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高校生男子による怪異探訪  作者: 沢満
二章.凍雨
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11.『春』の約束

 男の答えを待つ。何も返って来なければその時点で詰みだ。

 せめて男の正体についてもう少し情報があればと思わなくもない。説得なんて結局はどれほど当人の事情に寄り添えるかで成否が違ってくる。ぶっつけ本番で挑んだこと自体無謀だろう。


 それでももう問いは投げた。あとは答えてくれることを願うのみ。ちょっとヤケクソな気分で待機していれば、ふと雨足が段々と弱くなっていくのに気付いた。

 音が小さく、傘に掛かる衝撃も軽くなる。気温も肌を刺すような冷え込みがどんどんと柔らかくなっていく。


 負担が減ったので前傾になっていた姿勢を正して前を見据えた。男は、いる。

 さっきまでのようなはっきりとした姿ではない。俺が最初遠巻きにしていた時のような、ぼんやりと滲んだ姿で目の前に立っている。


 表情を窺う。もう怒りに歪んではいない。始めに見たような無表情だが、今はどこか途方に暮れたような印象があった。


『……“春”が、来てしまったら……』


 ゆっくりと口を動かして男は話し出す。その声は変わらず底冷えのするような低く沈んだものであったが、ついさっきまでの怒りに満ちたものに比べれば随分と掛かる圧は軽い。


「春が来たら?」


『……“春”が来たら、……“彼女”が、行ってしまう……』


 促して吐かせた答えは最早呟きだ。とても悲しそうな声が耳を打つ。無表情ながら、男の顔には深い悲しみが表れているように思えた。これが、男が“春”を拒否する理由か。


「『彼女』って?」


 腰を据えて聞き出そう。男が話し易いようにこちらもゆっくりと訊ねる。


『……“妻”だ……。彼女は、私を置いて……。先に……』


 沈んでいく声だけでその先は察することが出来た。そもそも男自体が……。


『……彼女は“春”が好きだった。いつも、冬が明けたら、共に、散歩へと、出掛けて……。“春”の、暖かな日差しを、いつも、嬉しそうに、浴びて……』


 訥々と男は語る。悲しげだけど、男の口にする記憶自体はとても幸せそうなものだ。柔らかに語る口調からそれが察せられる。夫婦の幸せな記憶、幸せだったから、それがなくなったことに耐えきれなかったんだろうか。


『また、“春”が来たら、共に、散歩に行こうと、そう、約束、したのに……。……彼女は、春の、日差しの中、私を置いて、行ってしまった……。嫌なんだ、もう。置いて、いかれたく、ない……』


 項垂れ、最後は消え入りそうなまでに声を小さくして男は内情を吐露する。

 男にとっての『春』は奥さんとの別れの記憶に塗り替えられた。だから拒否した? 置いていかれないように、春自体がやって来ないようにして?


「それは……」


 それは、なんて無意味な。常識的な判断で、そう否定の言葉が口から出ようとして、そこでまた雨が強くなっていることに気付いた。

 はっと男を見ると項垂れていた男は頭を抱えてぶつぶつと何か呟いている。様子がおかしい。体も落ち着きなく左右に揺れている。


『……そうだ……。だから私は、“春”を来させないようにするため……。“春”が来たら、妻は、彼女は、また……』


 呟かれるのは同じ帰結ばかり。奥さんとの最期を思い出させたから、それでまた春を拒否する衝動が再燃したのか?

 折角話が通じそうになってきたってのに、また内に隠られちゃどうしようもなくなる。


「春を否定したって奥さんは戻って来ないだろ! あんただって分かってるんじゃないのか!? 奥さんはもう……っ」


 そこまで言って、強く吹き込む雨に続きを邪魔される。傘差してるってのに顔にまで雫が飛んで来た。


『彼女は、彼女はどこにもいない……! “春”が来るからだ……! “春”が来れば、彼女はまた、連れ去られてしまう……! だから、願ったのだ……! “春”など来させない……! “冬”が、“凍雨”が、降る内は……!』


 叫びと共に男は顔を上げる。先程までの穏やかさなどもうどこにも見当たらない。かっと見開いた目は血走って今にも血が眼球の隙間から溢れ落ちそうだし、大きく開いた口からは黒い霞が吐息のように漏れ出している。


 奥さんのことを語る男は酷く寂しそうではあったもののとても人らしくあったのに、今の男はそれこそ悪鬼のような顔で『春』への恨みを叫んでいる。

 正気を完全に失ってしまったのか? もう止めることは出来ないのか?


