20.もし武器を持つ場合
区切るタイミングがよく分からなかったので長めです。
『20ページ 二章:移動ルートの重要性
3.雨が及ぼす影響について
災害が起き、水が少なくなってきた場合において、雨は貴重な水源となる。雨を貯めて簡単な濾過と煮沸さえ行えば、非常に安全に飲む事が出来るだろう。
また、飲む以外にも衣服を洗濯したり、汚れた身体を洗ったりと様々な用途で使う事が出来る。
だが、それは雨風の凌げる拠点がある場合の話だ。
雨に長時間身体が晒されるのは、実はとても危険な状態なのだ。
第一に体温の低下によって引き起こされる震えや寒気、感覚の麻痺、意識の混濁等様々な症状。
これらは総じて、低体温症と呼ばれる症状だ。適切な処置を行わなければ最悪の場合死に繋がってしまう。
第二に長時間水分に晒される事によって皮膚がふやけ、怪我をしやすくなる。
小さな切り傷から細菌が侵入し、上記の低体温症で免疫力が落ち、重大な感染症を発症する可能性がある。
医者に治療してもらう事が難しい災害時においては、小さな切り傷でさえ、命取りとなるのだ。
第三に雨による視界の低下と、地面が濡れている事で滑りやすくなっている事だ。
これは想像しやすいだろう。柔らかい土の上ならまだしも、アスファルトや尖った石が転がっている様な場所で転倒してしまえば打ちどころによっては致命傷となりえる。
次のページでは雨の――』
――――――――――――――――――――
アキが仲間に加わってから五日後の、午前十一時。
本来なら、既に出発して市役所まで比嘉さんを送り届け、前日には家に帰ってアキと二人でボードゲームでもしていた頃だが――
「雨、止みませんね」
俺が懸念していた通り、俺たちは大雨によって足止めを食らっていた。
昨日、俺が明日の天気で決行か決めると言った直後から降り始めた雨は、時間が経つにつれドンドンと雨足が強くなり、更には強風まで加わってまるで台風が直撃したかの様な天気となっていた。
元々少しでも雨が降ったら延期しようと決めていたので、当然中止。
駄々をこねるアキに『プレッパー・サバイバー』の雨の項目を何度も朗読させ、ようやく納得させる事に成功したのだった。
そして現在、俺たちは家の中で思い思いの行動を取っていた。
比嘉さんは主に本を読んだり、掃除洗濯を手伝ってくれたりととても家庭的な一面を見せてくれた。
俺が比嘉さんに感謝していると、そんな彼女に影響されてか、アキも何度か家事を手伝った事があった。
器用な方ではないアキは、細かな作業にすぐ飽きてやめてしまったが。
アキは自主練や俺たちとアナログゲームをやったり、ごく稀に本を読み始めたかと思うと数分後にはそれを枕に昼寝を始めたりと、とことん暇を持て余している。
最近は髪色の事を気にしている様で、よく洗面台で鏡を見る時間が増えた。
この前冗談でプリン頭と言ったら本気でキレられたので、もう二度と言わないと俺たちは心に誓った。
そして俺はというと――
「朝倉さん、紅茶を淹れたので持ってきたのですが、飲みますか?」
自室での作業中、比嘉さんがドアをノックして聞いてきた。
俺は作業を中断して彼女を部屋へ迎える。
「ありがとう比嘉さん」
紅茶を受け取って飲む。紅茶に関してはあまり詳しくないので上手く表現出来ないが、自分で淹れた時よりも遥かに美味しかった。
「いえ、何日も泊めて貰ってるのにこれくらいしかお返しが出来なくて申し訳ないです。
ところで、何を書かれてるんですか?」
比嘉さんは机の上に広げられた数冊の本と、ペンを見てそう聞いてきた。
「これは予備の『プレッパー・サバイバー』に、ここまでのメモを追加しているんだ」
「予備の、ですか?」
「ああ、いつどんな事態で本がダメになるか分からないからね。それに、これは信用出来る人間に渡すためでもある」
ラジオで流れてくる定期放送によると、自衛隊による“感染者掃討作戦”はいまだに続いてはいるものの、国にとって重要な場所を優先して行われている。
俺らが住んでいるこの区に、自衛隊が派遣されるのは、軽く見積もっても一年は見ておいた方がいいだろう。
それだけじゃない。日本全土、そして世界が元通りになるまでは数年、いや数十年単位で必要なはずだ。
今この瞬間も、生きたいと心から願う善人が、生き残る術を知らなかったばかりに死んでいっている。
別に全ての人を救えるとは思ってはいないが、それでも手の届く範囲は助けたい。
