冒険の始まり
城では捜索隊を出すという結論に至ったらしく、ヘンリーが戻るのと入れ違いに、ベアトリックス伯やパーシー卿に率いられた騎士や従者達の一団が出発して行った。
約束の時間を待ちきれずに厩に現れた三人は、互いの姿を認めると大笑いした。
城の厩には、様々な用途で用いられる馬やロバが繋がれている。
図抜けて大柄で頑丈そうなのが、騎士が使用する軍馬だ。
肩高150~160センチ、体重600キロ前後はあろうかというがっしりした牡馬で、敵戦列にひるまず突入し、人馬を問わずに噛みつくという荒ぶれた気性が魅力(乗り手にとっては。世話をする度に噛みつかれる従者からは、すこぶる不評だ)とされている。優秀な軍馬は非常に高価で、一頭の価格は傭兵隊長の年収3年分にも匹敵する。
他にも持久力があり長く山野を駆けることができる狩猟用や、小柄で温和な乗馬用、馬車馬や農耕馬といった荷役用といった、様々な種類の馬が取り揃えられている。
ヘンリーのいでたちは、鉄片を縫い付けた皮鎧に鉄製の兜、そして騎士盾と片手剣にダガー。
ダニエルは丈夫な革製の上着に厚手生地のズボン、大きな魔導士の杖を持ち、魔法に使う触媒を入れた小瓶を取り付けたベルトを締め、何が入っているのかパンパンに膨らんだリュックを背負っている。
シンシアは神官用のチュニックとズボンに、聖書や聖印、聖水といった聖職者七つ道具と薬や気付けの酒の小瓶などが入ったバックを肩からたすき掛けにしていた。
三人が狩猟用の馬に鞍を置き、荷物を括り付けていると、ベアトリックス家の家老でありヘンリーの剣の師範でもある、フレドリックス・ガーランドがやってきた。
既に初老の域に達しているが、衰えを知らぬ隆々たる体躯で、何でも若い頃は国王の最高剣士に任じられていたらしい。とある合戦で矢傷を負ったところを三人で打ちかかられ、あわやというところを先代のベアトリックス伯に救われている。その恩義に報いるため、最高剣士を辞してベアトリックス家に仕官したそうだ。無骨ではあるものの二代に渡ってよく仕え、主君の信頼厚き忠臣と評されている。
「ヘンリー様、このような時にいずこへお出かけですか?」
「えっと・・・、そうだ、友と一緒にロルトの森へ狩に行くんだ。」
フレドリックスは一瞬目を細めてヘンリーを見据えたが、次の瞬間には笑顔になり、「そうですか。お気をつけて行ってらっしゃい。大猟を期待しておりますよ。」と言いながら立ち去った
「危なかったなあ・・・ 何か感づかれているようだったが。」
「でも、どうして引き止めなかったのかしら。」
「そんなことより、早く行こうぜ!」
三人は馬に軽く拍車をくれると、町外れの門を目指した。
門を出てからロルトの森まで、これから始まる冒険行について熱く語り合ったが、1時間もすると森の入り口に到着していた。
ベアトリックス伯領は、領主直轄地が全体の約4割を占めており、残りは大小30程の荘園からなる。ロルトの森は領主直轄地で最大の森であり、ベアトリックス伯の狩猟場に指定されている。
領主の狩猟場は厳重な管理下にあり、許可された者以外の狩猟や採取は禁止され、密猟者を取り締まる森番(郷士や騎士の次男以下が雇われる)が配置されている。
森は住民にとって、薪や炭といった燃料や腐葉土のような肥料、兎、鹿、猪などの獣肉や毛皮、茸や果実といった実り、蜂蜜や薬草といった希少品、などを得ることができる非常に魅力的な場所だ。
一方で、狼や熊といった猛獣が出没し、命の危険を覚悟しなければならない場所でもある。
だが、領主の狩猟場ともなれば、狩人や森番が猛獣を駆逐するため非常に安全であり、かつ領民に課した賦役(下草刈や立ち木の枝払いなど)の結果、手入れが行き届いた豊かな場所となる。
