32.もしゾンビのいる世界で他人と会った場合
連続更新3話目です。いないとは思いますがブックマークの最新話から飛んできた際は注意して下さい。
『32ページ 見知らぬ人
災害発生後、人々の行動は様々だ。
他人と助け合う者もいれば、
他人との関係を断ち、自身と仲間のみを優先する者もいる。
そして、他人から奪う者もいる。
日常が崩れ去った世界で唯一信頼を置けるのは、常にただ一人、自分自身だけだ。――――』
――――――――――――――――――――
「やぁやぁ、助かったよ」
ゾンビの弱さについて考えていると、不意に声を掛けられる。
声が聞こえた方を見れば、いつのまにか瓦礫の山から降りたのか。
長い黒髪を他靡かせ、季節外れな黒いコートを着た妙齢の女性がこちらへ小さく手を振りながら歩いて来る。
「無事でよかったです」
「おかげさまでね。最初囲まれた時はどうしようかと思ってたが、キミたちが通り掛かってくれて本当によかった」
彼女は手を差し出す。
「ほら、感謝の握手さ。手をどうぞ」
「は、はぁ」
俺は少し面食らいながらも、握手を交わす。
「私は宵櫻 灯という。キミは?」
「……朝倉 直希、です」
「直希クン――良い名だね」
宵櫻さんは俺の目をじっと見詰めて名乗った。
俺はその黒い瞳に吸い込まれそうになりながらも、なんとか返事をする。
「さて、窮地の私を救ってくれた直希クンには何かお礼をしたいんだが……生憎大した物は持っていないんだ――キミは、何かして欲しい事はあるかい?」
気が付けば、宵櫻さんの顔がすぐ近くまで迫っていた。
女性特有の柔らかな髪の匂いと、身に纏った妖艶な雰囲気に俺は一瞬呑まれそうになるが、何とか持ち直す。
「……い、いえ――大丈夫です」
「ほう、強いね。キミ」
彼女がそう言うと、フッと妖艶な雰囲気が立ち消え、頭が冴え渡る。
何だったんだ今のは……。
「おい、何やってんだ」
直後、背中を引っ張られる。
振り返れば困惑している比嘉さんと表情のないアキがいた。
アキは俺と宵櫻さんの間に立ち、彼女を睨んでいる。
「すまない。お巫山戯が過ぎたね。そういうのではないから安心したまえ」
アキの威圧をものともせず、薄っすら笑っていた。
「直希クンのお仲間はこれで全員かい? なら改めて自己紹介といこう。私は宵櫻 灯という。先程はどうも助かったよ」
俺の時と同様に、アキに向かって手を差し出した宵櫻さん。
「どうせここでお別れだろ。教えたくない」
アキはそれだけ言うと、握手せずに俺の隣に移動した。
「おや、どうやらさっそく嫌われてしまった様だ。それで、そちらの眼鏡を掛けたキミは?」
「ひ、比嘉です」
アキの影響を受けたのか、比嘉さんも少し警戒していて握手をしなかった。
「ヒガ……比嘉……フム、見た限り桂琴高校の生徒の様だが――もしかして下の名前は“千春”かい?」
「えっ? どうして――」
「なるほど。なるほど。これも運命か。何故キミたちが線路を歩いていたかも合点がいった」
「あの」
「ああ、一度思考すると周りが見えなくなるのは悪い癖だな。まぁ端的に言えば私はキミの母を知ってる」
「なっ」
「どうやらここでお別れとは行かないみたいだね。“アキ”君」
――――――――――――――――――――
「四人で線路の上を歩く――あの映画みたい。と言うには年齢に差がありすぎるだろうか。なぁ、千春クン?」
「あの、実はその映画観た事なくて」
「実に勿体ないね。あの映画は子供の頃に観た方がいいのだが――」
男女が四人 線路の上を 歩いている……。
話を聞けば――。
宵櫻さんは避難所を転々としており、市役所にも昨日まで居たらしい。そしてそこの職員である比嘉さんの母親と話す機会があった様だ。
どうやら比嘉さんの家族は全員市役所に避難していて、唯一連絡の取れない彼女の事を酷く心配していたらしい。
家族が全員無事だという事を聞いた比嘉さんは、とても安心していた。
やはりというか、市役所も地震の影響を受けており通れる道が限られているらしい。
そこで宵櫻さんが道案内をしてくれるとの事で、俺たちは宵櫻さんと共に線路の上を歩いている訳だ。
「なぁ、ナオ」
隣を歩いていたアキが小声で話しかけて来る。
「なんだ?」
「いや、どう考えても怪しいよな」
「だな。分かってる」
正直、俺は宵櫻さんを少しも信用していない。
偶然線路の近くでゾンビに囲まれ。
偶然比嘉さんの家族を知っていて。
偶然俺たちと出会い、折角だからと案内してくれる。
話が出来過ぎだ。
それに握手をした時のあの感覚。
こちらの全てを相手に握られ、頭を融かす様なあの感覚はきっと――
「言っておくけどさっきのアレは、キミたちの言う“スキル”ではないよ」
突然片耳に囁かれ、思わずビクリとしてしまう。
「いつの間に⁉︎ ナオに近づくんじゃねぇ」
宵櫻さんの存在に気付いたアキは、俺から引き剥がそうと攻撃を仕掛ける。
「うわっ、何も殴る事ないだろう! 私はキミ達ほど丈夫ではないのに……別にキミの直希クンを取ったりしないから安心したまえ」
結構本気のパンチを辛うじて回避した宵櫻さんは、転びそうになりながらも距離を取った。
「それで、スキルではないってどういう事ですか?」
先程の思考は特に口に出してはいないはずだ。
読心のスキルでもあるのだろうか?
「まぁ、私は人より観察に長けていてね。少し眼を視れば相手がどういう人間か、何を考えてるか大雑把にだけど判るんだ。
ああ、ちなみにこれもスキルじゃないよ。というか私はスキルを持っていないんだ」
「なら、あの頭が融ける様なアレは――」
「頭が融ける……面白い表現だね。まぁそれも言ってみれば房中術みたいなもんさ。ぼーちゅーじゅつ。良い先生から教わればキミたちでも使えるよ。
悪かったとは思うけど、私はあまり強くないからね。
もしキミが助けたお礼に――って襲いかかって来たら厄介だし、少し試させて貰ったのさ」
「……引っ掛かってたらどうなったんですか?」
これでも男として、少しばかり気になってしまう。
「別にどうもしないさ。適当に言い包めて私は逃げてたよ。それにキミはほとんど掛からなかった。何か強い信念があるんだろう?
多分キミなら精神に作用する様なスキルでも無効化出来るんじゃないかな?」
「あっ、長井会長の――」
比嘉さんは、ハッとした様に呟く。
そういえば、俺は長井の思考誘導(仮)の影響を受けていなかった。
一応、発動条件があるのかと仮説を立てていたが、なるほどそういう考え方も出来るか。
「フム、イマイチ信じ切れてないみたいだね。良いさ。別に私の話を信じる必要はない。
私の案内も、都合が良過ぎて罠だと思うのならここで別れてもいい。襲ってくるのは勘弁して欲しいけどね」
「……」
「『この世界に偶然はない、あるのは予め用意された幾つかの運命。
それを選ぶのは、常に自分自身でなければならない』」
「誰の言葉ですか?」
「私のさ」




