危機
“どうしたのですか、ハリー?あなたの精神波に乱れが感じられます。”
今度の念話は、今までのものより若々しく優し気に感じられた。
“あなたは、王様の一族の方なのですか?”
“これは失礼いたしました。お見込みのとおり、一族に連なるものです。今、我が王は黒魔導士による精神支配の試みと戦っており、念話を送ることが困難な状況なのです。”
“失礼とは存じますが、心配な状況と申し上げるべきなのでしょうね。
残念ながら、こちらも窮地に陥っております。
ドワーフの墓から現れた5体のフレッシュゴーレムが迫ってきているのですが、我ら3人の力では無事に切り抜けることは難しい状況です。”
“生ける屍ではないのですか?”
“ええ、ドワーフの遺骸に腐敗臭のする粘体が憑りついたモンスターです。”
“確かにフレッシュゴーレムのようですね。死霊術師の黒魔術により支配された粘体によって、強制的に動かされているのでしょう。可愛そうに、彼らはかつてこの地に栄えたドワーフ郷の王族や英雄達です。”
声にはまるで、古い知人を悼むかのような寂し気な雰囲気が感じられた。
”フレッシュゴーレムの術は、アストラル界より強制的に呼び戻した死者の霊魂を、術者が支配する粘体に固着させ、それを屍に憑依させて命ずるままに動かすものです。
霊魂の持つ記憶により、生前ほどではありませんが、力や技がある程度発揮できます。また霊廟に安置されたドワーフであれば、装備の多くはミスリル製でしょう。鉄の武具で対抗することは困難です。”
“これは益々絶望的な状況ですね。何か弱点は無いのですか?”
“術者を倒すか、霊魂を固着した部分を本体から切り離すか、粘体を殺すしか、フレッシュゴーレムを止める術はありません。”
“先ほど一体倒した際は、頭を切り落としたら動かなくなりました。頭部に霊魂が固着されているか、粘体の核がありそうですね。ありがとうございます。少し希望が見えてきました。”
霊魂の固着部分が頭部だとすれば、首を刎ねるか頭部を破壊すれば倒せるはずだ。
希望の光が見えたところで、落ち着いて状況を確認する。
5体のゴーレムは、進行速度に差があるのか、幸運なことに次第にばらけながら近づいている。
これなら同時に複数体を相手にしなくて済みそうだ。
しかしながら、自分の剣のみで全てのゴーレムを倒し切ることは、到底不可能であることは明らかだった。ここは意地を張らずに仲間の力を頼るべきときだ。
「どうやら先の骸骨は護衛クラスで、こちらが真打のようだ。武術の腕前もだが、ミスリルの武具に対して俺の鉄剣は通用しない。お前の魔法が頼りだ。」
「わかったぜ。魔力の続く限りファイアボールを叩き込んでやる!」
シンシアも負けじと宣言する。
「ハリー、私もバトルソングを歌うわ。不屈の闘志が沸いて、反応速度や筋力、持久力も少しは高まると思うの。」
「それは有難いな。だが子守歌なら間に合ってる。当てにしていいんだな?」
「任せて!私の夢は、あなたのお供をして冒険の旅に出ることよ!」
そう言い放つと、シンシアは朗々と響き渡る声で歌い出した。
初めての戦闘に緊張しているのか、少し声は震えていたが、明るく力強い歌声が洞内に響くと、不思議なことにヘンリーとダニエルの恐怖や緊張は薄れ、集中力や闘志が沸いてくるのを感じた。
術者の精神エネルギーを込めたバトルソングは、聞く者の神経系の働きを整え、また新陳代謝やエネルギー交換といった循環器系の働きも助ける。精神面に安寧をもたらし、結果、聞く者の戦闘力を総合的に高めることができるのだ。
ただ、白魔術師なら誰でも行使できる訳ではない。
まず歌である限りは、音痴は論外、多くの人を魅了できる声質でなければならない。
加えてその効果からも伺えるように、白魔法の三系統、神経・精神・肉体全てに対する適正が必要であり、実効性のある術を行使できる者は非常に少ない。
シンシアの宗派においても、完璧な効果を持つバトルソングを歌える者は、全神官の内2・3パーセントに留まると言われている。
