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高校生男子による怪異探訪  作者: 沢満
一章.縁切り
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7.凶器

 慌ただしく教室に戻りあっという間に放課後だ。下駄箱も帰り道も問題はない。

 女子二人が自分たちも護衛がてら一緒に帰ると過保護を発動し、危うく俺の男としてのプライドが爆発四散し掛けた以外には何もなかった。一人帰路に着いている。


 今日もまた夕日が強く射し込んでいる。もう四月も終わりに近付き段々と気温も上がってきているが、こんな日暮れ時には冷たい風が吹くこともあって長袖でないと寒い。

 これがあと少しもすればこのぐらいの時間帯が一番暑くなるのだから一年というのは早い。汗だくで帰る日も近いと考えれば憂鬱にもなってくる。


 季節の移り変わりに心を馳せていれば住宅地の長い道に差し掛かる。すっと緊張が全身に走るのは最早反射だ。

 あの謎の待ち伏せ野郎との接触からこっち、この道を通る際身構えなかったことなどない。すっかり不信の塊だ。もう一度出会ったらどうしようなどと考えても仕方ないことが頭を廻る。


 そもそも奴は俺を狙っていたのか。結局側を通り抜けたが何もされることはなく、直ぐにどっかに消えていた。

 いや、そもそもあいつは存在していたのか。まるで白昼夢を見ていたような現実感のなさにあれは幻覚の類いじゃないかという気さえしてくる。

 全ては俺の思い込みのなせる技、いろいろ追い込まれているからその疲れが出たんじゃないかと冷静な部分が告げてくるのだ。


 心からそう思えれば変に警戒することなく晴れ晴れと帰宅出来るというものだが、しかしあの電柱の影に潜む誰かを見付けた時の情景が、その時感じた確かな息遣いが振り切ろうとする気持ちを邪魔する。

 あれは幻覚の類いじゃない。確かに生きてそこにいたと感覚が言っている。俺はそれを否定することが出来ないでいた。


 いっそ正体を突き止めてやった方が精神安定上いいのではないかと暴挙が頭を過る。

 いや、このタイミングで俺にストーカー紛いのことをやってのける人間なんて呪いの主犯である可能性が高いし、未だ絞り出し切れていない現状で、別角度での犯人特定の情報を得られるのは僥倖以外の何者でもない。

 俺の方でも手掛かりの一つや二つ手に入れれば、美樹本たちに掛かる負担も軽減出来るのでは。むしろ積極的に接触した方が。


 悩むままに他に人のいない道を進む。また黄色く染められた道に自分の影が濃い黒を落として長く伸びている。遠く先に見える空は雨でも降っているのか、暗く濁った灰色の雲が空を席巻してその部分だけ影を落としているように見えた。

 そこだけぽつんと灰色で後は橙色に染まる空を見上げて、明日も晴れだろうか、そう考え視線を落とした所で先にある電柱のその影にぐんと目が引き寄せられた。


 まだ距離はある。一本電柱を通り過ぎたばかりだから視界に入る電柱はまだ遠い。

 だがその影、夕日を受けて黄色に染まる電柱の背後のその黒い空間に何かを見付けた。遠いし暗いしよく見えないはずなのにそこに蠢く何かに気付いてしまった。


 奴だ。影の中にひっそりと人影がある。いつかのようにじっと息を潜めこちらを見つめている。

 強い視線を感じた。まるで自分が見ていると主張しているかのように熱気を感じさせる。じわりと汗が浮く。

 やはり奴の狙いは俺なのだろうか。隠しもしない恣意な視線を受けて鼓動がどんどんと速まっていった。


 焦りも怖じ気もある。だがこれはチャンスだ。奴は今目の前にいる。捕まえて話を聞き出すにはまたとない機会になる。

 何故俺を付け回すのか、手紙と関係があるのか。

 確認が取れれば大変有意義な情報となるだろう。俺も自分のために何かしなければ。逸る気持ちを抑え電柱へと近付いた。


 今日は気付かない振りをしないでいい。ずかずかと近寄って電柱まで後五メートルほどの距離に来た時、唐突にチカリと一瞬光が目を焼いた。車のボンネットや反射テープなんかの、あの予期しない強い光が目に入って思わず顔を顰める。