 下手を打ったその焦燥感で目の前が暗くなり掛けたそこで、背後からポツリと呟きが聞こえてきた。


「凍雨、か。確か冬に降る冷たい雨、もしくは雨が降る途中で氷に変わったものを指す、だったかな。どっちも冬場の冷たい雨であることに違いはないね」


 美樹本が嫌に落ち着いた調子でそう解説する。男の言う『凍雨』にはそんな意味があったのか。それを降らせて春を遠ざけようとしていたと。

 でも、実際は。


「さっきの話を聞いた上で否定させてもらいます。あなたの雨は『凍雨』なんかじゃありません。この雨で、春を遠ざけるなんて出来るはずがない」


 振り向いて美樹本の顔を確認してしまった。一体どんな顔で美樹本は男を否定したのだろう。見れば少し申し訳なさそうな表情をして、それでも視線は真っ直ぐに男へと向けていた。


『違う……! この雨は“凍雨”だ……! “冬”を留まらせ、“春”を遠ざける……!』


「いいえ。だって、あなたの雨は凍ってない。凍えるほどには冷たくもない。先程までの雨は確かに冷たかったし、打たれたその時は寒さも感じました。でも、今はそうじゃない。あなたの言う冬の雨なら、打たれた僕がこうして平然と話せるはずもないと思いますが」


 男の言葉に真正面から反論を述べていく。美樹本の言う通りだ。雨は雨でしかなく凍ってなどいない。確かに打ち付けられたその時は冷たさも感じるが、それだって凍えそうなほどではなく、事実全身びしょ濡れの美樹本は若干顔を青冷め震えながらもそれでもちゃんと立っている。

 これが本当に真冬に降る雨だったらこんな平然となんてしていられるはずがない。


「だから、あなたの降らせる雨は凍雨なんかじゃない。春の訪れを止められてはいないんだ」


『そんな……、そんなことはない……! この雨が、この雨さえ降っていれば、“春”の暖かさも遠ざけることが……!』


「そこも、なんだけどね」


 今度は嵩原だ。首を巡らせば半端に片手など挙げて注目を集めようとしている。

 俺たちの意識が向いていると理解したのか、ゴホン、なんてわざとらしく咳払いなどして話し出した。


「確かにね、雨が降り出してからは気温も上がろうとしなかった。桜が咲かなかったくらいだからね。でもね、それでも現在は徐々に気温は上がってきているんだよ。今は四月の始まりくらいって言ってたかな? 四月の始まりってさ、冬って言える?」


 訊ねる体であるが答えはもう出ているようなものだった。

 そうだ。気温も上がってきている。肌寒さは感じても、少なくとも分厚いコートなんて着なくてもいいくらいの暖かさはとっくにこの街にも訪れていた。


 俺が男の行いを無駄と口にしたのは決して挑発のためだけではない。事実そうなんだ。春はゆっくりとだが、しかし確実に俺たちの街に訪れようとしている。

 男がどれだけ雨を降らせ、春を否定しても、それでも季節の移り変わりを留めることは出来ていない。確実に春は来ようとしていた。


『そんな……、そんなはずは……!』


 二人からの指摘を男は必死に否定する。だが、その態度に反し降る雨の勢いは弱まっていき、肌を撫でる空気からも徐々に冷たさが失われていく。急激に『冬』の気配が遠ざかっていた。


 二人の指摘に男も納得した? あるいは、いよいよ限界だったのか?

 男の不可思議な力は確かに一時は春を抑えることも出来てはいた。だけど、一人の力で季節を完全にコントロールするなんて可能だとはとても思えない。実際に変化は生じていた。遠からず、男の拒否する『春』は問答無用でこの街にも訪れたに違いない。


『あ、あ……。駄目だ……。“春”が……。“春”が……、来て、しまう……』


 愕然と、弱まる雨の中で男は両手を宙に伸ばす。いくら男が拒否しても、雨が、『凍雨』が強まる気配はない。もう『春』を抑える雨は降らせられないんだろう。


『どう、して……。何故、なんだ……。また、彼女が……。彼女が、先に……』


 悲痛に喘ぐ男の目から涙が溢れ落ちた。これまでどれだけ酷い雨が降っていようとも、一滴でさえ濡れなかった男の頬に水の筋が幾つも、幾つも生まれていく。青白く乾いた頬から首筋まで、涙は真っ直ぐに流れて男の灰色のスーツを濡らした。


『嫌だ……。もう、置いて行かないでくれ……』


 戦慄く口から嘆きの声が漏れていく。それと共に男の姿も薄れていった。これまで男をこの街に繋いでいた何かが途切れてしまったのだろうか。

 男が消えたらきっと雨は止むし、病気に倒れた人たちも回復すると思う。問題は全て片付くんだ。この結末こそ望んでいたもののはずだ。


 でも、これでいいのか?

