5.明ヶ池自然公園
早速と移動することおよそ三十分。市街地の背後に緩やかな起伏を見せる鳴子山を眺めながら東へと回り込めば、住宅地が途切れたその隙間に木々の立ち並ぶ明ヶ池自然公園の姿が現れる。整えられた煉瓦敷きの歩道と、柵を挟んで木々が生い茂っているのが道路側からは見えた。
元々この辺りは鬱蒼と茂る森林地帯であったらしい。鳴子山から繫がる多種多様な動植物の生息する森が広がっていて、豊かな木々からの恵みと北の山脈から流れてくる市内一の河川である芦野川とも距離が近かったためにここには大きな集落も形成されていたんだとか。
それが近代に入り街の中心地も駅方面へと移り、人口の増加に伴って多くの住居が建てられようとしている最中、とある時にこっち方面は景観美化のために自然を残そうじゃないか!といった運動が起こったそうだ。
住宅地確保のための開発が急ピッチに進められ、どんどんと市内の自然区域が潰されていって明ヶ池周りにも開発の手は加えられようとしていた。
元よりここらには住居だって建てられてある程度の環境の整備だってなされているとなったら、それは押し広げていくように開発するのが楽だと思うだろう。他の森林地帯を切り拓くよりはよっぽど簡易な手法で土地の確保が出来ると考えるればそれは飛び付きもするというもの。
鳴子山まで切り拓く、そんな大規模な市街開発計画に待ったを掛けたのが先にも言った景観美化推進派だ。
古戸萩の古き良き美観をこのまま捨て去るのは惜しい、開発は必要ではあるが、それでも長く愛されてきた故郷たる風景を残すべきではないか、と大分抗議の声が上がったんだとか。
急激に生まれ変わろうとする己の街に着いていけずに待ったを掛ける気持ちも分からなくはない。実利にはそぐわない考えではあるだろうが、結構な住民が賛同して開発派に意見申し渡したそうで、そのために現在の自然の色濃い古戸萩が残った訳だ。
そんな街の歴史に絡む公園設立話を道中にて先輩から聞かされた。時間があるからと歩きながら講義を受けたのだが、つまりは自然公園の由来を改めて俺たちに知らせたかったようだな。この話を聞く限り確かに公園以前も設立時にも、鬼のおの字もなんら関係がないと言える。
「――とまぁ、そのような成り立ちによりここ明ヶ池自然公園は市の管轄する公共施設となった訳だ。本来この自然公園は我が街の変遷を語る上では決して無視など出来ない、長く続く歴史の一つの重要な証明物であるはずなのだよ」
「そんな来歴があったんですか」
「意外な歴史もあったもんですね。噂の一つではどこぞの首都の大きな公園を真似して造ったんじゃないか?なんてさも真実味を以て流布されていたりするのに」
公園の出入り口を前に先輩が講義を締め括る。長々と語られた逸話は確かに貴重な事実であったとは思うんだが、でもいきなり街の歴史と絡めて公園設立話なんてされてもなぁ。嵩原がついツッコんだように、大半の住人は単なる広場としか認識はしていないだろうな。
「嘆かわしくは思うが致し方ない面もある。過去の惨劇や苦労話といったものは後の世が平和になればなるだけ忘却されるのも早まる。なんのてらいもなく呑気な話ばかりが口の端に上るのはそれだけ現状が平和であるという証明でもあるな。まぁ、この街の歴史の伝達は主眼ではない。何が言いたかったかと言えば、このようにここ明ヶ池自然公園には何か超常的な背景事情などはなんら存在していないのだよ」
「なんでそんなフラットな状況で唐突に『鬼』なんて噂が立ったのか。そこが今回の調査の焦点ですかね」
本当にここには何もない。昔から不穏なものの目撃談が語られている訳でなく、またよくあるような昔話といった話もない。どこぞの場所を住処にしていた妖怪や化け物といったお伽話ともこの地は無縁なんだそうだ。
「『鬼』は本当にいるのか。いたとしてその正体は本当に『鬼』なのか。我々が今回の調査において確認すべき必須事項はそれだ。参考とするべき原典がないために調査は難解なものになるかもしれないが、どうか皆、力を貸して欲しい」
改めての協力願いにそれぞれ肯定を返す。脈絡もなく突然噂が広まった『鬼』ねぇ。その正体は果たしてなんなんだろうか。
ぼんやりと鬼の正体にと思いを馳せつつ、夕方に差し掛かる頃合いの公園へと足を踏み入れる。自然公園と言う冠に負けじと、公園内には多数の樹木が植えられてて半ば林となっていた。
