7.鬼
真っ暗な木立の中でデジカメ片手にスタンバイしてる。辺りはとっぷりと闇が覆い被さっていて一メートル先だって暗い。少し離れた箇所に街灯もあるが、真下を照らすばかりのその明かりは木の影にいるこちらまで届かない。
視線の先には池がある。ぽつぽつと立つ街灯でもって池を縁取る柵が闇の中に浮かんで見える。柵の向こうは暗い水面だ。時折、風によって波立てられた水面の動きが街灯の明かりの反射でちらちらと窺えた。
見上げた空ももう暗い。遠く瞬く星の隣に半月が浮かんでいるのが見えた。
待機してから小一時間ほど。ずっと池とその周りを録画していたが未だ動きは特にない。月明かりが照らすぼんやりとした風景を無為に撮影し続けているだけだ。当然鬼なんて姿形も確認なんか出来ていない。
人影はちらほらと映ることはある。夜も更けてきた頃合いなのだが、散歩なのかなんなのかふらりと立ち寄ってくる人間がいる。
会社帰りのサラリーマンやランニング目的らしきジャージ姿の人間。流石に高校生以下の未成年は見掛けないが、それでも想像していた以上には人の出入りもあるらしい事態に中々気が抜けない。
今の俺の現状ってどう見たって盗撮犯だし。木陰に隠れてじっとデジカメ回す様は確実にアウトな出で立ちだろう。警察呼ばれても弁明とか出来る気がしない。
先輩からは逐次公園侵入者の情報は届けられているのだが、それだって緊張がいや増すだけのものであって出来ればもう早々に終わらせたい。あとどれほど撮影を続ければ家に帰れるんだろう。
じっと木の陰に潜んでいればまたもスマホが通知を告げる。開きっぱなしのメッセージアプリを確認すれば、先輩からまたどこぞの人間がそっち行ったという注意が。
人は来れども鬼はなく。結構なことではあるが進展しない事態にそっと息を吐いた。
他の奴らもまんじりともせずにいるだろうか。
視界には四方に広がる木立も入っているものの、流石にその暗闇の所までは見通すことは出来ない。多分俺と同じように、三人も必死に息を潜めてデジカメで撮影してるんだろうなと画を想像すると途端情けない気持ちに襲われる。
高校生が何をやってるんだろう。冷静に考えると駄目だと思えど、でもどうしても今の己の姿を客観的に捉えてげんなりしてしまう。
まさか俺だけ真面目に撮影してるとかないよな? 実はこれドッキリでしたとかそんな最悪なことはないよな??
疑念が不審に繋がり掛ける中、規定の時間が経過したため一旦録画を切る。また再度録画を開始するが、このデータって必要なのかね? ただ暗い公園を映しているだけなんだけども。
ピピッと小さく電子音を鳴らして前方へとカメラを向けた。暗く街灯の明かりが小さな画面の端に入っている。煌々と照る白光は足下へと下りていて、煉瓦模様の遊歩道を丸く切り取ったように照らしている。
それ以外の部分、光から漏れた地面や背後の池は微かな月の光を受けて薄らどうにか見えるかなと言った所。何気なくその暗い部分へと視線をやって、そこに動く影を見付けた。
画面の向こうを注視する。よくよく見つめれば人のようだった。暗い闇の中で更に黒い人型が何かもぞもぞしている。さっき先輩から連絡のあった通行人か? いつの間にこちらの方まで来ていたのか、何の気なしにじっと影を追った。
人影は池の側にいる。散歩ならその場に留まるってことはないだろう。日中ならばともかく現在は日も落ちて闇が深い。街灯の明かりさえ届かないようなそんな暗闇で何を留まることがあるのか。
疑問が頭を擡げてカメラを操作してその影をアップで写してみた。
影はやっぱり人だ。柵の向こうに身を乗り出して何かをしている。
まさか、入水? でも確かここの水深は深くても腰くらいだって先輩が言ってたし、過去にも自殺があったと言う話もなかったはず。影も身を乗り出してはいるが柵は越えようとしていない。恐らく違うと思われるが。
どうしよう、止めるべきかと思っているとスマホから通知が。他三人からの連絡だ。
『見えてる?』
『ちょっと挙動が怪しい人いるけど大丈夫?』
『永野は問題ないか?』
向こうからも怪しい人影は見えているようだ。こちらを心配する言葉に問題ないと返してカメラへ視線を戻す。この人影が何か事を起こそうとした場合、それは止めに入るべきなのか否か。先輩にも確認を取った方がいいか?