 泣きながら必死に手を伸ばす男を見て迷いが生まれる。このまま男が消えていくのを黙って見ていていいのか?

 もっと、何か。何かもっと、違う形で収めることが出来たんじゃないのか?


 考えるが何も頭に浮かばない。そうしている間にも男は僅かに降る雨に溶けるように消えていく。この雨が完全に上がったその時、男も恐らく消えてしまうんだろう。

 輪郭がぼやけて、灰色のスーツもどんどん色味をなくして。泣き腫らす顔だって白く滲んで、もう目と口も単なる影としてしか残っていない。


 ああ。消えるんだな。ぱらぱらと、今にも上がりそうな雨の下で男の存在が掻き消えようとしていた。


「なぁ。奥さん、待ってくれてたりするんじゃねぇの?」


 静かに男が消えていくのを見守る傍ら、不意にそんな声が上がった。

 えっとなって発言者の方を向けば、未だ腕の中の人物を抱えたままの桧山が男を見上げている。手にした傘で倒れた人間を庇いながら、桧山の奴は明るい声で言い放つ。


「だってさ、春になったらまた散歩しようって約束したんだろ? だったら奥さん、先行かないであんたが来るの待ってたりするんじゃね? 毎年してたんだろ? こうれい行事?ってやつなら忘れたりもしないんじゃないか?」


 あっけらかんと、これがさも正解だろと云わんばかりに桧山は言ってのけた。意外な方向からの助けに思わず思考が停止する。


「……そう、だね。その可能性もあるんじゃないかな?」


 付き合いの長さ故か、一番先に復活を果たしたのは美樹本だ。ふっと軽く息を吐いてから桧山の案に乗っかる。可笑しそうに、その口の端には小さく笑みが浮かんでいた。


「まぁ、これだけ大暴れしてくれた当人も覚えていた約束だしね。多分正常だろう奥さんなら律儀に守ってくれているかも?」


 続けて嵩原の奴も追随した。肩を竦めて、皮肉たっぷりだがその声音自体は柔らかい。

 美樹本も嵩原も、男には一言処じゃなく思う所があるだろうに、突き放したりなんかしないで男の希望になり得る妄想を手ずから支持してみせた。


「あー、やっぱそうだよな! だったらちゃんと春迎えないとだよな!」


「約束ではそうだもんね。当人が邪魔をしてた訳だけど、それでも優しい人だったら怒らずにいてくれるかもね」


「楽しみにしていたらしいし、無駄に引き延ばしたことには一言文句があるかもしれないね。そこはまぁ、自業自得ってことで、甘んじて受け入れなよ」


 いややっぱちょっと怒ってるか? 美樹本と嵩原の発言には隠し切れない毒が吹き出ていてなんとも。


 楽しそうに語る桧山と二人が一斉にこっちを見た。じっと見つめてくる瞳は雄弁に語り掛けてくる。お前も同意しろと、そう仰せだな。


 答える前に男の方へと振り返った。男は最早ただの影となっていた。薄らと人の形をした影が宙に浮いていて、顔の辺りに三つの濃い影が見えるくらいだ。もうどんな表情をしているのかも分からない。


 でも、じっと感じる目線が答えを求めていることだけは分かった。


「……あんたがずっと忘れずにいたって言うなら、奥さんも、忘れずにいてくれるだろ。大切な約束なんだろ? 覚えているなら、きちんと守ってやれよ」


 俺も同意を返す。可能なら、消える前に一目でも会えればとそっと願っておく。


 こちらの答えを聞き届けた男はどんどんと薄らいでいく。それと一緒に雨も上がる。ぱらぱらとした小雨がやがてぽつぽつと途切れ気味になり、そうして男が宙に掻き消える一瞬、さっと強い光が目を焼いた。


 突然の強烈な光に目が眩む。反射で閉じた瞼にまで強い光が差して、視界が黄色一色に染まる。

 その黄色い視界の向こうで、誰かがこちらへと駆け寄って来る姿を幻視した、気がする。その誰かは目の前にいる誰かの傍に寄り添って、そうして一緒にゆっくりと光の差す方へ行ってしまった。

 二人並んで、仲良く寄り添って、ゆっくりと遠くまで歩いていく。やがてその背中は、光の中に溶け込むようにして消えてしまった。


 一瞬の出来事だった。何度か目を瞬かせてどうにか瞼を開ける。

 もう雨は降っていない。強く差し込む光に傘をどけて顔を上げれば、頭上に広がる分厚い雲の隙間から、真っ黄色の夕日が幾つもの光の線を真っ直ぐ地面に落としていた。


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