勝利の後
「そうだ、シンシアは大丈夫か?」
ヘンリーは上体を起こすと、ダニエルに向かって尋ねた。
「精神力を使い果たして気絶している。あっちに寝かせてある。」
ヘンリーがダニエルの指差す方に目をやると、そこには気を失って横たわるシンシアの姿があった。
「大丈夫なのか?」
「ああ、魔道師が限界を超えて魔力を使うと失神するという話は親父から聞いている。聖職者も同じだろう。実際にこの目で見たのは初めてだがな。余程のことがない限り、休養を取れば回復するそうだ。」
「そうか・・・」
少し安堵したヘンリーがつぶやいた。
ダニエルは立ち上がってシンシアの方に歩み寄り、側に片膝をついた。
「よく頑張ったな。」
そう言いながら、頭の下にタオルを差し入れて乱れた髪を整えてやった。
やがてヘンリーもやってきて、シンシアを挟んで反対側に腰を下ろした。
間近でその姿を見たダニエルは驚いて叫ぶ。
「おい、血まみれじゃないか!すぐ手当てしなくちゃ。さあ、装備をはずして服を脱げ。」
ヘンリーは片手を少し上げて断るようにひらひらさせて言った。
「いや、全部かすり傷さ。なにせ相手の得物がバトルアックスだったからな。直撃されれば手足が切り飛ばされちまうから、回避に全神経を集中させたよ。それでも避け切れずに随分かすられてしまったな。出血はそこそこしているが、見た目程ひどくないさ。」
「ごちゃごちゃ言ってないで、さっさと見せろ。」
「はいはい、言うとおりにするから怒鳴るなよ。汗が傷にしみるなあ。ダニー、悪いけど胸当て外すの手伝ってくれないか?」
ダニエルはヘンリーの革鎧を外してやった。その下に着込んでいた厚手のシャツは汗と血でぐっしょり濡れており、脱がすことが困難だったのでやむを得ずナイフで切り裂いてはがした。
「おい、平気なんてもんじゃないぞ!致命傷じゃないし動脈も切れてないようだが、結構深いのもあるし、すぐに消毒して傷口を縫わないと。と言っても俺には医術の心得はないしなあ。シンシアが元気なら任せられるんだが。」
「俺のリュックに針と糸、それに消毒用の酒と止血薬が入っている。それと火をおこして湯を沸かしてくれ。とりあえず大きな傷は縛り、小さいのは薬で止血しよう。湯が沸くまで待って、シンシアが目覚めなければお前が傷口を縫ってくれ。」
冗談を言うなとばかりにダニエルが即座に拒否する。
「無理言うなよ。雑巾しか縫ったことがない俺が、傷口を縫うなんてできる訳ないだろうが。」
「それならナイフを焼きごてにして、傷口を焼いてくれ。」
「お前、正気か?めちゃくちゃ痛いだろうし、火傷するんだぜ?直ったとしても傷跡がひどいぞ。」
「ああ、仕方ないな。だが戦場ではよくある話さ。このまま放置しても出血を止めなければ動けなくなるし、消毒もせずに傷口を開いたままにしておくと、悪い風が入って結局は命を落とすことになるだろう。」
ダニエルはあわててシンシアを抱き起こすと、頬を軽く叩きながら耳元で叫んだ。
「シンシア!起きてくれ!ハリーが大変なんだ。助けてくれ、シンシア!」
「ダニー! 無理に起こすな。」
「そんなこと言ったって・・・ 頼むよ、シンシア!目を覚ましてくれよ。」
情けない声で必死に訴えた想いが通じたのか、シンシアの目が開いた。
「よかった。目を覚ましてくれた。分かるかシンシア。」
「ダニー・・・、頭が痛いわ。ここは・・・」
「ドワーフの洞窟さ。アリスを探しに来たんだ。」
「そうだったわね。アリスを・・・、あっ!ハリーは?ハリーは無事なの!?」
ようやく我に返ったシンシアは、ヘンリーの姿を探した。
「俺はここだよ。」
声がする方向を向いたシンシアの瞳に、無残なヘンリーの姿が飛び込んだ。
