レオン 完全版
喫茶『カサブランカ』―――――
柱から机、イス、食器の柄に至るまでウォールナット調で統一された店内。窓から差し込む陽の光。
アンティークなタイプライター、柱時計、古びた地球儀、蓄音機。良く分からない英語の分厚い本。
レジ裏で老眼鏡をかけ英字新聞を読んでいる小柄な男性は、この店のマスターだ。伸びた白髪を、大雑把に撫でつけている。
カランカラン・・
古びたドアベルが乾いた音を立て、一組の男女が入ってきた。
「いらっしゃい」
「こんにちは。マスター、アイスコーヒーを二つ」
「アイスコーヒーね」
高校生くらいの少年と、彼より少し年上の社会人と思しき女性。
少年は着崩したオーバーサイズの制服にパーカー、ハイカットのスニーカー。"デビュー"したてなのだろう、顔にあどけなさを残している。
女性の方はうなじの空いたベージュのシャツワンピースに、少し茶色い髪を後ろで束ねている。
落ち着いた所作表情は、その整った顔つきよりもう少しだけ大人びた雰囲気を放っていた。
二人はいつも決まって、奥の角の席に座る。
そして決まってすぐそばの小さな映画館でリバイバル上映される、昔の映画について話すのだ――――
「いやぁ……なんていうかさ。俺も結構映画見てる方だし?『レオン』だって題名は勿論知ってたよ。さぞかし名作だろうと思って、見た訳だけどさァ」
「うん」
「蓋を開けたら………あれ、単なるロリコンバンザイ映画だよ」
「うんうん」
「12.3歳の女の子がオッサンを好きになるなんて、まずあり得ないし……キャラクターにもリアリティがないね」
そう言って、少年はアメリカ人の様なジェスチャーで"やれやれ"と両手をあげてみせる。
「うん…………例えば、どんな所?」
「主人公のオッサン。殺し屋のくせにミルクが大好きだったり、観葉植物を大事に育ててたりとかさァ。ヒロインは12歳なのに妙に大人っぽいし、敵役の警官はシャブ漬けでイカれてるのに、そのくせクラシック大好きだったりとかさ」
「確かにねぇ。敵役、警察なのにシャブ漬けだったね」
「何ていうかさ、全部マンガのキャラクターみたいで、リアリティーが無いんだよ。安っぽいんだよなァ。厨二っぽいっていうか」
少年が熱っぽく語る様を、女は頬杖をつきながら聞いている。庭で遊ぶ子供を愛でるような、優しそうな笑みを浮かべて。
「じゃあさ。少しは話飛ぶけど………キミ、ミュージカル映画で好きなのはある?」
「勿論。オレだって映画は結構見てるんだぜ?」
そう言って、少年は腕を組んで考え込む。今まで見た映画の中で"背伸びできそうな"映画を選んでいるのだろう。
「………雨に唄えば、かな」
少年は背後に『ドヤ』とフキダシでも浮かびそうな、したり顔をしている。
「いいね! あの映画、私も大好き」
「殺し屋の主人公も劇中で見てたよね」
「そう。口を開けて夢中で観るジャンレノの子供みたいな表情、カワイイよね」
「お待たせ」
そこに、マスターが右手にホットコーヒーのポットを持ってやってくる。左手に持った盆の上には、砂糖と氷が入った透明なカップが二つ。
興味深い事に、この店のアイスコーヒーは必ず砂糖が入ってくる。少年は初めの頃、子ども扱いされているのではと勘繰ったものだったが、これがこの店の流儀なのだそうだ。
マスターがカップを二人の前に置いてコーヒーを注ぐと、氷がパキパキと子気味良い音を立て、亀裂をブラウンに染めてゆく。
「ありがとうございます」
「ごゆっくり」
女はアイスコーヒーの入った透明なカップに少し口をつけると、続ける。
「でもさ、ミュージカル映画って変だと思わない?」
「?」
「だって、それまで普通に喋ってた登場人物が、急に歌って踊りだすんだよ?」
「いや……そりゃ、ミュージカル映画ってそういうジャンルだし……」
「そう。"そういうジャンル"。レオンという映画の演出がマンガみたいなのは、私はそう言うジャンルだと思って見るべきだと思うの」
「……?」
「分かりやすいキャラクター出る映画は、分かりやすく面白い。名作映画がどれもアカデミー賞好みの、重厚な人間ドラマを描いてるって訳じゃないよ」
「そりゃ、そうだけど」
「映画を見ていて没入感を得られない時、私はまず『この映画はこういうジャンルなんだ』って、一回自分の中で納得することにしてるわ。そうすると、その映画の良い所が見えてくる」
「………」
「だって、つまらいじゃない? "粗"を探しながら見る映画なんて」
そう言って、彼女は屈託のない笑みを浮かべる。
少年は、彼女のこの笑顔が好きであり、苦手でもあった。"粗"を指摘する事で映画に精通していると彼女に思われたい、オトナだと思われたい、自分の心の奥を見られている様な気がするからだ。
「あとマンガみたいって言ったけど、私は実は逆だと思うな。90年代後半から00年代に生まれたガンアクション系のマンガは、多くがこの映画の影響を受けていると思う。極端な例えだけど、『マンガがレオンっぽい』のかもしれなくない?」
「……暴論だよ。レオンだって、きっと何かに影響を受けてる」
「ふふ……それは、きっとそうね」
そう言って、彼女は笑いかける。どぎまぎした少年は反射的に目を反らして、アイスコーヒーを喉に流し込む。少年は、やっぱり彼女の笑顔が好きなのだ。
「最近の映画、マンガ、ゲームってさ、"不適切な表現"がどんどん減っててつまらない。
カメラのアングル弄れるゲームでも、もうカワイイ女の子のパンチラ見れないって知ってた?」
「知らないよ……」
「このままじゃ、いつか映画で人が死ななくなるよ。だからこそ、私はセンセーショナルこの映画が大好き」
「………」
「ロリコンの殺し屋がファザコンの美少女と純愛を貫いて、シャブ漬けの刑事をもろとも爆弾でぶっ飛ばす映画。こんなの、今の時代じゃ絶対作れない! 素晴らしいじゃない!!」
「時々さ、男子高校生みたいうな発言するよね……」
彼女は「そう?」と片眉を上げて見せ、コーヒーを飲み終える。
「さてと……そろそろ行こうか」
「うん」
「そう言えばさ。ナタリーポートマン、劇中ずっとチャーム付きのチョーカーしてたよね」
「あぁ……首輪みたいなやつね。確かに印象的な小道具だったな」
そう言って、少年はコーヒーの最後の一口をふくむ。その様子を見届けた女は、テーブルの対面から少し少年に詰め寄ると、そっと囁く
「首輪をしてる女の子ってさ、、、、"M"らしいよ」
「ぶっ!!」
「あはは!!ウブだなァ」
「ちょっ……吐き出しちゃったじゃんか! 服についたらどーすんだよ!」
「その時は、新しいパーカー買ってあげるよ。一緒に買い物行こう」
そう言って悪戯っぽく笑う彼女はというと
「・・・・・」
首に黒い光沢のある、サテンのリボンを巻いているのである。
――――じゃ、リボンはどうなんだよ?――――
という質問を少年は何百と頭の中で反芻したが、結局彼はその質問を彼女に投げる事はできなかった。