13.擦れ違い
土日と何も進展がないままに時間だけが進んだ。学校に行けば当然桧山とも顔を合わせる訳で、上手く話を切り出すことも出来ずに平素と変わりない態度を取らざるを得ないのだが、多分傍から見れば結構ギクシャクとはしてたかもしれない。
俺たちもそうだが、桧山の奴が露骨に態度がおかしい。目線を合わせて会話が出来ず、何故か怯えたような元気のない素振りが目立つ。口を開けば余計なことを言いそうな、それを警戒する振りが見られてこちらまで口が重くなってしまう。
どうしたらいいんだろうと悶々と悩んでいる内に月曜日も終わり本日は火曜日。漸く残暑も落ち着いてきたこの頃、いつものように教室へとやってくれば早々に美樹本、嵩原に絡まれた。
なんぞ朝からと訝しむも、人の腕を掴む美樹本が深刻な顔をしているので文句も喉の奥で縮こまる。今度は一体なんなんだろうと思えば、そっと顔を寄せられ小さく打ち明けられた。
「桧山、最近帰ってくるの遅いんだって」
どういうことだとこちらから訊ねる必要もなく詳細を語ってくれる。どうやら昨晩、美樹本は桧山の母親から電話を受けたらしい。まだ息子が帰ってきていないが一緒に遊んでいるのか、と。
時刻はもう夜の九時を過ぎており、高校生が訳もなく出歩くには遅い時間だった。
電話を受けたのは自宅であり、当然美樹本は外に遊びになんて出ていない。桧山とも学校で別れてそれっきり、だから桧山の母親からの連絡には面食らったそうだ。
庇うことも出来るが、美樹本も最近の桧山の様子は気掛かりであり、そこは素直に知らないと答えた。事実桧山がそんな遅くにどこを出歩いているかなんて美樹本は知らなかったからな。なんなら夜間外出も初耳だ。
美樹本からも知らないと言われて母親は困り果てた様子であったらしい。
なんでも、ここ数日帰宅時間が非常に遅くなっており、帰ってきても何があったのか、どうして帰りが遅いのかと聞いても明確な答えを返してこない。一度サッカー部の練習で遅くなるといったことは言われたが、それだってこんな時間になるなんてこれまで一度もなかった。本当にサッカー部の練習なのかは限りなく怪しい。
どこで何をしているのか、それが分からずに非常に困惑した様子であったそうだ。
「僕とか嵩原関係で遅くまで出歩くことはこれまでもあったんだけど、その時にはきちんと連絡を入れて、しかも桧山は正直に肝試しに行くとか言っちゃうからおばさんも心配はしてなかったんだよね。でもここ最近は本当に何も言わずに遅いから、それで非行にでも走ったかって気になってるみたいで……。しかも……」
しかも、だ。何故か帰ってきた桧山は川にでも入ったのかと言うような格好をしてることがあるらしい。
「本人は隠してるつもりなんだろうけど、ズボンの裾とか少し水の染みがあるんだって。ほんのちょっと水面にでも触れたのかってくらいなんだけど、それからタオルなんかも明らかに水を拭ったように湿ってるって。ただ濡れてるだけなら汗か熱を冷ますために使ったって思えるけど、どうやらその水ってのが生臭いらしくて、まるで川か池にでも入ってるんじゃないかっておばさんは疑ってた。夜遅くまで水辺で何かしてる、危ないことなんじゃないかって心配してた……」
語り終えるのと同時に重い沈黙が俺らの間に生まれる。
夜。そして水辺。その上生臭い水なんてきたら心当たりは一つしかない。明ヶ池の水は濁りのある、清水とはほど遠い水質をしていたからな。
「……それは……」
「……」
なんと答えればいいのか。ただ帰りが遅くなってるだけならあいつも非行に走ったかなんてある意味真っ当に心配も出来た。でも、積み上げられる状況証拠が別の懸念を伝えてくる。
宮杜の言った池の底を漁る男子生徒。それが目撃されてからそう経たずに鬼の噂は拡散され、そして同時にどんどんと桧山は追い詰められた表情を浮かべるようになっていった。
更には当人からも何か噂について隠し事があるような発言もなされた。その矢先での夜間の無断外出。池に潜っていると示唆するような証拠。桧山が噂の中核にあるのだと嫌でも理解させるようなそんな一連の情報に、自然苦い思いが胸の内をいっぱいに占めていった。
ちらりと桧山の席に目をやる。本人はまだ登校してきていない。帰るのが遅ければここ数日は登校だって遅刻気味だ。遅刻すれすれの登校も多い桧山だったが、それでも連日遅れてくるなんてそんなルーズさは流石にない。