「ハリー、ひどい傷だわ!大丈夫?すぐに私が助けてあげるわ!」
シンシアは半狂乱になって起き上がろうともがいたが、足腰に力が入らず泣き叫んだ。
「シンシア、落ち着くんだ。俺がハリーの所に連れて行ってやるから。」
ダニーはシンシアを抱き上げると、ヘンリーの側に降ろしてやった。
ヘンリーは泣きじゃくるシンシアの手を取り、やさしく言った。
「シンシア、俺は大丈夫さ。見た目は派手だがどれも浅手だから。それよりも君の歌で助かったよ。俺達が生きているのは君のおかげさ。精魂尽き果てるまで援護してくれて、どれだけ感謝しても足りないよ。君の具合はどうなんだ?まだフラフラじゃないか。」
「わた・・しは、平気・・よ。あなたが・・生きていて・・よか・・った。」
シンシアはしゃくりあげながらそれだけ言うと、血が服に付くのも構わずにヘンリーにしがみつくと、わっと泣き出した。
傷だらけのヘンリーは、全身の痛みに叫び声を上げそうになるのを必死で耐えた。
ヘンリーの苦悶の表情を見たダニエルも、笑いそうになるのを必死で抑えた。
シンシアはひとしきり泣くと、やがて体を起こしてヘンリーの傷を調べ始めた。
「ダニー、私のバッグを取ってくださらない?」
ダニエルから荷物を受け取ると、中からいくつかの小瓶と治療具の入った道具入れを取り出した。小瓶の一つを開けると、中の液体を少し飲んでからダニエルに渡して言った。
「魔力を回復する薬よ。一・二時間もすれば幾分かは回復できるわ。一目盛だけ飲んで。それ以上は毒になるから気をつけて。」
「ありがとう。」
ダニエルは小瓶を受け取ると、慎重に一目盛分まで何度か確かめながら飲んで返した。
「ハリー、私の魔力が回復するまで治癒魔法が使えないの。まずは薬で傷口の消毒をしてから、大きな傷は針と糸で縫うことにするわ。さっきの薬で魔力が戻ったら魔法も使うけど、たぶん全部の傷に魔法をかけることは無理だと思う。いくつかは傷跡が残ってしまうけど、許してね。」
「謝ることなんてないよ。戦傷は戦士の勲章さ。それに相手は王様だ。こちらから頼んで残して欲しいくらいさ。」
ヘンリーはシンシアの手を軽く握ると、微笑みながら言った。
憧れの騎士の笑顔にようやくシンシアも落ち着いたのか、その顔にも笑みが浮かんだ。
シンシアは大きな傷から手際よく汚れを拭き、消毒し、縫い合わせていった。
深い傷以外は、魔法で傷跡を残さずに治療できるよう、薬を塗って包帯で押さえるのみに留める。
日頃から、積極的に修道院を訪れる怪我人の治療を行ってきた甲斐もあって、並みの修道僧になど負けない腕前となっている。
一方ダニエルは皆が休息できるよう天幕を張り、食事の用意を始めた。
大き目な傷の縫合を終えた頃、ダニエルがやってきて言った。
「食事の用意ができたけど、様子はどうだい?」
「ありがとう。大きな傷は縫い終わったし止血もしたから一息つきましょうか。後は休息後に魔法で治療します。ハリー、随分血を失っているから、無理してでも食べなくては駄目よ。」
「なあに心配無用さ。腹が減って我慢できないくらいさ。」
三人は声を上げて笑った。
つい先刻、命がけの戦いに巻き込まれていたことを思うと、全員が生きていることがなによりも嬉しく思え、笑いながらも涙が溢れてくるのだった。
ヘンリーはダニエルの肩を借りて天幕に向かい、腰を下ろした。油の乗った魚の干物、香辛料が効いた豚の塩漬け肉、甘酸っぱいリンゴのジャムを塗ったパン、シンシアが煎じた香りの良い薬湯茶が並び、旅先の晩餐としては申し分ないものだった。
「おいダニー、ピクニックのつもりだったのかい?荷物はほとんど食い物なんじゃないのか?」ヘンリーは苦笑しながらいった。
