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高校生男子による怪異探訪  作者: 沢満
二章.凍雨
28/206

10.説得

少々グロ注意かなと思われる描写があります。多分そこまでではない、はず。

 問い掛けるというよりは最早尋問だ。やはり嵩原も苛立ちを抱えているのか?

 嵩原の鋭い声に、ふと男の頭がゆっくり動いた。斜めに傾いで少々上向きに。顎を突き出すようにして空を見上げるが、あれはどんな反応なんだ? 何やら美樹本、桧山から詰まった悲鳴が聞こえて来たけど。


『“春”……』


 そこで嗄れた低い声が辺りに響く。耳に届くなり、ぞっと背筋に怖気が走った。

 地の底から轟くように、どこか暗い所から這い出てきたように、男の声はただ耳にするだけで本能的な恐怖を掻き立ててくる。

 確実にあれは生きたものじゃない。分かっていたことだが、たったの一言でそれを心の底から理解させられた。


「……っ、そうだ。『春』に関係する名前の人間ばかりを病気に罹らせ、そうしてあなたは『春』そのものをこの街から遠ざけようとしている。そうだろう?」


 気丈にも嵩原は追及を続けた。震え掛ける声を必死に抑えて力強く訊ねる。男の反応に確信を得ているんだろう。疑問調だがほぼ断言している。


 男の答えは。


『……そう……、“春”……“春”だ……』


 低い声が耳を打つ。それと共に急激に辺りが寒くなった。

 さっきまで気にならない程度だったのがあっという間に冷たい空気に変わる。吐く息まで白く煙るのが視界の端に映った。


 雨の降りも激しくなる。傘を持つ手に加えられる衝撃が重たい。それなのに雨が地面を打つ音処か傘に当たる音さえ聞こえないってのはどういうことだ。

 大量の雨の雫が線となって目の前を落ちていき更に視界が不良になる中、男の姿も、声も、なんら妨害なんてされてないようにはっきりと認識することが出来た。


『“春”は、遠ざけなければ……。……来させては、いけない……』


 呟き、男の手がゆっくりと持ち上げられる。向かう先は、桧山?


『……それも“春”だ。……“春”は、消さなければ……』


 ゆっくり一歩が踏み出される。また冷気が強くなった気がした。


「! こっち来んな!」


 桧山のはっきりとした拒絶に正気を取り戻したか、動きの止まっていた嵩原が慌てて桧山と男を遮るように立つ。美樹本も立ち上がって嵩原の隣に並んだ。


「い、意味が分からない!? 一体、なんだって言うの!?」


「まぁ混乱する気持ちは分かるよ。でも今はこの子を守らなくちゃ。彼の狙いは彼女なんだ」


 ゆっくり近付いてくる男を前に、嵩原は冷静に美樹本を宥める。余裕そうだが、この雨にこの寒さだ。体温が奪われているだろう状況で、いつまでその余裕は保たれるか。


 話を聞くに桧山が抱えている人物が現在男に狙われている『春』の名前を持つ人間なんだろう。なるほど、襲われている所に桧山が助けに入った形と言う訳か。客観的に見なくても、三人共ピンチを迎えているというのは大変よく分かる。


 さて、これどうしよう。

 男は片手を伸ばしてゆっくり嵩原たちに近付いている。狙いは男子三人ではない。また一人、奇病の罹患者を増やそうとしているんだ。

 美樹本と嵩原は春とは関係ない名前なはずだから大丈夫なはず。桧山はどうだろう? いや、三人が無事ならそれでいいという話でもないが。


 多少まだ混乱を引き摺っている感覚はあるが、しかし目の前で繰り広げられている奇妙な出来事を消化出来るだけの余裕は戻ってきた、と思う。

 これどうしよう。俺が介入することでどうにかはなる、のか? やれることって説得くらいなもので、それを明らかに人外と思われる男相手にかますのには中々勇気がいる。本音を言えば今直ぐ回れ右したい。


