
瞳なき眼と目が合った気もしたが、頬を伝う雫が泪なのか。あるいは彼女の艶やかな髪より流れた雨水なのか区別がつかない。
だが2つ確かなことは、いまだ雨の降る日を他者なくして妖女が過ごせない事。
そして目標の半分にも満たない蛙で夕餉を我慢するほかなく、焚火で炙る間も彼女は当然の如く股座に居座った。
雨天の悪習が再発していなければ良いのだが。
【外界185日目(曇り)】
雇用主が担ぐ装備は、以前遺古都に向かった若者2人に似通っていた。
再び同じ場所へ赴くのかと、町を出立した頃より抱いていた不安は、見知らぬ山道を昇り降りする事で解消される。
新たな雇用主も歩調は多少落ちるとはいえ、彼岸奴も連れずに自ら荷を背負っているからか。
休む事なく進み続ける体力は申し分なく、初日から夕餉に燻製を提供されなければ、何1つ文句はなかった。
まさか終始それだけで済ませるつもりもあるまい。
【外界186日目(曇り)】
移動速度を上げるべく荷を肩代わりしようとするも、頑なにしがみつかれて拒絶された。
[お姉さんが持つからだいじょうぶだよー]
肩に覆い被さる妖女の一言で渋々手放したが、気丈である事を悪とは謂わない。
ただ目的地に着くまでに潰れない事を願うばかりだった。
今日もまた夕餉は燻製だった。
【外界187日目(雨)】
集落を出立した時より立ち込めていた暗雲が牙を剥いた。
突然の夕立に雇用主を荷ごと掴み、岩蔵へ避難したまでは良かったが、鍋で防いだ妖女と異なり女はびしょぬれ。
吹き曝しの山道を移動すれば仕方のない事だが、焚火を起こすにも枝は殆ど手元にない。
体調を崩されては元も子もなく、どうしたものか検討していた矢先。
穿たれた縦穴の水溜まりに目が留まり、成人が浸かるには申し分ない深さに、すかさず大鉈を差し込んだ。
柄を数度叩けば徐々に水溜まりも湯立ち、その様子に雇用主も状況を理解したらしい。
すかさず脱衣を始めるや、肩越しに一瞥してくる視線に背を向けた。
妖女の声が聞こえた直後に入水の音も響き、前門に雨。後門は湯煎と、岩蔵ではどちらも木霊して騒がしい。
【外界188日目(曇り)】
森を抜けるや、目的地は即座に把握する事ができた。
人の多さ。畑に家畜。四方から耳にする採掘音。
そして山を削って建てたろう古都が、否が応にも視界に収まった。
掘っ立て小屋もいくつか見受けたものの、集落を立ち上げているわけではないらしい。
古都への潜行に中規模の野営を行ない、採掘は彼岸奴が。
そして見張りには傭兵が雇用され、雇用主と似た衣装を纏った者たちは、手元の紙切れを終始睨んでいた。
そのまま進めば古都の石門にて雇用主が男と対話し、さらに奥へと入っていったが、内部はいつぞやの邪教徒が立て籠もった物や、2人の若者と訪れた物とも様相が異なる。
整然とした道には外で見た面々と変わらない作業風景が広がっていたが、雇用主は脇目も振らずに歩みを続けた。