13.赤い糸
明くる日は実に平和な一日となった。突撃をかますような馬鹿はなく、手紙のお代わりもない平穏な日常だ。
頭を悩ますような出来事がないというのもあるが、これはやはり前日の捕り物劇の成果だろうな。あれで差出人の素性が知れたのが心の平穏に一役買っているのだと思う。
姿の分からない悪意者ほど恐ろしいものはないと今回のことで実感した。勝手な囮作戦には閉口したものだが、結果良ければ全て良し。皆には感謝するより他にないな。
「永野ー。帰ろうぜー」
気付けば放課後で、桧山と美樹本がすっかり馴染んでしまった誘いを掛けてくる。
全面解決とはいかないものの概ね解決ムードであるとは言えるだろうから、もう一緒に帰らなくても大丈夫なのでは。
「今日は部活はいいのか? 差出人も二人判明したんだし、そう警戒しなくてもいいんじゃ」
「部活は問題ない! 今日は永野と帰る! 護衛!」
「駄目だよ。恐らくだけど一番本気そうな人間は野放しのままなんだ」
なんだそれと首を傾げる。間断なく言い切った所からしてかなりの確信はあるんだろうけど、一番本気そうって?
「最初に来た手紙は覚えてる? あの定規文字とか、無駄に痕跡を残さないようにしてた本気度が窺えるのなんだけど」
「ああ、あったな」
「書き込みから見てそれは、最初に『縁切りの呪い』を教えられて実行した当人なんだと思う。で、僕らからしてみれば本当に警戒すべきはその最初の差出人。便乗犯とは違って、自分の痕跡さえ残らないようにと気を配るってのが偏執さが際立ってて、正直言って何するか分からない。昨日の罠も、本懐としてはその最初の差出人を引っ張り出したかったんだけどね。どうやら釣り出しは失敗したみたい」
「なんで失敗だって分かるんだ?」
「昨日の二人はどっちも『縁切りの呪いはネットの掲示板に載っていた』って言ったからだよ。これが最初に書き込んだ人間なら『教わった』とか『紹介された』とか、要は意図して情報を引き出したみたいな発言をするんじゃないかって思う。第三者目線で偶々見掛けたみたいには、口にしないんじゃないかな」
昨日のあの尋問ってそういう意味があったのか!? 俺の知らない所でいろいろ考えてくれてたのな!
「いや、それは、向こうが秘匿しようとしたんじゃ」
「そうだとしたら、自分が呪いを教わった当人であるとバレることに何かしら意味があることになるね。それって一体なんだろう」
こてりと首を傾げる。
「掲示板では直接的なやり取りは見られなかったし、最初の人間だけが特別に情報を渡されたようにも思えない。そもそも掲示板でのやり取り自体を秘匿したいなら、適当に僕の言に乗っかっていた方が良かったでしょ。正直、どうやって呪いを知ったかについて嘘を吐く理由が見当たらないんだよね。僕らに自分は陰湿な人間だって知られたくないとか、そういう理由なら警戒する必要もなくなるから歓迎するけど」
そう言って肩を竦めて見せる。数日前に見せた美樹本のガチ推理モードはまだまだ健在だった。
そんなことまで考えて囮作戦を決行していたのか、お前。これ本当に俺文句の言い様がないな。
「永野の言いたいことも分かるけどね。でもまあ、どうせ備えるなら最悪を想定していた方がいいでしょ? 一番厄介な人間はまだ野放しの状態にある。そう思っていた方が対応も取りやすいよ、多分」
「多分て」
「完璧に布陣を整えるとか無理だから。現実じゃ。永野は永野で不審者への対応はどうするの。今一番取っ捕まえた方がいいのはそっちだと思うんだけど?」
突っ込んだつもりが反対に突っ込まれてしまった。忘れてなかったか。昨日の捕り物劇で頭が一杯にでもなっててくれたら楽だったのに。
「罠に掛かった内の二人のどちらかだったらもう何も心配はいらない」
「本当にそう思っているの」
「いえ、すみません。希望的妄想でした」
真顔でこっち見つめるのは止めていただきたい。そしてせめて疑問系にしていただきたい。
「すぐに翻すくらいなら言わなければいいのに」
「可能性はあるだろうが。特にあの一年とか、実際カッター持ち出したし」
「可能性は否定しないよ。でも永野自身も違うって分かってて、誤魔化すために適当に言ってるだけなら僕が聞き入れる理由もないよね」
なんだろう。対応が凄くドライだ。俺知らない間に美樹本の地雷でも踏んだだろうか。心当たりはなくもないと言うかなくなくないと言うか。
「別に誤魔化していたりは」
「本当?」
だから真顔は止めてくれって! 威圧が強くてそっと目を逸らしてしまう。
「……はあ。まあ言いたくないなら仕方ないけど」
じっと頬辺りに視線を感じていればため息吐かれて引いてもらった。
なんとか生き残れたかと視線を戻せば、じっとりとした上目使いがこっちを睨んでいてちょっと怯む。美樹本のご機嫌が非常によろしくない。
「ともかくまだ護送は続行。永野も油断はしないで。何かあればちゃんと僕たちに言うように」
強固に言い切られて反論する余地もない。
なんだってこんな過保護な真似をするのか。差出人二人を誘い出しただけでもう十分金星は上げられただろうに。
「はいよ。了解。俺としては何も起きないことを祈るばかりだよ」
「僕らだってそうだよ。でもこればっかりは他人が勝手に突っ掛かってくるものだからね」
揃ってため息。まだまだ苦労が絶えない日々が続きそうでなんだかなぁ。俺のこいつらに対する借りってどこまで膨れ上がるんだろう。ちょっと心配になってきた。
「何か起こっても俺が守るぞ。安心してくれ!」
げんなりしている俺たちの隣で桧山は今日も元気だ。昨日のことがあるからこいつの発言も実に説得力があって頼もしい。
でもその台詞は男が男にするものではないと思う。
「ああ、うん。もしもの時はな。でも無理はしないでいいぞ。暴力沙汰は出来るだけ回避していく方向で」
「ちょっといい?」
頼りになるけれどもと釘を刺そうとすれば二岡に割り込まれた。目を向ければ、悩ましげな表情をしていて首を傾げる。
「どうした?」
「ちょっと、三花のことで」
言われて昨日のことを思い出した。帰りしな様子のおかしかった能井さんだが今日はどうだっただろうか。
確か昼は委員の仕事だとかで屋上には来ていなかったな。
教室を見回せば能井さんは自席で帰り支度をしていた。教科書やノートを鞄に仕舞う姿は変わりないように見える。
「昨日からね、なんだか様子がおかしいの。ずっと何か考え込んでいるように上の空で、私が話し掛けても反応が鈍いの。どうしたのって聞いてもなんでもないってそればっかり……。何か、あの子が悩むようなことに心当たりはない?」
戸惑ったように訊ねられてこっちも困惑する。もう一度能井さんを見れば、確かにどこかぼうっとしたように見えなくもない、か?