単純な寝坊か? 教室へと滑り込んでくるあいつは、いつもどこかに行って帰ってきたような草臥れた様子を見せてはいなかったか。朝も早くにどこに出ていたってのか。一度気になってしまえば疑いの感情は止まることも出来ずにグルグルと胸の辺りで渦を巻く。
ホームルーム開始のチャイムが鳴る。皆自席に戻って喧騒が治まっていく中、廊下からはバタバタと慌てた足音が聞こえてくる。
腹を括るしかないのか。これまで敬遠していた事実ととうとう向き合わなければならなくなったことに、酷く胃が重たくなった。
いつもの昼休み。なんだかんだ授業の合間の休み時間は短過ぎて話をするには向いてない。昼までずれ込んでしまったが、だからと言って覚悟が決まるものでもない。
本日は場所を考えて屋上へとやって来た。教室では人目があり、かと言って中庭もやはりそこそこに人はいる。誰に話を聞かれるとも限らない、それなら誰もいないだろう屋上がいいとさっと打ち合わせて決めた。
どうにか誘い出しは成功したが、桧山も不信感は抱いているだろう。黙ったままこちらの顔色を窺う奴を置いておいて、一先ず間を挟むために食事を始めた。
「……」
静かな昼食の時間が続く。四人全員、変な緊張感を纏っていて空気が悪い。これからやることを思えば仕方ないんだが、もそもそと食べる飯はあまり美味しく感じられない。
嵩原が変な噂を話題に挙げて、それに桧山が好奇心だけで乗り掛かり、そして美樹本が必死になって諫めるとそんな賑やかな食事風景が随分過去のものに思えた。
「……ねぇ、桧山」
やがて美樹本が口火を切る。俺たちの間に緊迫した空気が走る。桧山も顔を引き攣らせたのは心当たりがあるからか。
「……」
「ね、聞いていい? 桧山さ、前に僕たちに何か話そうとしたことあったよね。あの時はやっぱり話すの止めたけど、それは今も同じだったりする?」
「……!」
ぐっと桧山が唇を噛み締める。まずはジャブだ。二人共話し合ったが、まずは桧山本人に自主的に話をさせる方向で攻める。きっとその方が桧山も話し易いんじゃないかという見込みだ。
「……なんで、それ聞くの?」
「ここ最近の桧山はずっと何か言いたそうにしてたから。言いたいことがあって、でも言い出せないって顔、よくしてるよ? あの何か言おうとしてた頃からそうだよね? 僕たちに伝えたいことが桧山の中には残ってるんじゃない?」
「……」
ゆっくり、優しく訊ねていく。あくまで桧山から話し出してくれるのを待つというスタンスだ。無理に迫って桧山を追い詰めるなんてことがないよう、美樹本は慎重に話を進めていく。
桧山から話を聞き出そうとしたのは奴を咎めるためなんかじゃなく、このまま放っておいたら良くないことになると、そう思えたからなんだ。変に迫って、それで桧山を追い詰めたら意味がない。
「……」
「……ねぇ、桧山。何か心配なことや気になることがあるの? それを僕らに教えてくれようとした? ……もしそうなら話して欲しい。一人でなんて抱えないでよ」
「! ……う、」
「前に、僕がイジメに遭っていた時は、桧山が話を聞いてくれたから僕も立ち向かおうって気持ちになれたんだよ。もし桧山が今辛い思いをしてるなら聞かせて欲しいな。今度は僕が桧山の傍にいたい。一人じゃないって言わせて欲しい」
「美樹本……」
美樹本の言葉にへにゃりと桧山の眉が垂れる。警戒なんてどこかに抜けていってしまいそうなほどの真摯なまでの懇願を桧山にぶつけている。美樹本は桧山に紛れもない恩義を感じている。だからこそ、今度は自分が支えるという強固な決意になっているんだろうな。
「だからね、桧山。相談したいことや言いたいこと、なんでもいいから話してよ。僕、桧山の言いたいことを聞きたい」
「……お、俺……」
困ったような、泣き出しそうな顔で、桧山は今にも決壊しそうだと言わんばかりに声を震わせる。ひくりと喉を震わせ、もういいかと戦慄く口を開き掛けた、その桧山の目が傍らにいる俺へと向けられた。
「……っ!」
ひゅっと息を呑み、目を見開いて反対に口は閉ざす。美樹本とのやり取りで感情が剥き出しになっていたから、桧山が咄嗟に顔に浮かべたものも理解出来た。それは間違いようがなく怯えの表情だった。
「……ない」
「桧山?」
「なんでも、ない。……なんでもないんだ」
