17.もしゾンビのいる世界で住宅街を歩く場合
それから三十分後。
二人は俺の住んでいるマンションを目指して歩を進めていた。
俺の家は治安の良い閑静な住宅街にあり、駅からも少し離れているためか、ほとんどゾンビを見かけることが無かった。
とはいえ一体もいないという訳ではなく、既に倒された死体が道路の端の方に退けられていた。
ちなみにだが、不思議な事にどうやらゾンビとなった人の身体は腐敗が止まるらしい。
殺されて数日経っているであろう死体からは全くの腐臭はせず、虫や小動物が集まる事も無かった。
いずれはその原理について知りたいが、それよりも現在に集中しなければならない。
「あの、さっきから視線を感じませんか?」
比嘉さんはモジモジとした様子で俺に聞いてくる。
注目される事に慣れていないらしい。
視線については俺も感じていたし、ついさっき二階の窓から、カーテンをわずかに開いてこちらを見ている女と目が合った。
即座に逸らされた挙句、カーテンを勢いよく閉められたけど。
「そこまで気にしない方がいい。彼らはこちらから手を出さない限り何もしてこないはずだ」
「私たちはわずかですが食糧を持ってますよ、もしかしたら奪いにくるかもしれません。
どうしてそう言えるんですか?」
比嘉さんは俺の言葉だけでは信用しきれないらしく、不安そうに聞いて来た。
彼女にしては珍しく非人道的な発想だ。
もしかしたら学校追放の件で人間不信になりかけているのかもしれない。
「理由はいくつかあるけど、そもそも襲われるならとっくの昔に襲われてるよ。
それに背後から忍び寄ってくる様子もないから、すぐには来ないさ」
第二に。と俺は続ける。
「道路が綺麗すぎる。ゾンビは端に寄せられているし、腐敗した死体が無いから人は死んでない」
「それは誰かが殺した後に、庭かどこかに埋めたのかもしれませんよ?」
「その通り。実際は何人か死んでるはずだ。だけど殺人犯がわざわざ墓なんて建てる?」
お墓? と比嘉さんが聞き返して来たので俺は立ち止まって後ろにある家の庭を指差す。
彼女は眼鏡をつまみ、目を凝らして庭を見つめる。
「ほら、そこに小さい墓みたいなのがあるでしょ。簡易的だけどキチンと埋葬したんだろうな。似た物が何軒かの家にあった」
「確かに簡単なお墓がありますね。ですが、人を殺した罪悪感から作ったのかもしれませんよ」
意外と疑り深いな。
俺は墓を指している指を、路上駐車している車の方へ動かす。
「他にも、車の下とか、登れそうな電柱に矢印が描いてるでしょ。アレは恐らくゾンビから隠れるために案内してるものだ」
ヤツらには屈んだり、登ったりするほどの知性がない。試しに車の下に潜り込んでみれば『五分待てば諦める』と、影で見づらいものの地面に描かれていた。
これらは明らかに他者を助ける為に用意された物だ。
きっと家に残っている連中は、避難所を目指す事なくご近所同士で連携を取りつつ息を潜めて救助を待っているのだろう。
「ですが……」
「心配しないでも大丈夫。他者を思いやれる余裕があるなら、人はそう簡単に壊れられない」
最初から、容赦無く人型のゾンビを殺せた山田の様な一部の例外を除けば、人は第三者の視線を感じていると心理的にブレーキが掛かってしまう。※1
“通行人を襲えば、それを見ている周りの人が止めに入るかも知れない”
そう考え続ける限り、近隣住民が抑止力となって相当切羽詰まった状態でも無ければ他者を襲う事なんて出来ないだろう。
とは言え、高校生二人が危険な外を歩いているのを見ても誰も行動を起こさない辺り、実際に襲われても自分らに被害が出ない限りは、直接の助けは期待出来ないだろうが。
「だから、勝手に家に侵入したりしなければ誰も手出しして来ないはずだ」
「なるほど、では不法侵入だと思われない様にしなければいけませんね」
そう言った比嘉さんは、俺の隣を歩くのを止めて、道路のど真ん中を歩き始めた。
僅かでも中心から外れない様に下を向いて、一歩一歩慎重に。
いや、そこまで気にしなくても……。
俺は訂正しようとしたが、ビクビクと歩く姿が面白く、しばらくの間そのままにした。
※1.監視場面における身体性の有無による行動抑止効果
https://hai-conference.net/proceedings/HAI2017/pdf/P-47.pdf
被害者の視線に対する攻撃者の認知が攻撃行動に与え る効果
https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/8474/jjisp06_007.pdf