 なんだと視線で追えばそれは電柱の影の中の誰かの腰元から瞬いた。距離はある。相手の細部なんて窺い知れないが、それは影から出てきていたので強い夕日の下ではっきりと目にすることが出来た。


 それは細長い三角形の形に見える。素材は金属なのか、表面はよく研かれているようで濡れたように滑らかな光沢をして光をよく反射する。

 表面に空の色と夕日の黄色が何度も交互に映り、その度にチカチカとした白い光を目に受けながらあれは微妙に揺れているから映るものが変わるのかと回らない頭で納得した。

 よくよく見ればその三角形には縦に溝がある。長く、三角形を二つに割れそうなその溝から、ゆっくりゆっくりとそれは開いていった。


 三角形じゃない。それは鋏だ。人の腕ほどもある長さの大きな鋏。

 閉じていた刀身がゆっくりと開いていく。よく研かれた刀身の、さらに鋭利そうな刃の部分が見せ付けるように内側から生まれていく。一瞬、ぎらりと舌舐めずりするように光ったように見えた。


 あり得ない。あんな大きな鋏はない。あの大きさならそれこそ人体だって断ち切れるんじゃないか。そんな物どこで売っているというのか。

 見間違い、いやフェイクか何かだと現実感のなさを攻める一方で、強烈にも感じられる鋏の存在感に否定したい気持ちが流される。

 あれは本物か? 本物ならそれで何をするつもりだ?


 見つめている間に鋏は大きく開かれた。深くまで両刃を離して、その開いた刀身がゆっくりこちらに向けられる。切っ先が正面を向く。影の中にいる誰かも身を乗り出してこっちへと一歩踏み込んだ。


 眺めていられたのはそこまでだ。

 ぞっと背筋に悪寒を感じて一目散に逃げ出す。

 あれは駄目だ。はっきりと害意を感じた。相対してはいけない。下手をすればあの鋏で。嫌な想像に四肢が震える。力が抜けそうで、それでも必死に奴から離れる。

 自分の鼓動と息で周囲の音が聞こえない。奴は追い掛けて来ているのか。足音が拾えない。息遣いも分からない。恐怖で背後が振り向けない。


 住宅地を抜けて開発中の空き地を横目に走り続け、いい加減息が持たずにヒュッと喉から掠れた音が上がる。

 足が縺れてがくんと転びそうになって、突き出した腕がぐっと引っ張られ思わず短い悲鳴が口から飛び出た。


「おい、どうしたんだよ永野? マラソンでもしてるのか?」


 顔を上げればそこには何故か桧山がいて、訝しそうな顔でこちらを見ている。

 弾む息のまま見返せば桧山は俺の腕をがっちりと掴んでいた。桧山越しに周囲を見ればここらは駅周辺のようで、いつの間にか数百メートルの距離を駆け抜けたのかと思えばどっと疲労が全身に乗し掛かった。


 ちょっと足にきてふらついたのを桧山が慌てて支えてくれる。


「おわっ、大丈夫かよ。ほんとどうした? 何かあったのか?」


 不思議そうな顔から真剣な様子になって尋ねられるのにも息が上がりきってて答えられない。

 少し待ってくれと手振りで伝えれば背中を擦られた。

 こういった手合いには慣れているのか、背中を撫でつつ緩く声を掛ける仕草は十分手慣れているように見えて、その冷静さに場違いながら意外性を感じた。


 しばらく呼吸だけを繰り返してどうにか落ち着く。

 呼吸が整えば正常な思考も戻ってきてなんでここに桧山がいるんだと疑問が頭をもたげる。


「はぁ、桧山はなんだってこんな所にいるんだ? こっちは帰り道でもなんでもないだろ?」


「お前ここんとこ様子おかしかっただろ。なんか気になってやっぱ家まで一緒に帰ろうって思って追って来た」


 返された答えに少し驚く。この他人の機微には本当に疎い男が俺の調子に感付いていた、だと?

 いや、元々野生の勘は鋭い奴なんだから弱った気配には敏感だったということか? その割りにはオカルト案件で煤ける美樹本に対しては、特に反応見せていなかったと記憶してるんだけど。


「そ、れは、まあ、いろいろあったし、学校は騒がしくて俺の休まる暇が」


「最初はそんなに疲れてなかったろ? なーんかここ最近ビミョーに張り詰めてるような、周り気にしてるようなそんな感じだったから。なんかあった?」


 思わず閉口。隠していたつもりだったがこいつには、というか周囲にはバレていたのか?