すっと視線が落ちて桧山はぽつりとそれだけ呟く。あれほど美樹本の言葉に心が動いていたはずなのに、どうしてか一瞬でまた貝のように口を閉ざしてしまった。原因は、間違いなく俺だろう。
「……」
桧山が俯いているのをいいことに嵩原、美樹本と頷き合う。
こうなることはある程度予想は出来ていた。もしまた桧山が俺を警戒して話し出すのを止めた際には、俺は席を外すとそう予め取り決めていた。
美樹本は申し訳なさそうな顔をするが、こっちだって話を聞き出すと腹を決めているんだ。何が理由かは分からないが、それでも俺がいないことで桧山も胸の内を明かせるなら一人省かれたって気にしない。
「桧山」
呼び掛ければ大袈裟なくらいびくりと肩が揺れる。やはり原因は俺のようだな。心配そうに見てくる美樹本と、背を押すように頷く嵩原にあとは任せて続けた。
「なぁ、桧山。桧山が言い掛けていることと俺は関係があるのか? 俺がいると話しし辛い?」
「!? ……あ、ちがっ……!」
問えば慌てて顔を上げる。驚いたような、戸惑っているようなそんな目がこちらを向く。咄嗟に飛び出した否定に自分勝手ながらちょっとだけ安堵した。
「俺がいるから話し難いってなら席を外す。だから、二人にはきちんと相談なりなんなりしろよ。お前だってずっと黙ったままなんてのは辛いんじゃないか? ……言いたいことがあるなら、この機会に全部ぶちまけちまえ。そうしたら多分胸もすっとするぞ。抱えたままってのはしんどいだろうしな」
プレッシャーにならないように、変に罪悪感なんて抱かないように、言葉を選びながら緩く言い聞かせる。
傍から見れば除け者扱いだが、でも俺がいなくなるだけで桧山が素直になれるってなら些細な問題だろう。
「あ……」
返事は待たずにすっと立ち上がって扉へ向かう。先に教室まで戻るつもりだ。もし俺にも打ち明けるってなったら、後日教えてもらえればそれで足りる。今は桧山を優先すべきだ。二人ともそれで話を合わせている。
全て解決、とまではいかなくてもまた明け透けにものを語るくらい元気になってくれたらそれで。そう思い、ノブに手を掛けた。
「ちが……! 違うんだ! 永野は、永野はなんも悪くない! 悪いのは……、悪いのは俺なんだよ!」
背中にぶつかるような叫びが届く。あまりに悲痛な響きのそれに、思わず振り返れば泣きそうな顔で桧山がこっちを見ていた。歯を食いしばり、ぎゅっと眉根を寄せて目に涙を湛えている。溢れ落ちないようにと力の入った目で以て必死に俺を凝視していた。
「な、永野は悪くない。俺が、俺があんなこと考えたから……、だから……!」
ひくりと喉を震わせながらそう語り、かと思えばダッと走り寄ってきて代わりに扉を開け放って階段を駆け下りていった。
止める暇もない。押しやられてたたらを踏んでいる内にあっという間に足音が遠退いていったんだ。多分本気で走ってる。
「桧山!?」
美樹本たちも慌ててあとを追うがもう階段下にはいなかった。昼休みということでなんだと廊下や教室からこちらを窺う視線はあれど、そこに桧山の顔はない。
「ど、どうしよう。桧山どこ行っちゃったんだろ……」
「堪え切れず飛び出したって感じだしね。亨も明確に行き先があったのかは謎だね」
おろおろと呟く美樹本に対しての嵩原の答えも判然としない。途中までは確かに桧山の心にも響いていたはずなのに、どうしてこんな結果になるんだよ。
「放っとけないよね。とにかく、探して回ろうか。三人もいればどこかでは見付かるんじゃないかな?」
「そ、そうだよね。今はとにかく桧山を見付けないと。永野もそれでいいよね?」
「……ああ」
何はともあれ見付けてやらないと。話をするにもどこにいるのか分からないんじゃやりようがない。
自分に言い聞かせて残りの時間一杯を捜索に充てたが、結局桧山を見付けることは出来なかった。
昼休みが終わり予鈴が鳴って、五限目の授業が始まるかって時にふらりと桧山は戻ってきた。スマホにも反応がなかったので姿を見れたことにほっと安堵したのだが、見えた桧山の目は若干赤く腫れていてどこかで泣き腫らしてきたのかと心配になると同時に不安も感じた。
キッと前を見据える桧山の目は、泣いてすっきりしたようにも、また何かを振り切ってしまったようにも見えた。固い決意を感じさせる据わった目を見て、どうしようもない胸騒ぎがそれからずっと胸の辺りに重く鎮座し続けた。




