19.心の面
「ひ、桧山~、永野~」
「やれやれ……、一時はどうなることかと思ったぞ……」
もう泣き出してる美樹本と呆れた様子の先輩がライト片手に俺たちの傍に来た。どれほど心配を掛けたのか、美樹本は人目も憚ることなくえぐえぐ涙を流している。
途中から本当に悲痛な叫び声出してたからなぁ。瞬間的に掛けてしまったストレスを思うとどう詫びを入れたらいいものか。
「ウ、グス、ゴ、ゴメン、美樹本……」
「馬鹿! 桧山も永野も馬鹿! 二人共馬鹿! 心配ばっかり掛けて!」
「落ち着いて美樹本君。それではまるで母親の文言のようだよ。心配を掛けられたという点には私も同意するがね」
ついと先輩の目が俺へと向く。日本人特有の無の表情を浮かべているが、眼鏡越しの目を見れば分かる、これ結構怒ってる。
「全く……、君は比較的常識人で大人しい人間だと思っていたのだがな。私の見込み違いかい、永野君?」
「いえ……、これが一番被害の出ない方法だと思ったので……」
「散々私たちの肝を冷やしに冷やしてかい? こら、ちょっとこっち向きたまえ。弁明するならきちんと目を見て行う」
追及の手が厳しい。先輩としても全く望んでない展開だったことは理解出来る。
そもそも何故先輩は桧山の心情に対し五蓋とかいう仏教の教えなんて出してきたのか。俺を羨んで鬼を見たなら、行き着く先は強烈な嫉妬かはたまた憎しみか。普通ならそんな帰結に達するはずだ。
それなのに単なる欲だと言い切ったのは、いろいろと思慮深いはずの先輩にしては明後日な解釈だったように思う。
まぁ、理由は想像出来るけど。ただでさえ桧山が騒動の原因じゃないかとか指摘しといて、更には俺を憎んで鬼になってしまった、なんて予想でも言いたくはなかったんだろう。
先輩は合理的な判断の下せる人だ。でも同時に人を慮ることだって忘れない。だから、俺自身が桧山の負の面に踏み込むような真似をして心底驚いただろうよ。覚悟を訊ねといて、本心では触れさせるつもりはなかったんだろうなぁ。
先輩の心情を思えば説教も甘んじて受けるべきか。俺が先輩に詰られている間に、美樹本も桧山を散々に非難し尽くしたあと、どうにか高ぶった感情も治まりを付けることが出来たようだ。
「……それで、桧山はもう平気?なの? もう暴走したりしない?」
「ウン……。アン時はナンカ頭ノ中ガカーットナッテ、ソレデ気付ケバ永野ヲ追イ掛ケテタ。モウ俺ハ鬼ナンダカラッテ、ナンカ凄イ投ゲ遣リナ気分ダッタ」
「ふむ。そして今はその気持ちも鎮まっていると。だからそんな冷静になれたのかな?」
「多分……?」
しっかりと受け答えをしながらも半分はよく分かってない様子の桧山。そんな桧山を美樹本はハラハラと見守っているのだが、サイズ感が違い過ぎて某醜い野獣とヒロインみたいな構図になってる。
「ふむ。でも姿は戻っていないね。鬼のままだ」
すっと明かりを桧山に向ける。桧山はあの巨大な鬼のままだ。現在は泣き腫らして、しょんぼりとした表情で体育座りなんてしてるから迫力のはの字もない。それでも二本の角に鋭い牙、筋骨隆々とした肉体は健在でどこからどう見ても鬼である。
表情、そして会話からしても中身は普段の桧山に戻っているだろうに、なんだって外観はそのままなのか。
「これ、元に戻りますよね? ま、まさか一生このままってことはないですよね?」
「むぅ……、それは、なんとも……。そもそもここまで肉体的に変化が起こること自体、どう説明をすればいいのか……」
先輩も不可解だと首を捻る。桧山は多分照魔鏡の作用で鬼に転じた。ファンタジーな見解だが現状だとそれ以上に可能性のある説はない。ならもう一度鏡に映らせればいいのか? それで桧山の顔が映れば元に戻るとか。
「も、戻れないんですか!? それだと、桧山が……!」
「……俺、別ニイイヨ」
「え!?」
焦る美樹本とは対照的に桧山は達観したような顔でそう告げる。驚いて見返すも、まるで凪いだ水面のような目をしていた。
「コレ、多分俺ヘノ罰ダロウシ。イロンナ人ニ迷惑掛ケテ、永野モ傷付ケヨウトシテ、俺悪イコト一杯シタ。ダカラコレ罰ナンダヨ。俺、本当ノ鬼ニナッチャッタンダ」
「な……っ、そんな訳ないでしょ!? 何言って!」
「ダッテ俺ダケ完璧に鬼ダモン。他ノ鬼ニナッチャッタ人ハコンナニ変ワッテナカッタダロ? 俺ダケジャン。俺ハ元凶ダカラ、ソレデ鬼ニナッチャッタンダ」
きゅうと身を縮めて悲しそうに桧山は語る。確認した限りでは、確かに桧山ほどの変わりようをした鬼はいない。なんで桧山だけこうも変化が全身に及んだのか、こいつの語るように元凶だからか? それとも別の理由があるのか?