 でもなぁ。ここで見逃したら、それこそもう男と邂逅することも難しそうな気がする。

 雨は止ませたい。いい加減青空が恋しいし、春の陽気の中で昼寝もしたい。洗濯の乾きもよろしくないし、それで母親の機嫌だって悪い。


 いろいろとメリット、デメリットを思い浮かべて試算するも、やはりどう考えたってここで逃げるのは悪手だ。千載一遇のチャンス、そしていくらなんでも同クラスの奴を見捨てるのは目覚めが悪過ぎる。

 出て行くべきなんだろう。元より元凶とは近い内に出会したいと思ってはいたんだ。これは正に好機だと思おう。


 腹を括り隠れていた生け垣から立ち上がる。そこそこ長い時間しゃがんでいたからちょっと膝が。軽く屈伸してから危機的状況の三人の元に近寄った。


「ん? え?」


「あ? 誰?」


 雨音は聞こえて来なくても足音は普通にバシャバシャ上がるのな。すっかり冠水状態の公園内では足音を殺して接近なんて芸当は不可能だった。直ぐに三人に察知されてこっち向かれた。


「え? 永野、君?」


 美樹本は呆然と俺の名前を呟いてるけど、良かった、ちゃんと名前覚えてもらってた。これで美樹本に誰だ?とか言われてたら傷付いてた。


「知り合い?」


「同じクラスなんだよ。なんで、ここに?」


 桧山の問いに簡潔に答えてからこっちに訊ねてくる。当然の疑問ですね。答えどうしよう。


「ただの通りすがりだ、気にするな」


 上手い言い訳も思い浮かばなくて適当に答えてしまった。どう考えたって無理がある。ええい、このまま押し通してしまえ!


 追撃をかわすため前面に出る。もう男は間近だ。伸ばされた青白い手に浮かぶ骨の影さえよく見える。


「何する気か知らないけど、それを生きた人間と同じだと思って接するのは止めた方がいいよ」


 背後から嵩原が忠告してきた。それは男を直にすれば嫌でも理解せざるを得ないから大丈夫だ。まぁ、有難くは受け取っておこう。


「ああ、分かってる」


 短く返して事の元凶、『雨雲の下の男』と対峙した。


 さて、真正面からついに元凶と相対したのはいいのだが。間近で見た男の容姿というのか、容貌というのかは中々に破壊力のあるものであった。


 服装は遠目で確認した通り。ヨレヨレのシャツにスーツ、一体何日着替えてないんだというツッコミが自然と出て来る様相だが突っ込むのは不毛だな。今更そんなことを気にする立場にもないように思えるし、こっちにだって気にする余裕はない。


 問題は首から上。血の色を感じない真っ白な肌も、その癖青く浮き上がった血管も不気味ではあるがまだ正視に耐える。

 その肌が覗く首筋。薄汚れたシャツの襟から上へと視線を上げていくことで見えるその部分が、まず第一の衝撃をこちらへと与える。


 捩れているのだ。ぐるりと半回転した頭を確認はしているが、その痕跡が男の首にまざまざと表れていた。男の細く長い首に、まるでネジのような螺線状の肉の捩れが形成されている。

 無理矢理に捻らされ、そのために縒って、伸ばされ、そうしてギチギチと隆起と沈降を繰り返す肉の波。間近だからその重なるようにしてある窪みの影も、引き千切れそうに伸ばされたことで更に白くなった肌も、大変はっきりとよく見える。グロ注意です。


 細目でいたならまるで幾つものロープが首に巻き付いているかのようにも見えていただろうな。正直そっちのほうがまだマシだったかもと思う。あまりに肉々しい光景に恐怖を通り越していっそ頭の中が完全に冷えた。