そんな風に迷っていると人影がふらりと池から離れた。よたよたと覚束ない足取りで遊歩道を行く。千鳥足ってほどではないが、もしかして酔っ払いか? だったらそうまで気にすることもなかったかな。
ほっと安堵していると影が街灯の下へとやって来た。アップにした画面に人影が映る。街灯の明かりに照らされて酷く鮮明となったその顔。多分年の頃は三十か、四十くらいいってるかもしれないそこらにいるだろう普通の服装の男。
白い光を上から浴びた男のその顔は、酷く潰れたように歪んでいてそして額に二本の角があった。
「……えっ!?」
飛び出しそうになった悲鳴を寸でで堪える。それでも僅かに声は漏れた。
画面の向こうには光の下をよろよろと進む『鬼』らしき姿が変わらずにある。二本の角が短い前髪から飛び出ていて、顔面はあちらこちらにシワが刻まれた歪な面相、いや、怒っている、のか?
目はキッと吊り上がり口は戦慄いたまま固まったように口角が上がっていて、薄く開いた口からは鋭い牙が……。
そこまで観察が進んだ時だ、画面の向こうの鬼がふらりとこちらを向いた。ドキリとする。鬼らしき顔がこちらをじっと見据えたまま立ち止まる。
まさか見えてる? そんなはずはない。街灯の明かりだって届いていないし、こちらは真っ暗なはず。カメラだってフラッシュを焚いてる訳じゃないんだ。一応木に隠れてはいるんだし、いくらなんでも察知はされない……。
「……ぉ」
都合のいい推測を脳裏に展開しながら鬼を観察する。大丈夫だと己に言い聞かせるが、でもそれはあくまで希望的観測でしかなかったらしい。
小さな画面の中で、目を見開いてこちらを見つめる鬼の口元がわなわなと震えて開いた。
「おぉ……、オオォォォッ!」
ガァと開いた大口から牙を覗かせ、雄叫びを上げるなり鬼は真っ直ぐにこちらへと走ってきた。カメラなんか回している場合じゃない。アップにする必要もなく直ぐに鬼は目の前に迫っている!
「オオォォォッ!」
「おわっ!?」
木立に突入した鬼は目の前まで来てそのまま突撃してくる。咄嗟に木の幹を盾に躱すが、ガリガリッ!と結構な音を上げて木の破片が周囲に飛び散った。慌てて鬼から距離を取る。
暗い木立の中で鬼と対峙する。暗闇の中だってのに、眼前の相手の両目は猫のように丸く光を反射している。多分夜目が酷く利くんだろう。それなら俺が隠れていることに気付けたのも納得出来る。
これだと暗闇に紛れて逃げるといったことも無理そうだ。こちらには目だけしか見えず相手の動きなんか把握出来るもんじゃない。
緊張に鼓動を速くしながらもゆっくりとカメラを構えた。記者根性だとかそんなんじゃない。カメラを通せば相手の動きもどうにか見えるだろう。周りには木がある。突撃されたとしてもまた盾にすれば巧いこと逃げられるかもしれない。
そう思ってカメラ越しに鬼を見たのだが、画面の中の鬼は何故か顔を両手で覆って身悶えしていた。両手で引っ掻くように爪を立て、そして耳を澄ませばぼそぼそと何事かを呟き続けている。
「……ルナ……、……ルナ……」
獣の唸り声に酷似した聞き取り辛い声がぶつぶつと繰り返し同じようなことを呟く。なんだ?と疑問に思い、思わず身を乗り出した所で「永野!」と美樹本の声が聞こえた。
はっと鬼は顔を上げる。こちらを真っ直ぐに捉えた目が驚愕に見開かれているのが分かった。人らしい感情なんて読み取れそうにもない憤怒の形相なのになんとなくそう感じる。
鬼はぼそりとまた呟きを落とし、突撃してくるかと思えば急に踵を返して木立の向こうへと走り抜けていった。噂通りにまるで風のように速く一瞬でその姿は暗闇の中に消えていった。
