君の名は。
喫茶『カサブランカ』―――――
柱から机、イス、食器の柄に至るまでウォールナット調で統一された店内。窓から差し込む陽の光。
アンティークなタイプライター、柱時計、古びた地球儀、蓄音機。良く分からない英語の分厚い本。
レジ裏で老眼鏡をかけ英字新聞を読んでいる小柄な男性は、この店のマスターだ。伸びた白髪を、大雑把に撫でつけている。
カランカラン・・
古びたドアベルが乾いた音を立て、一組の男女が入ってくる。
「いらっしゃい」
「こんにちは。マスター、今日もアイスコーヒーを二つお願いします」
「アイスコーヒーね」
高校生くらいの少年と、彼より少し年上の社会人と思しき女性。
少年は着崩したオーバーサイズの制服にハイカットのスニーカー。"デビュー"したてなのだろう、顔にあどけなさを残している。
女性の方はうなじの空いたリネンの白いワンピースに、ヒールの高い茶色のサンダル。艶やかな黒髪を後ろで束ねている。
落ち着いた所作表情は、その整った顔つきよりもう少しだけ大人びた雰囲気を放っていた。
二人はいつも決まって、奥の角の席に座る。
そして決まってすぐそばの小さな映画館でリバイバル上映される、昔の映画について話すのだ――――
「いやぁ~面白かったなぁ~」
「そうかな、所詮は子供向けだよ」
「あら、君だって子供じゃない」
「17歳は子供じゃない」
「そうかな」
「そうだよ」
「まぁ………それを言い始めたら、私も別にオトナじゃないかも。 私、オトナに見える?」
そう言って、彼女は少し笑って机に組んだ腕を乗せ、少年との距離を詰めてみせる。
少年は少しのけ反り、椅子の背もたれに寄りかかる。気恥ずかしさを隠す時の、彼の癖だった。
「さぁ? まぁ大人なんじゃない?」
「ねぇ、『30歳成人説』って知ってる?」
「?……知らない」
「村上春樹の言葉よ。精神的に成人として確立されるのは、30歳になってから。だからそれまでは、とにかく色々な事をやりなさいって考え方」
「えぇ!? 30なんてオッサンだぜ!」
「かもね。でも、30歳になったら違うかも。もしかしたら40歳になっても、世間の40歳はまだ"オトナ"を探しているのかも」
「そうかなァ」
「お待たせ」
そこに、マスターが右手にホットコーヒーのポットを持ってやってくる。左手に持った盆の上には、砂糖と氷が入ったカップが二つ。
興味深い事に、この店のアイスコーヒーは必ず砂糖が入ってくる。少年は初めの頃、子ども扱いされているのではと勘繰ったものだったが、これがこの店の流儀なのだそうだ。
「なぁマスター、マスターは大人って何だと思います?」
彼女の問いかけに、マスターは笑って答える。
「『大人って何だろう?』って、考えるのをやめる事かな」
マスターがカップを二人の前に置いてコーヒーを注ぐと、氷がパキパキと子気味良い音を立て、亀裂をブラウンに染めてゆく。
「ごゆっくり」
去ってゆくマスターを尻目に、女は指先をヒタヒタ合わせて音の無い拍手を送る。
「カッコイイ~」
「そうかァ? 言葉遊びだよ、あんなん」
「で………どういう風に、あの映画は子供向けだった?」
「だって、ご都合主義じゃん。あれだけ入れ替わる回数が多けりゃ普通気付くでしょ、三年ズレてる事くらい。周りの人間も入れ替わってる事にも気付かない。三葉が入れ替わる能力に目覚める根拠もない」
「確かにね」
「要はテンプレの詰め合わせなんだよ。話せばまだまだ出るけどさァ。まぁ映画やアニメをあまり見ない、薄っぺらぁいヤツ等に受けたのさ」
「薄っぺらぁい人が、おおよそ2000万人も?」
「……何度も見に行ったヤツがいるんだろ?」
「薄っぺらい話を?」
「……そうだよ! 物語としての重みが無い、所詮はエンタメ作品だ!」
「私ね、あの話がすごいのは"ものすっごく"エンタメ作品だからだと思うの」
「………」
「SF、恋愛、萌え、青春、ワクワクドキドキに、叙述トリック、美しい風景描写!」
そう言って、彼女は机の端に立てかけられたフードのメニューを手に取る。
「ジャンルの違う美味しいものを全部詰め込んだら……イチゴミルクタマゴサンドナポリタンとか?」
「おえ……」
「食べたい?」
「全然」
「でもあの映画は味の違う色んなジャンルを綺麗にまとめて、あんバターのクロワッサン・ドーナツを作った。それも、丁度私達のお腹を満たしてくれる量で」
「エンタメ………かぁ」
「あの映画に意地でもモノ申したい人達は、芸術的映画でも品評する様な見方をしてくる。でも、あの映画はエンタメ。友達や家族、恋人と見に行って、『あぁ~面白かった!』と笑って、美味しいご飯を食べて帰る。そういう、楽しく、素晴らしい映画だと思うな」
「うん、面白かったよ。面白かったんだけどさァ……」
「その感情はねぇ……」
女は少し悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「"恥じらい"ね。エンタメ作品を下に見ながらも、しっかり楽しんでしまった自分への」
「そ…そんなんじゃないやい!」
―――――エピローグ―――――
「さっきから褒めてばっかりだけどさァ、じゃあ何もないの? ダメ出しとか」
「あるよ。一か所だけ」
「!」
「巫女の口噛み酒のパッケージのシーン。ダメでしょ~あんな露骨に監督の性癖をキャラに代弁させちゃ」
「あぁ……」
「監督は他にもいろんな性癖があるね! 『君の名は。』でも分かるけど、『言の葉の庭』なんて特に……」
「何か、楽しそうだね……」