自然のそれとの違いは人の手がよくよく入っているかいないかであるようで、パッと見た限りは木と木も間隔が多く取られていて鬱蒼と影の落ちる林と言う感じではないようだ。木の隙間の向こうに夕陽に染まる大きな水面がここからでも見える。目的地はそっちだな。
池は奥、手前に公園らしき部分は集中してあるようで、滑り台やシーソー、前衛的な形のドームなどの遊具がちょっと狭いかな?と言った印象の広場に所狭しと設置してあった。後付け感半端ない。
時間帯が時間帯だからか現在遊んでいる子供の姿も見られない。斜め差す夕日が落ちるこの時分、パッと見た公園内には人はぽつぽつと見えるだけだ。
「それで、何をどう調べましょうか?」
美樹本が先輩へ指示を仰ぐ。今回は発起人兼代表者である先輩が同行しているから、調査の中心も先輩が担うことになる。調査に着いてくるなんてことこれまでなかったんだけど、そんなに鬼が気になったのだろうか?
「確証を得たいのであれば目撃者を探すのが一番だな。だがまぁそう都合良く噂の出本に当たれるはずもない。一先ず公園内にて鬼と誤認しそうな物がないか、その確認から始めようか。ついでに今いる人たちからも話が聞ければいいのだが」
「あ、いきなり『鬼知りませんか?』とか直球で話し掛けるのはなしですからね。僕たちがっつり制服着てきているんですから、何か不審な行動を取れば直ぐに学校にも連絡が行くと理解して行動してください。会長は絶対にマシンガントークなんてしないように。冗談抜きで通報されますよ?」
「心配されずともその程度の常識はきちんと私の中にも根付いている。少々失礼ではないかね?」
美樹本の言い様にご立腹な態度を見せる先輩だが俺もちょっと不安を感じてはいた。初対面に近い俺に軽くトラウマ形成させるほど粘着してきたのはどこの誰でしたっけね。
打ち合わせしながら公園奥を目指す。林の中を通るようにして伸びる遊歩道に沿って進めば、木々の隙間から覗く水面がどんどんと大きくなっていく。短い木のトンネルを抜けると眼前には酷く開けた空間があって、そこに明ヶ池が滾々と水を湛えてあった。
柵に囲まれた恐らく二十五メートルプール三個か四個分といった大分大きな池。緩やかに湾曲した形はひょうたん型か? どうにか見渡せるかなと言った大きさはボートを浮かべて遊覧とまでは行かないが、それでも一周するにはそこそこに時間も掛かりそうではある。
池の周囲は遊歩道が敷かれているようで木々は全くと見えない。ただその遊歩道の外側には池を囲うようにしてちょっとした林が林立している。
元はこの池の周りも林(話によれば森か)が広がっていたんだと、その名残が見える光景だ。景観美化を謳って残した自然の遺物だとのことだが、元の姿を思えばやっぱり人間にとって好ましい形には整えられるよなぁとそんな感想を抱きながら、辿り着いた池のその微妙に濁りのある水面を柵越しに見下ろした。
一見した明ヶ池は特に異常など見当たらない普通の池に見える。どこにも鬼などいないし祠や自然物の類も池の中には見付けられない。
とりあえず話し合った通り、二手に別れて明ヶ池の外周を左右から回るようにして公園内を調べることになった。池が中心にあるために丁度良く全体を見て回れるんだ。
チーム分けは嵩原・桧山ペアと俺・美樹本・蘆屋先輩のトリオになった。こっちに一名心配な人がいます。
「うむ。複数人での調査など久しくなかったから新鮮だな。ここ最近も報告の纏めばかりに時間を取られていたから、自ら調査に赴くことからも遠ざかっていたしなぁ」
「本当に自重してくださいよ、会長……」
始める前からテンションの高い先輩に美樹本も辟易と注意を飛ばす。これ大丈夫だろうか。最悪通報されそうになったら放っておいて俺はここから逃げるぞ。
「分かっているとも。それではそちらは任せたぞ、二人共。実のある報告を期待する」
「はいはい。まぁ、任せてくださいよ」
「うっス……」
軽い調子の嵩原とやっぱり元気のない桧山と別れて遊歩道を行く。あっちはあっちで気になるが、嵩原ならばそうおかしなことにもならないだろうか。同じ班になってしまった以上、先輩が暴走しないかだけでも気を付けながら調べて行こう。もっと気を遣うべきものがあるはずなんだがなぁ。