カメラを回しながら呆然とただ立ち竦む。鬼は本当にいた。普通の人間の格好をして当たり前のように目の前に立った。あれが妖怪なのかそれとも化け物なのか、あるいはひょっとしたら幻なのかは今ははっきりと判断出来ない。
少なくとも意思疎通は図り難そうに見えたが、しかし最後に残した言葉は気になる。
去り際、あの鬼はぼそりと「見るな」と呟いていった。多分、ぼそぼそと呟いていた内容はそれなのではないだろうか。あの鬼はずっと、そう主張していたのではないかと思う。
どういうことだろうか。何もかも信じられないことが続いて頭が混乱する。ただ、未だ回ったままのカメラをじっと見下ろすしかなかった。
「だ、大丈夫だった!?」
鈍い思考の中でも、とりあえず録画は切っておくかと操作した所で美樹本が駆け込んできた。全力で走ってきたのか息が荒い。
スマホをライト代わりにこちらの無事を確認してくるが、それを言ってる当人の方が顔色も悪くて今にも倒れそう。その顔を見たからか、あるいは知り合いが駆け付けてきてくれたからか、混乱していた頭も急速に冷静さを取り戻していった。
「ああ。怪我はないぞ」
「あ、あれ、なんだったの? ぼ、僕にはお、鬼、みたいに見えたんだけど!?」
嘘でしょ!?と言わんばかりに必死な形相で訊ねられる。美樹本は距離も近かったから鬼の顔が見えていたか。その意見には完全に同意なんだけど、さて、どうしたものか。
明かすかどうかと迷っていると続けて桧山に嵩原まで駆け付けてきた。そこそこに距離があるはずなのに、桧山なんて美樹本とそう変わらない時間でやって来たんだが流石運動野郎だな。
「永野、怪我ないか!?」
「こっちは平気だ。突撃はされたけど無傷だよ」
「観察してる前で一直線に真人に向かって行ったからさ、うわトラブル発生かなって焦ったよね。何、酔っ払いか何かだったの?」
「それだったら良かったんだがな……」
集合したことで軽く事情を説明しながら動画を見せる。それと同時に先輩にも慌てて連絡を入れた。あの鬼がどこに行ったのかは知らないが、公園から出ようとしたのなら当然先輩の方に向かったはずだからな。嵩原から指摘されて漸く思い至ったんだ、落ち着いたと思っていたけどまだ混乱を引き摺っていたらしい。
「……これは……」
「……」
動画を確認して誰もが言葉をなくした。そりゃそうだろう。本当に鬼はいたんだから。
「……角も生えてるね。コスプレ、の類ではないのかな?」
「どうだかな。こんな夜の公園で鬼のコスプレなんてする……のは否定も出来ないか?」
鬼の噂に便乗した愉快犯、なんて線も完全には否定出来ないか。世の中、注目を集めたいがために信じられない行動に走る人間はそこそこいるし。
「そそ、そうだよね!? これとか、シワが凄くリアルだけど特殊メイクとか本物みたいに見えるし! このおお、鬼だって本物じゃないよね!?」
「……」
美樹本は引き攣った顔で必死にこちらの推論に乗っかろうとする。桧山だけは無言だ。食い入るようにじっとデジカメを見つめて固まっている。
真偽がはっきりしない中、先輩が遅れてこちらへと合流した。
「無事かい!? 永野君!」
「問題ないです。それよりこれ……」
慌ててこちらの無事を確認するのに短く答えて動画を見せる。鬼発覚から立ち去るまでのムービーだ。精々十数分程度の動画だが残したインパクトはとんでもない。
「……」
桧山に並んで先輩も暫し黙って動画に見入った。その間に嵩原が周辺の様子を探って唸り声を上げる。
「え? どうかした?」
「これ……、見てよ」
嵩原がスマホで木を照らす。なんだと視線を向けたら、ライトで照らされた木の幹には深い爪痕らしきものが数本くっきりと残されていた。
ガリガリと、そう言えば結構派手な音が上がっていたっけ。木の皮が抉られて中身の白っぽい肌が露出してるのを眺めてつい現実逃避気味に考えてしまう。間違ってもこれが俺の体だったらとかは考えてはいけない。
