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台本の挿絵

作者: 紫陽花

直感(?)だけで書きました。

問題あればご連絡ください。

 ここのところ、よく眠れていなかった。そのせいで少し、いや、だいぶうとうとしてしまったのだ。

 その不安定な微睡みも、ばさり、という音で途絶える。

 はっと覚醒した視界に目一杯写り込んだのは、己と同じように目を見開いているだろう、少し幼げな相貌であった。

 その顔はぱちくりと、やはり幼い動作で瞬くと、やがて伏せられた。

 意図せずその丸い頭を、目覚めたはずの視線で追い、別のもので遮られた。

 見慣れた紙質、よれてしまった感触を、自分はよく知っている。安物のインクで刷られた文字の匂いも、まだ少し、残っているらしい。

 しかしそれも、充満したコーヒーの匂いで搔き消える。

 部屋にいても、なんとしようもなく、しようもないということもなく、ただただ鬱々としていたため、それを持ってぶらぶらし、何も考えず転がり込んだ茶店がここだ。

 どうせ眠れないならと、頼んだコーヒーはすっかり冷めてしまっていることだろう。意図的にではない冷たさを思い出して、眼前のインクに目の焦点を合わせる。

 中身の文字よりも格別に大きく印字された書体。その下に自分の名前、これを持っているのは自分だけではない、記入は必須、もちろん実名。その横には、見開いた折り目の筋。

「ねえ?」

 思考は短かったが、差し出されたそれを受け取るまでの時間とするには、かかりすぎた。

 声がかかる。

 瞬く所作は、やはりあどけない。

 少し上擦った声は、気を利かせて声量を落としたことによるものだろうか。

 かけられた声と同時にそれが少し揺れ、遮られた視界に、再びそのかんばせが現れる。

 幼げに見えるのは動作のせいかもしれない、よくよく見ると、顔立ちはそこまで幼くないし、表情には落ち着きがある。

 若干ぼうっとしながら、それを受け取る。

「すみません。」

空っぽの頭から立てた板を流れる水のように発するのは、日本人として慣れた謝礼の言葉。なんとも味気ない。

 瞬く相手に対して、こちらは固まったように、再び合間見えたその姿をただただ呆然と見とめるばかり。

 なんだか眠れそうだ。と、相手には全くどうでもいいことを思う。

 よほど間抜けな顔を晒していたのか、二度目の声がかけられる。「ねえ?」肌を擽ってはなんてことないように過ぎ去って行くそよ風に似ている。耳に心地よい。

 が、かけられた単語の意味から二度目の覚醒を自覚したような錯覚。

 きちんと本題をみる。

 うたた寝していた茶店のテーブルから落ちたそれは、そうなる前は開いて置いていたものだから、着地を果たす際にはページが折れ曲がったかもしれない。そういえば拾い上げる動作の折、紙を撫で付ける仕草をしていた。優しくゆっくりと、けれど無駄のない自然な動き。

 まるで一連の流れは落ちる前から定められていたことのような。

 拾わせといて図々しい感情を抱いたものだ。

「すみません、」

 口をついて出るのは先となんら違わぬ言葉。まったく情けない。

 それを恥じるように視線を漸く逸らし、拾われ、撫でられ、渡されたそれに目をやる。

 ため息。

 関係者以外から手渡されるのは、なんとも不思議な気持ちだ。いつも初めに受け取る緊張感とはまた違う。なんだかむず痒い気持ち。でもそれは、ため息をついた割には、照れくさいような、誇らしいような。

「役者さん?」

 つまりそれは台本であった。そうとわかったからこそ、その人はこちらのことをそう呼んだ。

 いざ突きつけられると、むず痒さは少しの痛みに変わった。誇らしさなんてとんでもない、大げさに言えば絶望だ。いや、大げさすぎた。ただのプレッシャーだ。好奇心を抱かれるのは、なんとも。