「桧山君、君の行いにより確かにこの公園には鬼が生まれてしまった。でもね、君は決して故意によりこのような事態を引き起こした訳ではないんだろう? どうにか事態も収拾しようと、撮影される危険も押して何度も鏡を探しに行ったんじゃないのかな? 私にはとても、そんな重い罰を受けるほどの罪が君にあるとは思えない」
真摯に先輩は桧山へと訴えた。騒動にはなった、でも幸い怪我人が出たという話は聞かない。傍迷惑な騒ぎにはなったが、それでも、桧山の今後の人生が潰れてしまう、それほどの重い罰が相応しいとも思えない。
俺も美樹本も先輩には同意なのだが、当の本人だけが暗い顔をして納得いかないといった表情を浮かべていた。
「……俺、鬼ナンデス。初メテ鏡覗イタ時モ、ソレカラ鏡探スタメニ池ニ入ッタアトモ、ズット俺ノ顔ハ鬼ダッタ。俺、本当ハ鬼ナンデス。人間ジャ、ナインデス。ダカラコノ姿ハ本当ノ俺ナンダト思イマス……」
泣きそうに顔を歪めて桧山は自分を鬼だと断じる。余程自分が鬼として映ったのがショックだったのか。心底そう思い込んでいる感じだな。
「ば……! 違うよ! 桧山は鬼なんかじゃない!」
「そうだ、桧山君。それは君の思い込みだよ。君は決してこのような醜い鬼などではない。君は私の無茶振りにも応えてくれる気の良い人間だ。友だち想いでもある。そんな君が鬼であるはずがないだろう?」
懸命に言葉を重ねる二人だが、桧山にはあまり響いていないのは垂れ下がった眉を見れば分かる。桧山自身が自分を疑っているから納得がいってないんだろうな。
「桧山」
体育座り継続中の桧山へと近寄って声を掛ける。名を呼んだだけでびくりと肩を震わせて、こっちを怯えた目で見てくるのは奴なりの罪悪感の表れか。
俺に対する罪悪感も自身を鬼だって断じる理由の一つにはありそうだ。そんなもの別に無視してくれて構わないのに。
「お前そんなに自分の顔が鬼になったのがショックだったのか?」
「……ウ」
「自分の中に鬼がいたのが嫌だったか?」
「……」
聞いてみれば悲しそうに視線を落として無言で頷きだけを返す。まぁ、そうだろうな。鬼って良いイメージはないし。
「鏡に映った鬼が自分の本心だってそう思ったんだな」
「永野君」
「ちょっと待ってください。これは大事なことなんで」
桧山の心を抉る言葉を発する俺に先輩から待ったが掛けられる。顔を見なくても声が非難しているのでさっと牽制した。本当に大事なことなんだ。
「……」
「お前は映し出された鬼が自分の本当の姿だって信じた。そうだな?」
「……ウ、ウン」
言いたくなさそうに、それでも確かに頷く。それを聞いてはぁと口からため息が漏れた。
「いいか、桧山。それは単なる思い込みだ。鬼が映ったからってそれはお前の真実の姿なんかじゃない」
「エ!? デ、デモ俺コンナ姿ニ……」
「それはお前の思い込みの結果だ。真実とは関係ない」
驚き戸惑う桧山にきっぱりと言ってやる。心の中では多分と付け加えているが、口に出さなければ桧山にはバレないだろう。
「隠された真実を映すっていう照魔鏡の触れ込みを信じたお前が、いざ鏡を覗いてそこに鬼を見た衝撃ってのは中々なもんだったんだろうなと理解はする。だがな桧山、鏡ってのは単なる平面だ。映るものは限られた角度から見えたものでしかないんだよ」
「エ……」
「つまりは単なる一面だ。映すものの全てを鏡一枚で捉えるなんてのは不可能だ。言ってることは分かるな? 照魔鏡に映った鬼は、あくまでもお前の中の一面、『桧山亨』っていう人間の心の一部をただ映しただけなんだよ。それがお前の全てじゃないんだ」
唖然とこっちを凝視する桧山に言ってやる。鬼が映ったことは否定しない。桧山自身も認めた感情だ。だから桧山の中に鬼がいることを認めつつ、でもそれがこいつの全てじゃないと否定する。
