1.もし日常生活でイジメを目撃した場合
まだゾンビが出てこない……
四月
例年よりも少し肌寒い今年も、様々な人間が入学を祝い、卒業を悲しむ、出会いと別れの季節。
俺――朝倉 直希も、この繰り返される日常の中、私立全安高校での二度目の春を迎え、退屈な通常授業が開始された頃――
午後三時
「それでは花田くん、号令を」
「起立、礼、着席」
帰りのホームルームの終わりを告げるチャイムが校内に鳴り響くと同時に、クラス内の空気がドッと緩くなる。
終礼後の生徒たちの行動は様々だ。
担任教師よりも早く教室を飛び出す者もいれば、グループの中心人物の机に集まり放課後の予定を議論する者。早く暖房の効いた職員室に戻りたい担任を引き留め、長々と世間話をし始める者。部活動の準備をする者。
そんな中、机に向かい黙々と文庫本サイズのノートにメモを取っている男子生徒が一人。
今日の授業は既に予習済み。
そもそも四月の授業なんて、教科書の触り程度しかやらない上、教師が成績が低い者でも分かるよう、進行速度が遅いので非常に退屈だ。
しかし授業中に堂々と居眠りをする気にもなれないので、ふと思いついた事をメモに取っていたのだが……
……一通りメモに書き終えたので両手を上に伸ばして筋肉をほぐす。
辺りを見回すと教室内には既に誰もおらず、茜色の光が満ちていた。
黒板の上にある時計は五時二七分を指している。
やってしまった。メモを取るのに夢中になるあまり、下校時刻近くまでずっと書き続けてしまったようだ。
……やってしまったものは仕方がないので筆記用具などをリュックに仕舞い教室を出る。
しかし、何故誰も声を掛けてくれなかったのだろうか。
俺はあまり他人とコミュニケーションを取るのが得意ではないが、それでもクラス内に友達と呼べる存在は何人かいる。クラスメイト全員からの評価もそこまで悪くないだろう。
そんな事を考えつつも廊下を歩いていると、女子トイレの方から何やら男女の声が聞こえてきた。
「ふざ…………おまえ……せい……没収……」
「ちょう……のる……」
「聞いて……のか?」
水入りバケツをぶち撒けた様な音が響くと同時に小さく女子の悲鳴の様な声も聞こえてしまう。
コッソリと覗いてみると、三人の男女がびしょ濡れの女子を端に追い込んだ上、囲んで怒鳴りつけていた。
状況から判断するにイジメだろう。
俺は考える。
助けるべきだろうか?
トイレ内には被害者を除いて男一人女二人。
この学校は四階建てで各学年が階で分けられており、ここは三階。
つまり二年の階層だ。相手は同級生ということになる。
ここで助けに行っても、男が一人とは言え、囲まれて攻撃されるかもしれない。
それに恐らくは根本的な解決には至らないだろうし、間違いなく顔を覚えられる。
せっかくここまで当たり障りなく学校生活を送ってきたのだ。残り二年を嫌な思いをして過ごしたくはない。
彼女を助けたところでこちらには全くメリットがない。
なのでイジメられている彼女には悪いが、ここは見なかった事にして家へ帰ろう。
俺は視線を外し再び廊下を――――進むことなく女子トイレに入っていった。
――――――――――――――――――――
「お前ら何やってんの?」
突然トイレの外から声を掛けられ驚く三人。
当然、私も驚きました。
「ア? てめぇ誰だよ」
私の事を無理矢理トイレに連れ込んだ山田は、トイレの外にいる男子に向かって声を荒げます。
「いや、質問に答えろよ、何やってたんだ?」
「てめぇこそ質問に答えろや!」
「そうよ! タッ君の質問に答えなさいよ! てゆーかここ女子トイレだし勝手に入ってくんなし!」
「キメ〜んだよバカ!」
山田の言葉を皮切りに、詰め寄られ浴びせられる罵倒。
もし私なら、あんな大きな声で怒鳴られたら怖くて逃げ出してしまうでしょう。
しかし彼は少しも動じず、ため息を吐き、面倒くさそうに返答した。
「俺は二年一組の朝倉直希だけど」
「そんな事聞いてねぇよ、何のつもりでここに来たかって聞いてんだよ」
「いや、名前しか聞いてないよな。
それよりお前らその娘イジメてるだろ」
「てめぇには関係ねぇだろ?ヒーロー気取ってんのかアァ!」
山田は彼――朝倉さんの襟を掴みあげ、拳を振り上げた。
このままでは彼が殴られてしまう。
止めないと! でも怖い……。止めようとすれば私が先に殴られてしまうかも……
それでも、私が全部悪いのに、そのせいで無関係の人が傷ついてしまうのは絶対にダメだ!
私は勇気を振り絞って声をあげようと――
ジリリリリリリリリリリ!!
瞬間、校内全体が警報音で包まれた。
ここにいる全員が一瞬ポカンとしていたが、この騒音の原因はすぐに分かりました。
首を締められている朝倉さんの左手が、壁に取り付けられている非常ベルのボタンを強く押しているからです。
そして、彼はさも平然とした態度で山田たちを見つめていました。
「早く逃げた方がいいぞ。女子生徒を複数人でイジメていた挙句、イタズラで非常ベルを鳴らすなんて見つかったらタダじゃすまない」
「ヤバいよタッ君! 逃げよう!」
「チッ、おい朝倉! てめぇ覚えてろよ」
山田たちは猛スピードでトイレから飛び出していった。
私が一連の出来事で放心して床に座り込んでいると、朝倉さんが近づいて来て自分のリュックからタオルを取り出して手渡してくれました。
「えと、あの、その…………」
パニックで何も言えずにいると彼は少し困った様な表情をしてこう言った。
「大丈夫か? えーっと確か……比嘉さん」
これが私、比嘉 千春が初めて朝倉さんと言葉を交わした瞬間でした。
※非常ベルは非常時以外には決して鳴らさないで下さい。
イジメを目撃した場合は、まずは匿名で教師に相談。
改善されなければイジメの証拠を用意して校長、教育委員会、警察の順に匿名で相談して下さい。
自分自身が被害者の場合は上記の順に連絡した後、身の安全が確保されるまで休学するのをオススメします。