14.桧山の現状
五、六と続けて授業を受けて放課後。掃除を挟んでさて自由時間だと昼休みの続きを行おうと考えた訳だが。
「あの、桧山」
「ごめん! 俺練習行くから!」
呼び掛けるや否や、桧山はさっと鞄を抱えてあっという間に教室を出て行った。まるで風のような素早さに引き留めることも叶わない。
「……」
なんとも言えない沈黙が残された俺たちの間に広がる。露骨に避けられた、昼休みのことは悪手だった証拠か。
「どうしよう……。桧山から避けられた……」
「有無を言わさない対応だったね。ああも頑なになるなんてちょっと予想外?」
三人顔を突き合わせて途方に暮れる。周囲からもなんだなんだと興味深げな視線が届けられるが、そんなものに構えるだけの余裕もこちらにはない。
覚悟を決めて懐に踏み込んだはずなのに、結果は更に距離が空いてしまって溜め息も出ない。
「鍵は恐らく真人だろうね。明らかに真人に対してだけ亨の態度は違った。真人への何かを気にして亨はあんなにも頑なに口を噤んでいるんだと思う」
「……何度も訊ねるのも悪いけど、本当に永野は心当たりってないの?」
「……ねぇよ。あったらとっくに明かしてる」
真剣な表情で聞かれるのに唸るように答えを吐いた。あいつは俺は悪くないと、自分が悪いんだと言っていた。俺は桧山に何かされたのか? 自分が悪いって叫ぶような、そんな何かを知らない内にされていたと? それが切欠で今回の騒動に発展してしまったというのか。
心当たりはやっぱりない。だって俺の方には何もない。調子悪いとか俺に関する悪い噂が広まってるとかそんなことは全くない。あいつは何に罪悪感抱いて俺を避けようとしているんだ?
思えば桧山は新学期始まって早々、俺を避けようとしていた。態度がおかしい、元気がないと余所に解釈を向けていたが、あれはきっと俺と真正面から対峙することを避けたくてあんな態度を取っていたんだと今なら素直に認められる。
つまりその時から桧山は俺を理由に悩んでいたと? そんな前からあいつは抱えていたってのか。一体、俺とあいつとの間に何があったって言うんだ。
「なぁ、ちょっといいか?」
ぐるぐる考え込んでいれば横から声を掛けられる。顔を向けると、そこに濱田が立っていた。困り顔と言うか、迷いを見せるような曖昧な面で俺たちを窺っている。
「ん? どうかしたの? 濱田君」
「ちょっと……、話あんだけど、いいか?」
言い難そうに切り出される。ちらちら周囲を気にする素振りを見せているから、恐らくは場所を変えて話したいってことなんだろう。
聞かれたくない話を俺たち相手にする? 仲は悪くないが、だが親しいかっていうとそんなことはない濱田が絡んでくる理由は、同じサッカー部である桧山くらいしか思い付かない。
無言で顔を見合わせ了承を返す。話を聞くため、場所を移動することとなった。
あまり人に聞かれたくないという濱田の願いにより、俺たちは本校舎の四階、それも屋上の扉前に腰を落ち着けた。ここなら人も滅多に来ないし、話し声だって早々階下には響かないだろうと嵩原のお墨付きだ。なんなら屋上に出ればとも思うけど濱田には鍵開けは教えないつもりのようだな。
「……それで話って何? 僕たちに何か相談でもあるのかな?」
一先ずと美樹本が話を振る。ここに来るまでもそして来てからも、濱田の顔色はずっと冴えなくて迷いのある表情ばかり浮かべている。
余程重要な悩みでも抱えているのか。何度も口を開閉しては、中々話し出せずにまごついている。
どうしたものかと視線を交わす。濱田には悪いが、俺たちは俺たちで早急に解決しなければいけない問題抱えてるからな。
「えっと、あ、そうだ。確か今サッカー部って強化月間なんでしょ? 濱田君は部活行かなくていいの? 話ならあとでも聞くし、今日はとりあえず止めとく? 言い出し難いことなら一度落ち着いて話す内容を纏めた方が話し易くなるんじゃないかな?」
思い付いたと美樹本は一度話を持ち帰ることを提案する。濱田のことを思って言っているのは確かだが、今余所に時間を消費するのは避けたいって思惑も幾らかはあると思う。