夕日が差す公園をゆっくりと歩いて行く。公園正面は東を向いており、奥へと進んでいる現在強い西日が進む先から差し込んでいて結構眩しい。
中央右にはこんもりとした鳴子山の影が夕方の空を背景に黒く浮かび上がっている。その影がこちらまで伸びてきているかのように視界に入る林にも黒い影が出来上がりつつあった。直に日も暮れるな。見通しの悪くなる林部分も一応注意して観察しておこう。
「こうして見ると池周りにはあまり人工物はないようだな」
「そうですね。あるとしても時計や看板、それに街灯やベンチで、こっちは完全に単なる散歩コースみたいですね。これだと設置物を見間違えたって線はないですかね?」
不審に思われないよう適度に会話を交わしつつ周囲の様子を探っていく。いや、制服姿の学生が集まってゆるりと散歩なんてしている光景からしておかしい、か? 一体周囲からはどんな風に思われているんだろう。
「まだ断定は出来ないな。ひょっとしたら臨時で置いていた何かかもしれない。現在は片付けられているとか、な」
「そんなこと言われたら断定なんてしようがないですよ。毎日見張ってないといけなくなりますよ?」
「それならカメラを設置すればいけるだろう。もちろん許可を取る必要はあるが」
「そこまでします? だったら防犯カメラを見せてもらう方が……、まぁ、一介の学生がどうやって許可申請通すんだって話にはなりますけど」
信じられないと反論しようとして、そして途中で思い至ったらしい美樹本の声が中途半端に萎む。防犯とはなんぞやと意義から説教食らいそうな申請だわな。
まぁ、鬼の正体を確かめたいから公園内にカメラ設置させてくれってのも大概無理筋だとは思う。まず以て許可下りなさそう。
「見た所ここには防犯カメラは設置されてなさそうだがね。ふむ、だとしたらどうにか目撃者から話を伺わなければならないか。噂の出所を突き止める方が真実には近付けるのかもしれない」
「その噂からしてもちょっと胡散臭い気はしますけどね。今時、それにこんな何もない公園で鬼なんてお伽話染みたものが目撃されることが信じられません」
ぷすりと少々不機嫌そうに美樹本が先輩へと不満を溢す。どうやら美樹本は未だ鬼が出たなんて話に納得していなかったようだ。
当然と言えば当然の反応ではあるだろうな。幽霊を見たって騒ぐのも白眼視されるだろうに、そこに来て鬼が出た!だもんな。あまりに非現実的過ぎる。
「おや、美樹本君は鬼の存在を信じていないのかい?」
「現代という未来を生きている人間からすれば当たり前のことでしょう? 大妖だ、化け物だと鬼を怖がっていた時代からどれほど時間が経ったと思ってるんですか。今は科学が魔法に化けようとしているような時代ですよ?」
面白そうに呟く先輩にも怖じ気付くことなく噛み付いていく。嫌に反抗的だな、大丈夫か? 相手は一応その超自然科学信奉者であるんだから、あまり否定するのも……。でも先輩も懐疑的だったか?
なら問題ないかと先輩の表情を窺えば、じっと真面目な顔で美樹本を見つめ返していた。
「……美樹本君は現代には鬼はいない、そう思っているのかい?」
直前のどこかからかうような響きは霧散し、静かな問いが美樹本へと掛けられた。思わず美樹本が戸惑いを上げる。
「え?」
「お伽話や各地に残っているような怪物として描かれる鬼は、まぁ、現代にまで生き続けていると考えるのは難しいだろう。人間の生息域も格段に増え、人の目を避けて密かに暮らし続けるのも物理的に困難となっている。人ならざるものが生きていくには窮屈な世界であると言えるだろう。ひょっとしたら海の向こうにでも逃れてしまったかもしれないね」
そこまでつらつらと語り、そして先輩は何かを思い返したのか緩く苦笑を浮かべた。
「だがね、何も鬼とは人外だけに非ず。むしろ、人こそ最も鬼に近いものとも言えるのだよ」
ふうと一つ息を吐く。吐かれた息はどこか重く思い悩んでいるようにも見えるけど、それは鬼に関してのことだろうか。何か、違うような気もする。
「時に、いきなり話は変わるが、君たちはもし悩みがあったのなら誰かに相談したりだとかしているかな?」
「え?」
え? 申告の通りがらりと話題が変わって虚を衝かれる。突然の人生相談? 鬼の話はどこ行った?