欠点としては、敵に対しても効果が及ぶ場合があり、接近戦では使用できないことであろうか。
しかし今回は相手が人間ではないため、思う存分歌うことができる。
「勇気凛々だぜ!」
ダニエルはそう叫ぶと、袋から火種を取り出すと杖の先端の窪みにはめ込み着火した。そして呪文の詠唱を始める。
ヘンリーは徐々に接近する5体の動きを油断なく見渡しながら、術の発動を待った。
ダニエルの詠唱は高く低くリズムを刻みながら続いたが、突然一歩踏み出して「ファイアボール!」と一声叫ぶと、杖の先を亡者に向けて突き出した。
小さな火種が人頭大の炎の玉となって、中央を進む骸骨戦士に向かって真っ直ぐ飛ぶ。
狙い過たず胸のあたりに命中すると、たちまち炎が上半身を包んだ。
頭部のみを保護する兜だったのが幸いし、粘体に覆われた顔面が燃え上がる。
数秒後に炎が消えると、焼け焦げた粘体から煙を上げながら骸骨戦士がゆっくりと崩れ折れた。
「凄いぞ!やったな。」
ヘンリーは思わずダニエルを抱き締めると、背中をバンバン叩いた。
しかし当のダニエルはヘンリーに揺さぶられるまま、茫然としている。
「本当に俺がやったのか?すげーな。」
まるで他人事のようにつぶやいた後、「ああ、でも疲労感が半端じゃねえ。残念ながら、あと何発も打てそうにはないな。」とヘンリーに向かって言った。
「そうか・・・ すまないが、あと1体は減らしてもらえると有難いのだが。」
ダニエルは頷くと、施術に取り掛かった。
シンシアはトランス状態に入っているのか、戦いに気を取られることも無く、バトルソングを歌い続けている。
残った亡者共は更に接近しており、魔力切れの問題がなくとも魔法の援護は次で最後だろう。
三人の運命は、ヘンリーの剣に委ねられることになるのだ。
再びダニエルの魔法が発動し、1体目と同様に顔の部分を焼かれた一体が倒れる。
「すまねえ。もう一発撃つには魔力が足りねえ。」
申し訳なさそうに言うダニエルに向かってハリーが言った。
「お疲れ様。今度は俺が頑張る番だな。後ろに下がってシンシアを守ってくれ。」
ダニーはヘンリーの目を見つめ、「気をつけろよ」と一声かけながら肩を叩くと後ろに下がり、シンシアのガードについた。
「さあ、来い!相手にとって不足なし!」
ヘンリーは叫びつつ、剣と盾を構えて洞窟の入り口に立ちふさがった。
ゴーレム達は連携することもなくバラバラで動いているため、同時に複数と戦う必要がないのは非常に幸運であると言えた。
最初に相対した敵は、長い年月の間に左腕を失っていたためか、バトルアックスを振り回す度にバランスを崩しており、数合で残った片腕もヘンリーに切り飛ばされてしまった。
体当たりしてくるところを喉元に剣を突き通し、そのまま頭を空へ跳ね上げる。
呼吸を整える間もなく、ドワーフとしては珍しく両手で剣を構えた亡者が襲い掛かってきたが、こいつはかなりの手練だった。
バトルソングの加護で、ようやく互角に戦える状況だ。
しかし腕前はともかく、剣は勝負にならなかった。ミスリルの剣と打ち合う度に、ヘンリーの鉄剣は刃こぼれし削られ、ミスリルのチェインメイルに切りつける度にはじかれ、深刻なダメージを負っていった。
また盾も最初の一撃を受けただけで、半分近く切り飛ばされてしまった。
「駄目だ!剣が持ちそうも無い!」
ヘンリーが悲痛な叫びを上げたその瞬間、彼の剣は折れてしまった。
咄嗟に剣を捨て、半壊した盾を正面に構えると空いた右手も添えて、全力で相手に体当たりをぶちかました。
仰向けに倒れた亡者がゆっくりと立ち上がろうとした刹那、後方から「ファイヤーボール」という叫び声が聞こえ、先端が燃えているダニエルの杖が突き出される。
杖から飛び出した火球は、見事ゴーレムに命中してかがり火のように燃え上がり、やがてチェインメイルの隙間からミイラ化した肉体へと燃え移った。
そして遺骸を覆った粘体に火が回ったのか、間もなく動きを止めた。