 グロ注意過ぎる光景で、間近で見るんじゃなかったと視線を更に上に上げてもこっちも酷い。

 いよいよ男のご尊顔を拝めるといった体だが、そんな余裕もなくすほどのものがこちらにもあった。


 男の顔色もやはり真っ白い。紙のように、という比喩表現がそのまま合致する白さは、男がこの世のものでない存在だと改めて示しているようだ。

 でも別にその程度は今更だ。首の惨状を目の当たりにした今、生きている人間じゃないなんて感想は当然のこととして然程恐怖を掻き立てる事項でもなくなってるからな。


 恐ろしいのは男の顔だ。顔の造り自体は多分そう特筆する必要もない、整っても崩れてもいない普通な面構えだと思う。少々痩せ気味で頬に痩けがあるくらいか。だが、その目は。


 見開いた男の両目は共に白目。薄く血管の浮く白がギョロリと深海魚のように剥き出しになってこちらを見つめている。

 焦点など結びようのない目をしているが、しかしよくよく見れば白目と言えど黒目も若干覗いている。片方は上瞼の影に、もう一方は下瞼の方にちょこんと黒目の弧が見える。


 左右で上下に目が分かれてしまっているのだ。それを理解すると共に男の謎の挙動にも想像が及んだ。

 男がなんで中途半端に空を見上げたのか。そうすることでその下に向いた目にこちらが映るようになるんだろう。上向いた目の方では多分首の肉が邪魔で傾げ切れない。だから思い切り仰け反るしかなかった。


 理解して心底ぞっとする。多分美樹本たちも直ぐに気付いたんだろうな。それであの悲鳴か。目の前までのこのこ出て来たのは失策だったかもしれん。


 まぁ、でももう後の祭りだ。今更引き返すことなんて出来やしない。一歩一歩と近付いてくる男に声を掛ける。


「そんなに『春』が嫌いか?」


 声と共に吐いた息が白く染まる。男の真正面にいるからか冷気が強い気がする。


『……“春”は……来させては……いけない……』


 同じことを繰り返す。ただ春を否定する気持ちばかりは強くなっているようで、打ち付ける雨は強く、空気もどんどん低くなる。

 まるで真冬だ。そこまでして春を嫌うか。


「そうかい。俺は『春』が好きだけどね。暖かいし日差しも気持ちいいし、外での昼寝に一番向いている季節だ。四季の中でも一番好きかもしれない」


 紛れもない俺の本音だ。向こうは春を否定するが俺はこのくらいの時期が一番好きなんだよ。夏は暑くって寝てらんないし冬は寝たら風邪引く。秋も捨て難いのだが、ぽかぽかと体が芯から温まっていくのを感じられる春がやはり一番なんだ。


 まぁここでするような話ではないかもしれないけど。後ろから「なんの話?」なんて容赦ないツッコミが上がってるのに軽く後悔しながらも話を続けた。


「だからあんたに『春』を遠ざけられる訳にはいかない。冬も終わってやっと個人的に好きな季節が巡って来たんだ。あんた一人の我が儘で折角の『春』を台無しにされるなんて、そんなの悪いけど見過ごせないんだよ」


 これだって俺個人の我が儘でしかないけどな。だが、きっと沢山の住人が俺と同じ気持ちではあるだろう。ここにいる三人だって同じなはず。なので強気で押し切ろう。


「これ以上『春』を否定するな。どうせあんたがどれだけ手を拱いた所で『春』を遠ざけるなんてことは不可能なんだよ。もう、無駄な足掻きは止めろよ」


 きっぱりと男の望みを否定してやる。向こうだって勝手な理由で春を拒否しているんだ。同じく否定されたって文句は言えないだろ。実際、男の行為は無駄でしかないしな。


『……』


 ぴたりと動きが止まる。踏み出した足に伸ばされた手が凍ったように静止する。

 背後からは息を呑む気配がする。じっとこちらを注視しているのが背中に掛かる視線の圧で分かる。


 これで男はこちらの説得を聞き入れた、なんて浅はかにも信じられたら良かったんだが。


『……では……』


 小さい唸りが聞こえた。いや、呟きか。それと共に急に雨音が戻ってくる。リモコンでボリュームを徐々に上げていくように、唸りを上げるようにして盛大な雨音が耳を打つ。その雨音に負けないほどの怒声が、唐突に周囲に響き渡った。