「……ヒエッ。こ、これって……」
「熊でもこんな大きな痕付けられるかってくらいに派手な傷痕だね。自分の体で受け止めずに済んでよかったね、真人」
「や め ろ 嵩 原」
折角どうにか意識を逸らして考えずに済まそうとしたのに。あわあわ震える美樹本の隣で飄々と言って退ける嵩原を睨み付ける。
そうして鬼の痕跡を検分していると先輩から声が掛けられた。
「……調査はここで終わりとしよう。鬼の存在は確かに確認が取れた。これ以上この場に留まるのは危ないかもしれない」
真剣な表情で撤収を宣言する。強張った顔は恐れからなのかどうか、先輩の感情は何も読み取れない。どこか張り詰めた空気が漂って否やを唱えることも出来なかった。
「真人の話だと鬼らしきものは公園出入り口の方に向かった可能性がありますが?」
「確かに、まるで一陣の風のように飛び出す影は私も目撃はした。それは一目散に公園を出て行ってどこぞへと消えてしまったよ。今ならば鉢合わせずに帰れるのではないか? 元々定めていた撤収時間にも迫ろうとしているのだ、ならば丁度いい区切りでもあるだろう」
強固な態度で帰宅を促す先輩を説得なんて出来るはずもなく、これで本日は撤収となった。まぁ、鬼っぽいものに襲われた直後だ、俺だってこの場に長居なんてしたくはないから反対なんてしないが。
「細かい検証等は明日へと回そうか。今日は本当にありがとう、諸君」
一応、現場の証拠集めだと幾つか写真を撮ったあと、先輩より労いの言葉を掛けられて撤収する。
タクシーを呼ぼうか、なんて先輩に言われたが、まだ夜更けというには浅い時刻だ、変にタクシーなど呼んで要らない視線を浴びるよりかはバスで帰る方が世間体的にも注目は浴びないだろうと美樹本の判断でそうなった。幸い、自然公園は停留所の一つとされていてバスも直ぐにやって来た。
バスに乗り込むと、どっと疲れが背中にのし掛かる。ほんの三十分にも満たない短いやり取りであったはずが、体感としては小一時間もあったような気がする。
思い返せば夢や幻なんじゃ?なんて常識の部分が否定をしてくるけど、でも確かに証拠の映像は残っているしなぁ。これ、先輩はどう扱うのだろうか。検証を続けるにしたって鬼の凶暴性はまざまざと示されてしまった形だし、変に深入りするのも危ないのではないだろうか。
今回は誰も怪我などはしなかったけど、次に遭遇した時は。そんなネガティブな考えが頭をぐるぐる回って仕方ない。
先を思うと気が重い。先輩の横顔をついチラ見してしまう。感情の見えない無表情を晒しているが、内面ではどんな考えを巡らせているのか。
潜めた息を吐き出しつつ、視線を順繰りと動かして全員の様子を窺っていく。バスの後ろの席で五人固まって座っているので盗み見るのもそう難しくはない。美樹本は青冷めていて今にも倒れそうだ。嵩原は、こいつも感情が読めない無表情でいる。鬼をどう思っているのかはちょっと分からんな。
そして、桧山へと最後に視線を向けたのだが。隠れて窺った桧山も、何故だか強張ったような無表情でいた。
笑顔でも悩んでいるでもない。固く口を引き結びじっと床へと視線を落としている。なんの感情も浮かべない、無の表情なんて珍しい。
それほど桧山も鬼の登場に衝撃を受けたのか? 普段の桧山なら驚きはしてもここまで動揺を見せるとは思えないんだが。
ここ最近の調子の悪さが関係しているのか? じっと押し黙るその横顔を眺めているが、当然見つめるだけで内心など理解出来るはずもない。
なんだろうか。少し胸が騒ぐ。嫌な予感とも言い切れない胸騒ぎは、それから駅に着くまでの間ずっと自分の胸の中でぐるぐると渦巻き続けた。