「ありがとう。助かったよ、ダニー。」
激しく肩で息をしながら、ヘンリーが礼を言う。
「シンシアのバトルソングで魔力が少し戻ったのさ。そんなことより、早くそいつの剣を拾え!次が来るぞ!」
ヘンリーは足元に落ちていた亡者の剣を拾い上げた。
業物らしきミスリルの剣は、思いのほか軽く思い通りに振り回すことができた。刀身にはルーン文字が刻まれているようだが、意味は分からなかった。
手にした瞬間、ぞくっとした悪寒のようなものが全身に走ったものの、すぐに意識を最後の敵に向けた。
最後のゴーレムは霊廟の階段を下りたところで、巨大なバトルアックスを杖代わりにして仁王立ちしていた。ミスリルのプレートアーマーで身を包み、頭には王冠を戴いている。
「真打登場って感じだな。悪いが俺の魔法はエネルギー切れだし、シンシアもそろそろ限界なんじゃないかな。」
見たこともない素晴らしい甲冑を纏った堂々とした雰囲気に当てられたのか、ダニエルが珍しく気弱なことを言う。
ヘンリーも同じような気分を味わっていたが、それを振り払うかのように剣を一振りする。
「だが、手をこまねいていても仕方が無い。黙って通してくれそうもないし、こちらからお相手を願うこととしよう。」
そう言うとヘンリーは、ドワーフ王らしい亡者に向かって歩みだした。
相手の5メートル程手前まで進んで立ち止まり、剣と盾を構えると朗々とした声で名乗りを上げた。
「我こそは、アストリアス王国の最高剣士たるベアトリックス伯、エイボン城主であり“炎の剣”ことリチャード・ベアトリックスが第二子、ヘンリー・ベアトリックスなり!浚われた令嬢の救出に赴く途上である。そなたには何らの遺恨もあらず。願わくは、我が行く手を妨げられんことを。さもなくば、我が剣を持って押し通ることを厭わぬものなり。我が願い、お聞き届けいだだけるなら、武器を収められよ。」
ヘンリーは一縷の望みを持って、相手の反応を待った。しばし重苦しい沈黙がその場を支配したが、フレッシュゴーレムと化したドワーフの王は、ヘンリーの希望には応えることなく微動だにしなかった。
「是非も無し。この上は、剣をもって押し通るのみ!」
押し殺した声で叫ぶや否や、ヘンリーは亡者の王に向かって激しく打ちかかった。
相手は何なくバトルアックスで受け流すや否や、返しざまにヘンリーの胴をなぎ払おうとした。咄嗟に飛び下がったものの、完全にはかわしきれずに鎧の胴から中の胴着まで切り裂かれてしまった。
“凄い!今までの奴らとは比較にならない腕前だ。何とか皮一枚ですんだみたいだが、ミスリルの武器相手に皮の防具などチーズみたいなもんだなあ。対して奴さんはミスリルのプレートアーマーと来た。ミスリルの剣でも、あれを打ち破るのは至難の業だろうなあ。甲冑の継ぎ目を狙うしかないが、小柄で目標が小さいから厄介だ。どうしたものか・・・”
ヘンリーがそんな思いをめぐらして攻め手を緩めた刹那、亡者の王はバトルアックスを大上段に振りかざして突進してきた。
受けきれないと判断したヘンリーは盾を捨て、剣を両手持ちにして迎撃する。そのまま両者は数十合に渡って打ち合った。
亡者の王は疲れる様子をも見せず、依然無傷だ。
片やヘンリーは、シンシアのバトルソングのおかげで疲労は幾分軽減されており、絶望的な状況にあっても闘志を失ってはいなかったものの、流石に呼吸は乱れ、浅くはあったが数箇所に傷を負っていた。
しかも頼みのシンシアも限界に近づいているのか、その歌声は乱れつつあった。
次第に追い込まれるヘンリーの姿に、ダニーは魔力が尽きてしまった自らに激しく立腹していた。
“くそっ!友が大ピンチの肝心要ってときに魔力切れとは情けない!このままじゃ三人共あのゴーレム野郎に殺されちまうぞ。俺も一緒に戦うか?いや、ハリーでさえ一杯一杯なんだ。俺なんかが加勢したところで、かえってハリーの足手まといになっちまうのが関の山だ。ああ、早く何とかしないとお終いだ!”