今日は一言も会話を交わしてないから判断が付きにくい。
「心当たりって言われても。一番仲のいいお前が分からないならこっちだって思い当たるものはないぞ。昨日は確かに様子がおかしかったけど……」
「そうでしょ? 昨日の、あの作戦の終わりくらいからずっとなの。だからあの時に何かあったんじゃないかって思って……」
気落ちしてため息まで吐く。心底気に掛けていることがよく分かる態度にこっちまで深刻になってくる。
こういう話は美樹本を頼った方がいい、そう思って目を向けたら、美樹本よりも先に目を輝かせる桧山の顔の方が視界に入って来た。何そのやる気に満ちたような顔。
「桧山、どうし」
「心配事か!? 何かあったなら話を聞こう!」
うわやる気に満ちている。何事だと美樹本に視線をやればそっと視線を逸らされた。心当たりがありますと言っているようなものだな。
「美樹本」
「……いや、ね。早く問題が解決したら、皆で打ち上げにでも行こうかって。五月の連休も近いから、それ合わせられるよう桧山もいろいろ力を貸してねって、言ったら暴走状態に」
ああーとため息のような声が出る。
ご褒美+明確な達成日時+名指しでの協力要請。元気で明るい素直な子供ならやる気を出すだろうコンボを、依りにも依って桧山にか。
そりゃこっちが軽く引くほどのやる気は見せるだろうな。ただでさえ今のあいつは盾になってやるぜ!と肉壁としての充足感に満たされているってのに。
「お前なんてこと」
「この際桧山君でもいいわ」
美樹本に文句言おうとしたら二岡が先にそんな宣言かました。
「正気か!?」
「今の三花に桧山君のこの勢いをぶつければ、流れでポロリと話してくれる可能性があるかもしれない」
「強引に聞き出すのはどうかと思うけど」
美樹本の忠告も聞き入れず、二岡の奴は桧山を連れて能井さんの方へと向かう。嫌な予感がするので俺たちも続けば、案の定桧山の奴はやらかしやがった。
「一体どうし、ぐわー!」
「キャッ!?」
能井さんの元へと馳せ参じた桧山はそのままの勢いで近くの椅子と机に激突。盛大な巻き込み事故を起こして倒れやがった。その際に能井さんの鞄まで床に振り落として中々の大惨事。
「「何やってんの!?」」
ガタガタガシャーンと派手な音を立てて一気に辺りを散らかす桧山にツープラトンの怒声が。放課後ということで人があまりいなかったのが不幸中の幸いだな。
「どうしたらこんな一瞬でこんな惨事になるの!?」
「わ、悪ぃ……」
「三花! あんた大丈夫!? 怪我してない!?」
「う、うん。私は特には……」
バタバタわーわーと常識人二人が慌てて事態の収集に掛かる。まあ、二岡も若干原因と言えなくもないと個人的には思う。
倒れた机や散らばった教科書・ノートを拾い集める。能井さん含めた全員での片付けだ。ほんとうにあの一瞬でよくもまあここまで荒らしたもんだよ。
「もうちょっと落ち着きを持ちなよ、桧山」
「メンボクないー」
「やっぱり桧山君を嗾けるべきではなかったのかしら……」
「梓ちゃんは何をしようとしてたの?」
粗方片付けが終わり今度は能井さんの荷物に取り掛かる。とは言え男子が女子の鞄の中身をどうこうするのもなぁ。
二岡も懸念したようで、桧山には手伝いを要請するが俺と美樹本には見ているようにと遠ざけた。
床には教科書にノート、それから可愛らしいデザインの筆箱に弁当の包み、飴の小さな缶に掌大の巾着袋からは赤い糸がちらりと覗いている。
……え?
「桧山君は教科書類纏めて。はい、三花。お弁当箱割れてない?」
「ん……、大丈夫。ペンも壊れてないよ」
見えたのは一瞬。あっという間に回収されて全部鞄の中に仕舞われた。桧山は先程までのテンションが嘘のように元気をなくし、ペコペコと必死に能井さんに頭を下げている。
苦笑を浮かべてそんな桧山を許している能井さんは普段と何も変わらないように思えるが……。
「? 永野、どうしたの?」
「……いや、なんでも……」
不思議そうな顔をする美樹本を見るに気付いたのは俺だけか? まさかそんな。きっと何かの勘違い、俺の思い過ごしだろう。
きっとそうだ。そうだよな?