「うるせえな。おれのリュックはすぐれもんだから何でも入るんだよ。怪我人は四の五の言ってる暇があったら食え!」
「ああ、そうさせてもらうよ。」
「ハリー、私が食べさせてあげるわ。」
塩漬け肉を切り分けていたシンシアが爆弾を投下する。
「えっ!?大丈夫だよ、自分で食べれるさ。」
目を白黒させたヘンリーが、慌てて断ろうとしてバタつき、傷の痛みに苦悶の表情を浮かべた。
「駄目よ!治療が終わってないから、動けば傷口がすぐ開くわ。私が食べさせます!」
シンシアが断固たる姿勢で言い切るのを聞いたヘンリーは、情けない声でダニエルに救いを求めた。
「おいダニー、なんとか言ってくれ。子供じゃあるまいし、そんなみっともない真似ができるものか。」
「怪我人は医者の言うことを聞くもんだろ?お似合いだぜ、ハリー坊っちゃん!」そういうとダニエルはゲラゲラ笑い転げた。
友人に見放されたヘンリーは、仕方なく覚悟を決める。
「ちくしょう!人事だと思いやがって!えーい、仕方無い。シンシア、とっとと済ませてくれ。」
「ちょっと、ダニー。怪我人をからかうものではないわ。はい、これを持って外に出て。」
ダニーに一人前の食事を取り分けた皿とコップを押し付けながらシンシアが言った。
今度は、想定外のとばっちりを受けたダニエルが慌てる番だった。
「おい、どういうことだ?なんで俺が外へ行かなくちゃならないんだ?」
「ハリーが恥ずかしがっているでしょ?武士の情けよ。」
「ちくしょう、怪我人と坊さんが相手じゃ分が悪すぎる。わかったよ、出て行くさ。」
「くそっ」捨て台詞を吐きながら、ダニーは天幕を出ると少し離れたところに置いた荷物に腰を掛けて食べ始めた。
一人のけ者にされた感のあるダニエルであったが、自分の魔法に対する確固たる自信が生まれつつあった。
“俺の魔法も大したもんじゃないか。ハリーが倒したのは2体、それも弱そうなのと片腕を失ってフラフラしてた奴だ。俺は3体、しかも王様とか強そうな奴ばかりだ。咄嗟に油壷を使うことを思いついたり、臨機応変な対応もできたじゃないか。”
“こりゃあ、親父みたいなお抱え魔導士なんかじゃなく、軍師様にでもなってハリーに命令するなんてのも夢じゃないかもな。そうすりゃ、シンシアも俺のことを見直すんじゃないか?”
たった一度の成功でバラ色の未来を夢想し、締まりのない笑顔を浮かべるダニエルであった。
一方、すっかり観念したヘンリーは、シンシアに食べさせてもらいながら、先刻の戦いを思い起こしていた。
こちらは晴れの初陣であったというのに、すっかり意気消沈していた。
“装備が互角であったとしても、魔法の助けがなければ生き延びることはできなかっただろうな。特にあの王は強かった。生前であれば、もっと俊敏で力強い攻撃を繰り出したことだろう。こちらはバトルソングのおかげで実力以上の力で挑んだというのに、有効な打撃を与えることはほとんどできなかった。倒せたのはダニーの魔法と機転のおかげだ。やはり剣は魔法に敵わないのだろうか。”
「深刻そうに何を考え込んでいるの?それとも傷が痛むの?」
顔を上げると、心配そうに覗き込むシンシアの顔があった。
「いや、さっきの王様は強かったなあ、と思って。」
「そうなの?でも私は途中でトランス状態に入ってしまったし、最後は失神してしまったから、よく分からないけど。」
「君やダニーの助けがなければ確実にやられていたよ。どんなに感謝を尽くしても足りないくらいさ。本当にありがとう。」
「いつも言っているでしょ?私の夢は勇者に仕える神官として、あなたと一緒に冒険することよ。でももっと修行しなきゃね。このくらいで気を失うなんて。」
ふいにダニーが天幕を覗き込んで言った。
「お二人さん、いい雰囲気に水を差してすまないが、もう戻ってもよろしいでしょうか?」