あくまで提案、相手を気遣ってるとそんな態度を前面に押し出しての発言だったのだが、濱田はそれにピクリと反応を見せてその上若干表情を険しくさせた。
「……それ、桧山から聞いたのか?」
「え? う、うん。そうだけど?」
訝しそうに訊ね返されるのに驚きながら美樹本は答える。だよね?と視線で問われるのに頷いて返した。
「亨からはサッカー部での練習があるから暫く放課後は付き合えないって言われたよ。それがどうかしたかな?」
「……あー、なんだよ。やっぱりそっちには秘密にしてたのかよ、あいつ」
嵩原が代わりに答えると濱田は勝手に何かを納得してお手上げだと言わんばかりに頭を抱えた。
秘密? なんだ? サッカー部の方でも問題事あんのかよ、あいつは。
「え、何それ。桧山が僕たちに秘密にしてた? どういうこと?」
「ああ、うーん、そのだな、あいつさ、今サッカー部内でちょっとイジメみたいなことされててさ」
「は!? イジメ!?」
「亨が?」
「桧山が?」
言い辛そうにして放たれた言葉の意外さに思わず聞き返す。美樹本など階下にまで届いたんじゃないかってくらいの大声出してるけど、それだけ驚いたと言えた。
桧山は明るく豪快で、少しばかり考え足らずやデリカシーに欠ける所はあれど、それだって悪意はないと直ぐに相手に理解してもらえるような素直さがある人間だ。だからイジメられるのもイジメることからも遠い存在、これまでそんな風に勝手ながらも思い込んでいた。
そんな桧山がイジメられている。しかもサッカー部というあいつが全力を懸けて励んでいる部活でだ。何があればそんな悪い事態が招かれるってんだ。
「……お前ら、桧山から何も聞いてないんだな……」
軽い失望と、それからどこか納得した様子で濱田はこちらの反応から正確な所を見抜いてきた。
いつからそうだったのかはまだ分からないが、それでも全く気付けなかったことは事実だ。不甲斐ないやら節穴過ぎやら、己を責める言葉ならいくらでも吐けるが、今はそんなことを言ってる場合じゃない。
「それって本当かな?」
「こんな趣味悪い冗談なんて吐くかよ。俺だって同じ部活だぞ? 目の前でチクチクやられてんの何回も見てきてんだよ」
嵩原が訊ねれば不機嫌そうに返す。そうだな。部内でのイジメだってはっきりと濱田は言ってきたんだ。目撃したのだって一回や二回じゃ済まないんだろうな。
「ごめんごめん。それだけ信じられない内容だったからさ。でもなんだってイジメなんてされるのかな? 亨ってイジメに遭いそうな性格してなさそうなんだけど」
「は! そ、そうだよ! 原因は何!? 何があって桧山そんな目に遭ってるの!?」
衝撃から立ち直った美樹本が嵩原の疑問に同乗して迫る。驚いているのかそれとも激怒しているのか、圧力を伴い知ってることを吐けと迫る美少年に、濱田も一瞬前の不機嫌さなんてどっかに消えてたじろいでる。
「おお、落ち着けって。切欠、ていうかイジメっぽいのが始まったのが先週だな。あれ、夏休み中さ、桧山調子崩してた時あっただろ? その時からやる気ないって一部の部員から顰蹙買ってたんだけどさ、夏祭り過ぎた頃からは凄い熱心に練習も励んでて、それでそんな一部も大人しくなってたんだけど……」
夏休み。心当たりならある。確かに部活動が上手くいってないって話は聞いていたな。でも一応はそれも乗り越えて、あいつは元気を取り戻したはずだ。
「新学期始まって三日くらいしてからか? あいつ急に調子悪くしてさ、トレーニングでも練習でもずっと気持ちが入ってないっていうか、気もそぞろ?な感じで全然集中してなくて。それで監督からも注意されたりしてたんだけど、それ切欠で一部の連中がまた騒ぐようになっちまって……」
困ったと言いたげに眉尻を下げて頭を掻く。つまり何か? 以前桧山が元気をなくしていた際、難癖付けていた連中がここでまた桧山を槍玉に挙げたと。
調子悪いってそれは何か悩みがあったから集中も欠けていた訳で、別に部活をサボろうなんて思惑はなかっただろうにそれでも非難の的にしたっていうのか?