そのとき不意にシンシアの歌が止んだ。
ダニエルが見遣ると、彼女はなおも歌おうとしてか、かすかに口を動かしていたが、気を失ってその場にくず折れた。
ダニエルは駆け寄ると、彼女を抱き起こして耳元で名を叫んだ。
「シンシア!大丈夫か!目を開けてくれ!」
「くそーっ、俺は何て無力なんだ!ゴミ!役立たず!いや待てよ、確か・・・」
ダニエルの脳裏に一筋の希望が浮かんだ。
シンシアを静かに横たえると、あわてて自分のリュックを探り出した。
「確か親父の使いを頼まれて始めて一人で森に入ったとき、“狼の群れにでも襲われて絶体絶命になったら使え“と言われて巻物を2本もらったはずだが・・・ これだ!」
巻物はそれぞれ、ライトニング、ファイヤーボールと記されていた。
「確かミスリルは電撃を弾くはずだったよな。隙間から効果的な電撃を喰らわすのは難しそうだ。火の玉ぶつけても、エクスプロージョンみたいに爆発するわけじゃないからなあ。フルプレートじゃあ、中身に燃え移ることもないだろうし。」
「いや、行けるかも!」
名案が閃いたのか、ダニエルは慌ただしくライトニングの巻物をリュックにしまうと、替わりに小さな壺を取り出した。振り返ると今やヘンリーは防戦一方になっており、足元もふらついていて、何時致命的な一撃を受けてもおかしくない状況だった。
「ハリー!今助けにいくぞ!」
「来るな!シンシアを連れて逃げてくれ。もう長くは持ちそうにない。」ヘンリーが苦しい呼吸の合間から声を絞り出した。
いよいよ切羽詰まった状況のヘンリーの姿に、直ちに行動を起こすべきと決心したダニエルが指示を出す。
「俺に考えがある。合図したら10秒だけ、ゴーレム野郎を足止めしてくれ。」
「わかった。」
ダニエルは右手に壺、左手にファイヤーボールの巻物を握り締めると、静かに亡者の王の背面に回り込んだ。そしてヘンリーに向かって両手を振る。
合図に合わせて、ヘンリーは最後の力を振り絞って亡者の王に打ちかかっていった。
ダニエルは亡者の王の背後に忍び寄ると、壺を投げつけた。壺は狙い過たずプレートアーマーとヘルムの継ぎ目あたりに命中して砕け、中の液体が一面に飛び散った。
再び後ろに下がりながら「離れろハリー」と叫ぶや否や、ダニエルは巻物を目標に向けて突き付け(ターゲッティング)、リボンを引き抜いた。
摩擦熱で着火剤が発火すると、作成した術者が巻物に仕込んだ薬剤に込めたエネルギーを呼び水として、ファイヤーボールの呪文が発動する。
巻物作成者の能力が高いためか、ダニエルの術の倍くらいありそうな火球が飛び出す。
火球は狙い過たずに亡者の王の背中に命中し、先ほどの液体に引火して一気に燃え上がった。
「やったか?」
しかしダニエルの期待を裏切るかのように、亡者の王は飛び下がったヘンリーを追って進み始めた。
“くそっ。ミスリルのプレートアーマーに覆われているからほとんどダメージを受けてないのか?もう一つ油壺をぶつけてみようか。”
ダニエルは油壺を探しにシンシアの荷物に向かって駆け出した。ヘンリーは今や力尽き、振り下ろされるバトルアックスの刃から逃れるだけで精一杯の状況だった。
あたりに肉や毛が燃える強烈な匂いが立ち込めだした頃、ようやく亡者の王の動きに異変が現れる。
炎の熱で粘体の組織が収縮を始めたのか、動きを止めると重いヘルムを被った頭がぐらつきだした。
チャンスと見て取ったダニエルが叫んだ。
「ハリー、今だ!奴の首を吹っ飛ばせ!」
「簡単に言ってくれるが、もう立っているのもやっとなんだぞ・・・」
ヘンリーはボヤキながらもよろよろと亡者の王に近づくと、ふうっと大きく一息ついて燃える亡者の頭に回し蹴りを放った。
「やったぞ・・・」
王の頭が数メートル向こうに大きな金属音を立てて落下すると、ヘンリーは剣を投げ出して仰向けに大の字になって寝そべり、ダニーも思わずその場にへたり込んだ。