 ひょっとして他二人処か女子二人にも筒抜けだった虞が。だから今日突貫してきたとか?


 それは、それはなんというか物凄く居たたまれない。


 うごごと顔を覆って唸りを上げてると、何を勘違いしたのか桧山が慌て出した。


「あ、いや言いたくないならいいけどさ。美樹本も嵩原も何か聞けたらよろしくってだけ言ってたから無理には聞かない! 安心してくれ!」


 それの何に安心しろと。確定で俺の演技は大根だと突き付けられてどう心休ませろと言うのか。


「……二人に言われて来たのか?」


「ん? ああ、違う。俺がなんか気になるから後追うって言ったら、二人には大丈夫じゃないかって言われて、それでも行く!って言ったら、じゃあ序でにおかしなことは起こってないか聞けたら聞いといてって言われただけ! 俺が勝手に来たの!」


 淀みない答えに嘘は吐いていないと察する。恐らくは二人は気付いていない、もしくは深刻には見ていないって感じか。

 これでちょっと心の荒ぶりが治まった。俺まだポーカーフェイスを技能として取り扱えそう。


「ああ、そうか……」


「……うーん、永野さ、ほんと、心配事あるなら言ってくれよ? 無理に聞こうとは思わないけどさ、一人で危ないこととかすんなよ? 別に俺も美樹本も嵩原も、巻き込まれたとか思ってないからな?」


 じっとこっちを見据えてそんなことを言う。いや、これは完璧に巻き込んだ形だろう。

 俺が早々に相談を持ち掛けて、気付けばこいつらを引き返せない所まで引っ張って来てた。

 まぁ、最初はただの告白に纏わる周辺野郎の異常な反応ってことで、まさかここまで拗れるとは思いもしなかった訳だけど。


 反論しようと口を開けて、思っていたより真っ直ぐな目を向けられててちょっと怯む。

 桧山は素直で直情的なタイプだが、自分の気持ちを偽らないのでこういう真摯な態度を取られると何も言えない時がある。

 これが嵩原や美樹本と言った、情報引き出しのためなら嘘も方便といったタイプなら適当に遣り過ごせるのに、ただ気に掛けてるだけだと示されて、それを無下にするのは付き合いのある身として断り辛いと言うかなんと言うか。


 今だって俺に何があったか聞こうとしないで心配していると告げるだけだ。普通そこは根掘り葉掘りする所じゃないんだろうか。

 情報があれば対策も取り易いし秘密にされると勘繰りたくもなる。なのに何も聞かない。気にならないとかそういうことではなく、こいつはただ俺に無理強いするのが嫌なだけで、それは俺を思ってのことだからだ。

 さすがにその程度察せるくらいの付き合いはある。


 こいつはいい奴なんだ。結局はそれだ。いい奴だから俺を気に掛けて、そのために無理強いは止めて代わりに自分が頑張ろうとする。

 今だって何かあると思ってはいるだろう。でも聞かない。聞かないで自分が護衛をして、それで帳尻を合わせようと考えているんだ。

 女子二人を巻き込むことに、あっさりと自分を盾にすることで大丈夫だと太鼓判を押そうとしたように。


 いい奴だ。そんないい奴に危険を押し付けていいのか?


「永野?」


 不思議そうに呼ばれる。少し黙り過ぎていたか。まだ考えは纏まらないし、散々に醜態を見せ付けたあとで上手く誤魔化せるだろうか。

 もう鼓動も息も平常通りだ。さっさと家に帰りたい。


「ああ、うん。まあ、お前たちには悪いなとは思ってるよ。その内お詫び兼お礼はするから、それでチャラにしてもらえるとありがたい」


「……」


 なんかむうって顔された。そんな答えが欲しい訳じゃないってか? 桧山は本当に分かりやすい。

 だからこいつに言う訳にはいかないんだ。多分あっという間に他四人にまでバレるだろうからな。


「本当に悪かったって思ってるよ。お前にはなんか護衛みたいな役目までさせてさ、危ないことを押し付けて申し訳ないな。あれだ、もしもの時は女子二人を優先してくれよ。俺は男だし、当事者だけどさすがに女を押し退けてまで助かりたいとは思わないから」