「何、それ。そもそも夏休み中のことだって身内の不幸なんだから非難すること自体おかしいのに!」
「俺もそう思うよ。でも、夏が惜しい所で駄目だっただろ? 冬は!って気合い入ってるのが結構部内にはいんだよ。やっぱ大会への出場ってそこらの練習試合とは全然意味合いが違ってくるし、そういう奴らからすれば本気で取り組んでないように見える桧山は面白くない処か邪魔だって目で見ちまうんだ。実際、もう予選まであんまり時間もないしな」
「……だからって、なんで桧山がイジメられるの。桧山、悩み事があるみたいなのに……」
困ったようにサッカー部の内情を説明する濱田に、美樹本は噴火しそうな憤りを一旦鎮めさせたがそれでも不満だと言い募る。
晴れの舞台への意気込みは理解出来る、それでも完全な納得が出来るかというとそんなこともないはず。濱田がイジメ主犯の心情にある程度理解を示すように、俺たちは俺たちで桧山が思い悩んでいることを知っている。嘘でも仕方ない、なんて諦めの言葉なんざ口に出せるはずもない。
「元々、桧山のことを面白く思ってなかったんかな? あいつなんだかんだモテるし、足もクソ速いし。そりゃ、嫉妬する野郎はそれなりにはいる。露骨につまらなさそうに見てくる奴もいんだよ。まぁ、俺も羨ましくないって言ったら嘘にはなるけどさ、でもイジメまでやりたいなんて思いはしねぇよ。あいつが良い奴だって知ってるからさ」
「……うん」
「部内にはあいつの味方だっている。どう見たって様子がおかしいからさ、なんかあんのかって皆で何度か聞いてみたんだけどあいつ何も言わねぇでやんの。相談してくれたら力にもなれるかもしんねぇのにさ。俺らには言い辛いことかなって思って、だからお前らに話をしようと思ったんだ。……桧山、ここ数日はサッカー部にも顔出さなくなってんだよ」
続けられた台詞には?となる。そりゃ、イジメなんてあったら行きたくなくなる気持ちも分かる、が。
いや、そうじゃない。あいつ、昨日もサッカー部の練習があるからと放課後いそいそと教室を飛び出して行ったってのに、そのサッカー部に顔を出してないってじゃあ何をそんな急いでいたっていうんだ。
「え……、そうなの?」
「おう。だからいよいよ拙いかと思ってお前らに声掛けたんだよ。あいつがさ、何に悩んでるのかお前ら知らない? あいつから相談事とかされてないか? 桧山が部活を無断で休むなんてこれまでなかったからさ、本当気になってしょうがねぇんだよ。大丈夫なのかな? 桧山、部活辞めるとか言い出さないよな?」
弱々しく濱田は溢す。心底心配してるんだろうな。俺たちに急に打ち明けてきたのも、それだけ桧山が切迫詰まっているように感じられたからか。
「……」
気持ちは痛いほど分かる。だが、俺たちも答えられない。何を言えばいいのか。
あいつは確かに何かを悩んでいる。でも中身までは知らない。恐らく俺に関係があり、そして今巷を騒がせている鬼の噂とも関連があるはずだ。
分かっているのはそれだけ。解決を図ろうにも何も手掛かりなんて掴めていないからどう動けばいいかも分からない。どうすればいいのかも思い付かない。
焦りばかりが募っていく。もう、悠長に構えていられる時間もないのかもしれない。知らされた桧山の窮状に、そんな予感が胸を占めて仕方なかった。