『無駄などではない……!』


 男が怒りに顔を歪ませて叫ぶ。ただでさえ見開いていた目を眼球が溢れ落ちそうなまでにかっと開き、そして真っ暗な穴にしか見えない口を引き裂かんばかりに大きく開ける。眉間には深い皺が刻まれ、額にまで横一杯の皺が生じている。

 余程力を込めているんだろう。顔中の筋肉を躍動させて、そうまでして男は怒りの感情を発露させる。


 男の感情に連動しているらしく雨も一層激しくなる。ザァザァと鼓膜を打つ音はまるで大量の砂が落下しているようだ。最早傘の一つでどうこう出来る規模じゃない。

 あっという間に腹から下が打ち付ける雨によって濡れていく。


「ギャー! 痛ぇ!」


「痛い! 冷たい!」


「……っ! 早く傘を! その子だけでも守れ!」


 背後からも悲鳴が聞こえてくる。ちょっとだけ罪悪感が首を擡げたが、一応考えあっての挑発ではあるのだ。想像以上の釣られっぷりに正直驚いていますけど。


 雨を止ませるには男を止めるしかない。だが、止めるにしても具体的な手法なんてこの段階でも思い浮かんでない訳で。

 付け入る隙があるとするならそれは男の動機そのものだと判断した結果、こうしてわざと煽って説得の切欠でも得ようとしたのだ。

 んで結果はと言えば、地雷でも踏んだかな。想定以上の激怒っぷりだ。


『無駄など、そんなはずはない……! お前たちに、何が分かる……!』


 激しい雨音の中でも不思議と男の声だけは鮮明に聞こえる。だが、声に反してその輪郭は徐々に徐々にと大量の雨の線の向こうに溶けるようにぼやけていく。

 まずい。このまま消えさせたりするもんか。


「何が分かる? そりゃそうだろ。俺はあんたの事情なんざ何も聞いてない。俺が知ってるのはあんたが『春』を嫌っていること、どうにか『春』を遠ざけようとしていることくらいだ。あんたがどんな事情でこの雨を降らせているかなんて、そんなのあんたが話さないのに知りようがないだろうが」


 雨音に掻き消されないよう腹に力を入れて告げる。

 男にもこうまでして雨を降らし春を否定しなければならない理由はあるんだろう。そしてその理由ってのは、多分こんな姿になってまで執心するほどのものだ。

 そうじゃなければあんな生気のなかった男がここまで感情的になるはずもない。


 理解して、それで和解なんて穏やかな結果が引き寄せられる保障はない。俺がやることは結局は男の望みを断つことだ。頑張って引き出したその男の本願を、潰すことでしかこの雨を止ませられない。

 他に方法なんざ思い浮かんじゃいないからな。俺と男が両方共、納得のいく結果なんてどう目指せばいいのか分からない。


 こうまでして春を遠ざける男の望みを無碍にする。分かっているが、それでも俺はいい加減春が来て欲しいんだ。


「言えよ。大層な理由があるんだろ? 高校生なんかに否定されるのは業腹だって言うんなら堂々と口にすればいいだろ。ここまで突っ走れたその理由を明らかにすればいい。無駄じゃないって言うならそれを証明してみせろ」


 話す間にもどんどん気温は下がっていくし雨も強くなっていく。もう片手で傘を持つのもしんどい。身を屈め肩でも傘骨を支えているんだけども、掛かる負担は強くなっていくばかりだ。


 切れ間のない、傘の膜を打ち付ける鈍い打撃音が傘の内側で反響して、雨音が一瞬掻き消える。


「答えろよ」


 届けと願いながら真っ直ぐに伝える。心の底からの要望はちゃんと男に聞こえただろうか。

 もう男の姿は雨の幕の向こうにあってよく見えない。駄目かと諦めが胸の内を過ぎるが、じっとそのまま男の影を見つめた。


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