「何言ってるのよ、ダニー!」
真っ赤になって叫んだシンシアだが、「もう終わったよ。すまなかったな、ダニー。」とヘンリーが落ち着いた声でダニエルを招き入れると、「何よ、もう」などとふくれっつらをしながらそっぽを向く。
休息と回復薬で幾分か精神力を回復したシンシアが、治癒魔法を使ってヘンリーの治療にあたった。小さな傷は跡形もなく完治できたものの、縫合を必要とした大きな傷のいくつかは魔力が足りずに完治させることはできなかった。
「ごめんなさい。大きなのが三箇所、傷口はふさいだけれど完治できなかったわ。一晩眠れば精神力も回復するから、明日の朝もう一度魔法をかけるけど、時間が経つと傷口が固まってしまって跡が残るわ。」
悲しげなシンシアを慰めるように、ヘンリーは明るく言った。
「さっきも言っただろう?戦傷は戦士の勲章さ!早く二つ三つ着けとかなきゃと思ってたのさ!」
それから沸かした茶を飲みながら、三人はこれからについて話し合った。
ヘンリーは、痛んだ革鎧を修理しながら、シンシアは、ボロ布のように切り刻まれたヘンリーのシャツを縫いながら。
少しでも魔力を回復させようと、肘を枕にして横になっているダニエルが尋ねた。
「あっと言う間に三人共ボロボロになっちまったな。シンシア、ハリーの傷はとりあえず大丈夫なのか?」
「傷口を引っ付けただけだから、今夜は発熱するでしょうね。明日魔法で完治させれば普段どおりに動けるようになるわ。三人の疲労も、さっき飲んだ薬湯の効力で一晩眠れば、ほぼ回復するでしょう。」
「俺達の魔力はどうなんだ?一晩寝れば戻ると聞いてはいるが・・・」
「そうね、大丈夫だとは思うのだけれど。マインド・ダウンなんて初めてだし。」
そう言いながら、“念のためにこれも飲んで“と、ヘンリーには解熱に、ダニエルには疲労回復に効く薬湯を手渡すと、自分もダニエルと同じものゆっくりと啜る。
「なあ、ハリー。門番を相手しただけでこの体たらくだ。親玉はもっと凄いんだろうな。こんなんで本当に俺達、アリスやみんなを救出できるのかな。」
ダニエルが真面目な声で問いかけた。
「正直なところ不安はある。だが俺は騎士を目指す身だ。一度立てた誓いや交わした約束は命に替えても守らねばならない。だが二人は違う、これ以上命を危険に晒すことはない。ダニー、一眠りしたらシンシアを守って城に戻り、父上に今までの仔細を報告してくれないか。」
「駄目よ! 私はハリーを護る神官になるのよ!あなたを置いて戻るなんて、絶対にいや!」
「やれやれ、目が行っちまってるな。なあハリー、こりゃ梃子でも動かないぜ?俺だけ戻る訳にも行かないし・・・まあ、乗りかかった船だ。最後まで付き合うぜ!」
「これで決まり!ハリーもつべこべ言わずに覚悟を決めなさい!」
「おいおい、何だよそれは。どうなっても知らないぞ、二人共後で後悔するなよ。」
どう仕様も無いな、という感じで頭を振るヘンリーに対して、シンシアは喜びを爆発させていた。
物心が付いた頃より夢見てきたヘンリーとの冒険が、今現実のものとなっているのだ。
だが、そんなシンシアを見つめるダニエルの顔に、一筋の影が差すのを二人は気づかなかった。
さて、なんとか試練を潜り抜けた一行ですが、ヘンリーとダニエルには、互いに今までにない新しい感情が生まれつつあるようです。このまま葛藤として深まるのか、それとも友情の深化へと繋がるのか。
シンシアは、一途に「ヘンリー命」道を邁進中です。彼女の純粋な思いは最後まで汚れることなく続くのか。はたまた、その想いが成就する時は訪れるのか。
次回は、いよいよ念話の主の正体が明らかに・・・なればいいな、と。
今から書くので、あくまでも目標です。