何十冊も作って一人一人渡す事が出来ない以上、効率よく知識を広めるには、信用のおける指導者に渡すのが一番だろう。
だが、長井の様な独裁者擬きは例外だ。
知識は命を守る盾でもあるが、同時に他者を効率良く害する武器になり得る。
長井や山田の様に、悪意を持った人間に渡ればどう悪用されるか分からない。
そして長井を支持し続ける様な、生き残る意思が希薄な人間に渡しても大して意味がない。
これを託す人間は慎重に選ばねばならないだろう。
「あの、ずっと黙ってますがどうかしましたか?」
おっと。比嘉さんがいるのに深く考え込んでしまった。
それよりも彼女に確認しないといけない事があった。
「ちょっと考え事をしてて、それよりもバックパックはもう背負い慣れた?」
「まだ少し重く感じますが、だいぶ慣れた感じはします」
市役所に向かうにあたり、比嘉さんには俺が昔使っていたバックパックを渡しておいた。
手提げ鞄では容量が心許ないし、なにより片手が塞がってしまう。長距離の移動では両肩に背負えるバックパックが最適解だ。
「出来るだけ内容量は調整したつもりだけど、無理に重い物を背負うのは色々と危険があるんだ。キツいならもう少し軽くするけど」
「いえ、少し重いと感じる程度なので大丈夫です」
「無理は絶対にしないようにね」
「はい。それにしても朝倉さんは良くあんな重い荷物を持てますね。何かコツがあるんですか?」
歩き方や背負った時の姿勢の様なコツはあるが、一番重要なのは経験だ。
俺はこういう事態に備えて月に数度、大量の荷物を背負って登山をしていた。
持てる荷物の量が多ければ多いほど、生存率は上がると断言できるからだ。
当然、最初から山を登っていた訳では無く、通学時のリュックを重くしたり、フードデリバリーで働く所から始めた。
特に最近流行っている、個人事業のデリバリーのバッグは結構重く、荷物を水平に保たないといけないので良い訓練になった。※1
だが、今からデリバリー業や登山をやらせるのは無理だ。
俺は比嘉さんに簡易的だが、歩き方等のコツを教えた。
彼女は飲み込みが早く、すぐに軽々とバックパックを背負える様になった。
「覚えるのが早いね、さっきまでとは大違いだ」
「朝倉さんの教え方が上手だからですよ。これならもう少し荷物が多くても行けそうです」
実践では、様々な要因で体力が削られるので、“もう少し重くても行ける”位にしておくのがちょうど良い。
「ありがとうございました。そろそろ執筆の邪魔になりそうなので戻りますね」
比嘉さんはお礼を言って部屋を出ようとする。
「待って」
それを俺は引き留める。
「見て欲しい物があるんだ」
そう言って俺は、机の裏に隠していた物を取り出す。
「俺は今回の移動に、こいつを持っていこうと思う」
「それ……本物ですか?」
比嘉さんは驚いた様子で、それを見つめる。
どうやらコレを知っているらしい。よく本を読んでいるし、どこかで出てきたのかもしれない。
「ああ、本物だよ。本物のボウガンだ」
ボウガン――弩、あるいはクロスボウと呼ばれる弓の一種。
矢をつがえ弦を引き絞り、ばねの要領で発射する武器。
通常の弓と違うのは、一度弦を引き切りさえすれば後はトリガーを引くだけで発射が可能だ。
俺が持っているのはリカーブクロスボウという、本来ならシンプルな構造のものだが、コレは折り畳みが可能となっている。
比嘉さんは初めて実物を見たのだろう。
手渡してみると、恐る恐るといった手付きで触っている。
「一体どこでこんな物を?」
「普通に通販で売ってるよ」
俺の言葉に、比嘉さんはボウガンを見た時よりも驚いた顔を見せた。
実はボウガンの所持自体は違法ではない。※2
通販サイトで18禁規制はされているものの、実際簡単に購入することが出来た。
「弦を引いてみて」
グローブを渡して試しに引かせてみるが、比嘉さんがいくら頑張ってもトリガー部分まで引くことが出来なかった。
全力で引っ張ったからか、比嘉さんは疲れた様子で、はぁ、はぁ。と、肩で息をしている。
やはりダメか。ドローウェイトは、百三十ポンドと比較的軽めの物を用意していたのだが、ある程度鍛えている俺でも少し重いので、比嘉さんの力では引けないのは当然だろう。
「あの、どうして急にこんなものを持っていくことにしたんですか?」
突然俺がボウガンを取り出したことに疑問を持っている様だ。
それは勿論ゾンビを倒すため――ではない。