「蘆屋先輩の受け売りだがな。鬼ってのは本来そう人から離れた存在じゃないそうだ。誰の心の中にだって鬼はいて、でも同時に仏と言えるような感情だって同居している。俺もそう思う。誰かのことを心底憎らしく思ってたって、別の誰かのことは心底気に掛けて心配してたりするだろ。そんな人間は皆鬼だって思うか? 一律で悪い感情だけを見てそいつを鬼だって言うか?」
出来るだけ真摯になるよう問い掛ける。チラリと桧山の目が脇に逸れた。多分先輩の顔でも見てるんだろう。一瞬見開いてから戸惑うように戻ってきた目を見つめ返して続けた。
「だからな桧山。お前は心底鬼なんかじゃねぇよ。鬼は確かにお前の中にいる。でも、それと同時にそうじゃないお前だって確かにいるんだ。お前が本当に鬼だって言うならどうして俺が傷付かないように必死に拳を逸らしてたんだ? 心底俺を憎んでるならそのまま殴り付ければ良かったじゃねぇか」
聞けば目が大きく見開かれた。最初からおかしかったんだよな。俺の運動神経は並だ。こんな筋肉たっぷりの腕から繰り出される豪速の拳なんて、そう簡単に避けられるはずがない。元から桧山は当てるつもりがなかったんだ。鬼になって暴走していても、根底には俺を傷付けたくないっていう意識がちゃんと残っていた証拠だ。
「ソレ、ハ」
「友だちだから、だろ? 俺を憎いなって思っていても一方で友だちだとも思っていたんだ。だからお前は完全な敵意なんて俺には向けられなかった。友だちである俺を大事に思っていたから痛いことなんてしたくなかったんだろ?」
こちらを凝視する桧山を見つめる。ポカンと目も口も開けっ放しにして、意表を突かれたと言わんばかりにただ見入っているその顔。鬼の凶悪な面構えだってのに、そこに確かな普段の桧山の表情を見付けて思わず小さく吹き出した。
「それって鬼って言えるか? お前はただお前として俺を羨んで、そこから憎んで、でも同時に友だちだって親しみを捨てられなくていろいろごっちゃになっただけのことだろ。お前は鬼なんかじゃねぇよ。お前はただの『桧山亨』っていう人間だ」
これが真実。鏡なんか通しちゃいない、自分の目で確かめて考えて出した結論だ。鏡は確かに正確にものを映す。でもそれは人の目だって大して変わりはないだろう。むしろ好きな角度から自由に見ることが出来るだけ利便性は上と言える。真実を映す鏡にだって負けちゃいない。
確信を持って言ってやれば桧山の目からぼろりと涙が零れる。ポロリなんて可愛いものじゃない。ぼろりと、軽くピンポン球くらいの大きさの雫が次から次へと桧山の目から溢れ落ちていった。金色の丸い虹彩も水の中で揺れて歪んでいる。
「……俺、鬼ジャナイ?」
「ああ、違う。お前は鬼じゃない」
「……俺ハ、俺?」
「それ以外の何者でもないだろ。お前は桧山亨。運動が好きで勉強は苦手で、それで歌が物凄く上手い明るい馬鹿」
「馬鹿ハ酷イ! ……デモ、デモソウカ。俺ハ俺ナンだ……」
泣いて笑って、安心したように呟いた桧山の体がみるみる萎んでいく。盛り上がった筋肉は年相応の薄く引き締まったものに、身長も平均男子高校生くらいの座高と足の長さに、顔だって厳めしい面はどんどん縮んで見慣れた顔付きに、そして最後に、二本の角もシュルシュルと凹んでいって滑らかな肌の額が前髪から覗いた。
「俺……、俺は、鬼じゃ、ない。人間の、『桧山亨』なんだ……!」
元の姿を取り戻した桧山が噛み締めるようにそう溢す。顔も髪もなんなら服だって全身ボロボロに乱れた姿で、それでも桧山はとても嬉しそうに、感激に咽ぶように満開の笑顔をその顔に浮かべた。
どうにか取り戻せた。その安堵に、知らず誰からとなくほうっと安堵のため息が周囲に落ちた。