魅力溢れる森の恵みを掠め取ろうと、密猟や無許可採取を試みる者が現れることとなるが、優秀な森番が見逃すわけもない。
逮捕され、裁判を経て、本人は死罪及び一族は財産没収の上奴隷化という、無残な結果に終わるのであった。
住民の立ち入りは無制限に禁止されている訳ではなく、領主に規定の対価を払えば、薪集めや兎程度の小動物の捕獲、果実や蜂蜜の採取等が許可されるし、秋には越冬用の食糧である豚にドングリを食べさせることもできる。
ヘンリーは狩猟許可の割符を所持しており、森への出入りは可能だ。ダニエルも城詰め魔導士である父から割符を借りて、薬草採取などで幾度となく森に立ち入っていた。
「ここから先は、ダニーが一番詳しいはずだ。奴らが隠れ家にできそうな場所に心当たりはないか?」
「そうだなあ、森番小屋や炭焼き小屋はあるけど、まさかそんなところで堂々と悪事を働くはずはないだろうし・・・。あとは森を抜けてネヴィス山の麓まで行けば、山中につながる深い洞窟があるんだが、俺も少し入っただけで、どれだけ深いのか奥がどうなっているかは分からないな。」
「ちょっと待ってよ、ダニー!」
シンシアがあわてて割って入った。
「その洞窟って、まさか“呪われたドワーフの王国”ではなくって?」
「ああ、そうさ。」
呆れを通り越して、幾分の怒りを感じながらシンシアが詰め寄った。
「そうさ、じゃないわよ!希少金属に目が眩んだドワーフ達が誤って掘り起こした古の邪神が吐いた瘴気に侵されて、一夜で滅亡した呪われた王国よ?!ドワーフの宝目当ての冒険者達も、未だに漂う瘴気にやられて誰も戻らなかった、というのは誰もが知っている話だわ。」
「まあ待て。落ち着いて俺の話を聞けよ。」
右手を軽く上げて、興奮するシンシアを抑えながらダニエルは言った。
「さっきも言ったけど、俺は親父とあの洞窟に入ったことがあるのさ。俺は入口のあたりをうろついただけだが、親父は結構奥まで行ったことがあるようだぜ?伝説どおりにドワーフの遺跡があったと言っていたからな。でも瘴気はなかったとさ。」
シンシアは、あきれたというような様子でダニエルを見やっていたが、やがて頭を左右にふりながら言った。
「ほんっっっとに、無鉄砲な人ね!でも、伝説にある邪神っていうのが引っ掛かるわ。今度の事件も、本当に邪教徒の仕業なのかしら。」
二人の会話を聞いていたヘンリーが提案する。
「大体、奴らが洞窟に向かったかどうかも定かでは無いんだが・・・
よし、まずは奴らの痕跡を探りながらその洞窟に向かってみよう。まだ昼には時間があるし、夕飯までには戻れるだろう。ところで誰か明かりになる物は用意しているか?」
「私はランタンを持ってきたわ。」
ダニーは申し訳なさそうに両手を広げて見せた。
「シンシアは気が利くな。しかし一つでは心もとない。森番小屋に寄って、松明でも借り受けよう。」
森番は巡回中であったのか、不在だった。
ランタンと油や松明を何本か拝借した(勿論、代金は置いてだ)一行は、昼前には目指す洞窟に到着していた。途中何度か見つけた馬車の轍からも行き先が洞窟であったことは明白であり、三人の興奮と期待は否応もなく高まっていた。
洞窟の開口部はヘンリーが想像していたよりもかなり広く、エイボンの城門ほどもあった。
入り口近くに湧き水があったので、そこに馬を放してやりながらヘンリーは言った。
「さあ、いよいよ冒険の始まりだな。皆用意は良いか?」
「ええ、大丈夫よ。待っていてね、アリス。」
「やってやるぜ!」
いよいよ、三人の冒険が始まる。