確かに遠距離から攻撃できるボウガンは魅力的だ。だが、実際に他の武器よりも優秀かと言えばそうではない。
何度も言っているが、まともな武器があって各個撃破さえ出来れば、ゾンビはそこまで手強い相手ではない。
武器が無いとしても、やつらは屈んだり回り込むという知性すらないので、囲まれさえしなければ簡単に逃げ切れる。
あるいはスキル持ちなら、正面からでも倒せるだろう。
ゲームや漫画の知識で無音武器と思われがちだが、それは銃火器と比較しての話であって、実際は弓矢でも発射音は出てしまう。
ボウガンでも静かな場所で撃てば、少し離れた場所からでも発射位置が分かるくらいには大きな音が出る。
それに何より嵩張るし、重い。持ち歩くには邪魔だ。
では何故ボウガンを持っていく必要があるのか。
そう、それは。
「人に向けるためだ」
「人に⁉︎ それは――」
やはり人に対しては拒絶反応が出るか。当然だろう。
「勿論誰に対しても撃つ訳じゃない。俺たちに襲ってくる敵に対してだけ向ける」
「でも……人には……」
「もうこの生活が始まって五十日近くが経つ。そろそろどこの避難所も限界を迎えているはずだ。
飢えた人間は最初に、身近にある食糧を奪い合う」
アキがいた駅では貯蓄が少なかったために、
たった一週間で食糧の奪い合いが始まった。
「次に目を向けるのは避難所の外だ。最初はゾンビが恐ろしくて時間は掛かるかもしれないけど、徐々に習性を理解し、食糧を探しに行ける様になる」
住宅街の住民の様に、お互い協力しあって生活できるならそれに越した事はない。だが現実はそうは行かない。
「最初のうちはそれで何とかなる。だけど同じ事を考える人は山ほどいるから、じきに食糧は尽きる。そうしたら何が起きる?
また、奪い合いだ」
それも今度は仲間同士ではなく、外の人間からだ。
「いいか比嘉さん、よく聞いてくれ」
ボウガンから、俺から目を背ける比嘉さんの肩を掴み、ハッキリと伝える。
「俺はもう、何も奪われたくない。例え人を殺す事になったとしてもだ」
「それでも……それでも人を殺すのはいけない事だと思います」
「もちろんそうだ。あくまでコレは抑止力として使う」
人は自分が傷付くかもしれないと思うと、攻撃を躊躇ってしまう。
ボウガンという貴重な遠距離武器は、抑止力としてはナイフよりも優秀だ。
「だけど、コレを見てもなお襲ってくる奴がいるかもしれない。その時は、比嘉さんにはこれを使って欲しいんだ」
そういって俺は机の引き出しから取り出した物を差し出す。
「じゅ――銃⁉︎」
「こっちは本物じゃなくて、ただのエアガンだよ」
18禁の電動フルオートハンドガン。
それも純正の物ではなく百連マガジンが装填され、威力も違法スレスレ※3 にカスタムされた物だ。
「もし戦いになった時は、これで相手の顔を狙うんだ」
「だから私は――」
「だからこそ、なんだ。ボウガンの威力だと急所を外しても殺しかねない。
だからエアガンを撃って怯ませて殺さずに制圧する」
「……」
「嫌なら断っても良い。比嘉さんの事は俺とアキで必ず守る」
比嘉さんはしばし黙考した後、差し出したエアガンを受け取った。
「分かり……ました。ですが、約束して下さい。絶対にそれで人を殺さないで下さい」
彼女はボウガンを指差して言う。
「分かったよ。これで人は殺さない」
エアガンの操作方法を教えた後、俺は一人イスに座り込んでため息を吐く。
生存確率を上げるためとはいえ、仲間に対して卑怯な事をしてしまった。
比嘉さんは、自分は何もしないで相手に頼りきりになる事を嫌う。
それを利用してエアガンを使わせる事を同意させたが、本当にコレで良かったのだろうか。
最初は、当日までボウガンを持っていく事すら言うつもりは無かったのだったが、俺は何故言ってしまったんだ?
俺は一人、考え続けた。
※1.実体験に基づく。
※2.令和3年6月16日に法律の改正により、原則所持が違法になっています。(厳密には少し違いますが、URL先を参照の事)
https://www.npa.go.jp/bureau/safetylife/hoan/crossbow/index.html
なお、この物語は4月中旬頃から始まっているので法改正はされておりません。
※3.銃刀法で0.98Jを超えた威力のエアガンは違法
https://www.tokyo-marui.co.jp/guide/law/
当たり前の事ですが、現実でボウガン、エアガンを人(顔)に向けないで下さい。