「えっと」
「本当に立ち居かないほどに困り果てた時というのは、自分一人で思考に耽ったとしても良い案など浮かばないことの方が多い。そう言った際には誰かに心の内を明かすことも必要だ。君たちにはそんな心を開ける相手がいるだろうか?」
「会長……?」
マジで人生相談的ムーブ? 進路指導の教師みたいなことを言うなと感想が出た所で、ふと悩みという単語に桧山の顔が脳裏に浮かんだ。
「素直に心情を吐露出来る相手がいることは存外幸せなことだ。窮余の時、他の何も気にすることなく頼れるのはそれだけ確かな絆があるからと言える。君たちにもそのような相手がいることと、そして同時に頼れる人であることを私は願うよ」
ゆるりと柔らかに微笑んで先輩はそう締める。先輩の人生相談は急に始まって急に終わった。当人は言い切ったみたいに満足そうな顔をされているが、果たしてなんだってこんないきなりに啓発染みたことを話し出したのか。
戸惑いが頭の中を占めていくが、でも多分、何か伝えたいことがあって遠回しに言ってきているんだろうことは分かる。最後に浮かべた年長者然とした笑顔はこちらを見守るような包容力がありつつも、しかし目だけはじっと何かを図るように強くこちらを見つめていた。
「…は、はあ……」
「……まぁ、頑張ります」
どう答えればいいのか。先輩が本当は何を伝えたかったのかは残念ながら分からない。この場では額面通りに受け取り、前向きな返答で以てお茶を濁すより他にない。それでも先輩の望みには添えたのか、満足そうな一息が返答代わりに返された。
明ヶ池を無事半周しもう一チームとも合流を果たす。公園内を調べてみたがそれらしき物は何も見付からなかった。嵩原たちとも意見を交わすが、やはり誤認しそうなものは何も見付からなかったそうだ。
「やっぱり聞き込みが必要ですかね?」
「あるいは我々が目撃者になるか、だな」
むむむと唸りを上げる先輩。自然に当事者になることを提案しないで欲しい。
議論に花を咲かせるのは先輩と嵩原という不安になるコンビだ。放っとくと絶対拙いことになりそうな予感がぷんぷんしているんだけども、完全に今回の調査の流れはこの二人に握られてしまっているので割り込むのも難しい。頼みの綱の美樹本は思考に耽ってしまっているようで反応が鈍いし。桧山はぼうっと佇むだけだし。
「……うむ。やはりこうするしかないか」
暫く話し合っていた先輩が不意に何かを決意した。すいと上げた顔に夕日の強い西日が差し、きらりと先輩の眼鏡が漫画みたいに光った。嫌な予感がします。
「では、会長さん」
「うむ。君たちに要請しよう。どうか明日の日暮れから君たちの時間を私に貸して欲しい。今度は夜、こちらの公園へと赴きたいと思う」
ああ、やっぱり。放課後を越えての協力要請にそんなことではないかと諦めが胸の内を横切る。また夜間調査かよ。
「……それは必要なことなんですか?」
美樹本は考え込んだまま、桧山も反応しないとなれば俺が突っ込むより他にない。決まり切った答えを問い質すのも無駄な行為ではあるが、それでもどうせ巻き込まれるなら致し方ないと自分に言い聞かせるための言い訳くらいは欲しい。
嫌々訊ねれば先輩はニッと口端を吊り上げて言った。
「もちろんだとも。なんせ、鬼は夜に現れるようだからね」
自信満々に答える先輩、そしてその背後で同じようにニタリと笑う嵩原を視界に収め、分かりたくもないけど何を狙っているのかを瞬時に把握してそっと胃を押さえた。