「……そんなこと言うなよな。お前だって守るよ。だって友達じゃん。友達が傷付くのイヤじゃん」


 こいつ。不機嫌そうに言ってくる桧山になんとか目を逸らすのを堪える。なんて恥ずかしいセリフをてらいもなく言うのか。

 分かってはいたけど。こいつが張り切る理由なんてそんな純なものであると知ってはいたけど。


「あー、うん、ありがとうな。でも、まあ、お前だって無理はするなよ。相手は刃物を持ち出してる。肉体スペックではお前は優位かもしれないけど、凶器はそういうの関係なかったりするから。お前だって、ほら、俺からしたら友達なんだし、あんまり無茶はするなよ、って言うか」


「……あ。おうよ、分かってる。でもお前の方が多分危ないんだろ? だったら俺守るよ。俺頭では役に立たないけど運動面なら役に立つと思うし! だから大丈夫だぞ!」


 あってなんだ。何が大丈夫だと言うのか。恥を呑んで口にした意図は正確に伝わったようでご機嫌に桧山は笑顔なんて浮かべてる。

 俺何やってるんだろ。人気のない道で青春を謳歌でもしてるのか。暮れ泥む夕日が照らす中なんで、シチュエーションは多分バッチリだとは思うけども。


 ともあれ上手く桧山の気は逸らせたか。ご機嫌なままにお帰り願いたいものだな。


「もしもの時は頼りにさせてもらう。そんじゃ、またな。気を付けて帰れよ」


「ん? いや一緒に帰るよ。俺それでこっち来たんだし」


 桧山がそう言って後に着いて来ようとする。それは。思わず口を衝いて出そうになった言葉を飲み込む。

 足が止まって、桧山がこちらを不思議そうに見つめた。


 日が暮れ掛けて周囲は薄暗い。日が沈むのは一瞬だ、あんなに黄色に染まっていたはずの景色も、今じゃ赤色が強くてそこかしこに影が落ちている。

 こちらを向く桧山の背にも夕日の赤い光線が強く掛かる。当然、そうなれば奴の顔には濃い影が生まれる。斜め後ろから顔の脇を通り抜けるようにして差す日が、桧山の顔と、そしてその背後に幾つもの黒い影を生み出していく。


 その背後の黒にあの白い光がちらついた。


「駄目だ」


 意図せず強い呟きが漏れて目の前の桧山の肩が揺れる。えっと驚いた声が聞こえて平静を装って続けた。


「もう暗くなるし俺の家にまで来るとなるとお前帰りは真っ暗だぞ。まあ男子高校生にちょっかい掛ける輩なんてそうはいないだろうが、それでも今春だし、変質者の類いがいないとは断言出来ないだろ。お前も明るい内に帰っておけって。俺のこともあるんだから今は安全を優先しておけ」


「……え? そ、れを言うなら、永野を一人にさせる方が」


「俺の家はもう近い。地元民を舐めるなよ。あと十分も歩けば無事帰宅なんだから心配いらねぇよ。お前はこのあと駅の向こうまで行くんだろ? 俺より時間掛かるんだから早く帰れって。大丈夫だ、この近距離で襲われることはないだろ」


 しどろもどろな桧山に畳み掛ける。俺こんな饒舌だったかと自分で自分に違和感感じてたら世話がないが、それも今更だ。

 こいつを来させちゃいけない。一緒に来たらこいつは帰り一人だ。


「俺のことなら大丈夫だ。心配してくれてありがとう。また明日、学校でな」


 噛んで含めるように言う。困惑した様子で挙動不審な桧山は、それでも納得して頷いた。


「う、うん。分かったよ。本当に大丈夫か?」


「大丈夫だろ、多分。何かあってもここは地元だ。抜け道なんざそこらにあるんだ。どうにでもなる」


 ちょっと前のことを棚上げして軽く言って退ける。

 迷う素振りを見せる桧山は暫くもだもだと動かずにいたが、やがて観念して駅に向かって歩き出した。

 ちらりとこちらに目を向けるのを軽く手を振って答えてやり、十分に距離が空いた所でこっちも帰路に着く。

 全力で駆けてきた道を再度辿る。一回目と違い、辺りは赤色が強くそこかしこが影が落ちていて暗い。


 慎重に戻っていった道中、静かな帰り道で誰かと遭遇することは一度もなかった。


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