 けれど気になって、相手の顔を見てしまう。

 そこにあったのは、好奇心ではなく、気遣うような瞳であった。

 絶望は霧散した。

 立ち、振る舞い、他の者と演技の掛け合いをする。それが中々楽しくて、本腰を入れたいというつもりはなく、楽しみを楽しみたい気持ちで、だらだら続けている。

 ただ、相方ともいえる長年の共演者が、先日プロになったことがただ、ただなんとなく。

「……読んでみますか?」

 気付いたらそう言っていた。

 渡された台本を、再びその手に。

 その手は白く、柔く、小さかった。

 「いいの?」その人は薄く笑って、台本を受け取った。その流れで空席だった向かいの椅子を埋め、中身の少なそうなトートを膝に置いた。

 二人席をひとりで使用していたが、思わぬ相席と相成った。

 その人は今度こそ好奇心を滲ませた顔つきで表紙をめくる。ページをめくる。厚みのある表紙をめくる音が、薄い藁半紙をめくる軽い音に変わる。

 その人が頼んだエスプレッソが運ばれた。チョイスが渋い。

 ついでとばかりにに、冷めたコーヒーを急いで流し込み、おかわりを頼んだ。

 茶店での休息を、まだだらだらと続ける用意。

 コーヒーもう一杯分の出費など、今この時間とは天秤にかけられるものではないと、妙に素早く判断した。

 取り敢えずざっと流し読みしたらしいその人は、丁寧な所作で台本を机上に置くと、湯気の立つエスプレッソを口に運んだ。

 自分はブラックが限界な苦味を、その人はこともなげに嚥下する。渋さがかっこいいと思った。

「いつ公演する?場所は?観に行きたい。」

 落ち着いた動作でカップをソーサーに着地させると、その人は好奇心を穏やかにさせ、そう言った。

 口の中が苦い。今は先程飲み干した冷めたコーヒーのせいにしておく。

「……観たいのはホンバン?」

 苦味の耐えかねた口が発したのは、そんな当たり前の問い。意味深。

「他に何か観せてくれる?」

「……」

 自分が言っていることが、(何かを期待した)要領を得ないおかしなことだと自覚しているせいか、それに付き合う相手が、もっとおかしな存在に思えた。

 だからこそ、どんどんおかしな言葉が出てくる。言い訳。

「……れんしゅう、とか……」

 つい上目遣いに顔を伺う。

 これを期待といわずしてなんという。

 その人はこちらの心情などもちろんつゆ知らず、エスプレッソの二口目に口をつけたところだった。

 白いカップに薄紅色の小さくて窄まった吻がつく様を、引導を渡されるように大人しく見つめる。

 カップがそこから離れていく。

「見せてくれるんだ?」

 そう言った好奇心の瞳は、演技の練習より、こちら個人に向けられたような気がする。

 そこで初めて、目が合ったような感覚だ。

 こちらは最初から、この人をこの人個人として見ていたというのに、ずるくないか。

 なんだかとても悔しさを感じて、拗ねるように一度目を逸らした。

 それに気を悪くした風でもなく、その人は、ふふ、と笑った。この流れで笑うというのは大人のようだったが、笑い方は幼くて密やかだった、子どもが楽しそうに内緒話をするように。

 なんだか気恥ずかしくなって、台本を読み込むふりをする。

 ほんの少し前までは、練習するどころか、文字を追うことも気が進まなかったのに、それが今はこのざまである。

 拗ねることに夢中になっていたせいで、その人がトートから用具を取り出し、何かをしていたことに気づくのが遅くなった。

 しゃ、しゃ、と何かを擦る音を漸く耳が拾った頃、それはもう七割がた出来上がっていた。

 それを見た途端ぎょっとした。

 色々な意味で。

 しかし、それが本職にしろ趣味の類いにしろ、その人の正体の一面を、正しく把握することができた。

「……絵描さん?」

 顔を上げず、口角だけ上げたその人は、紙に鉛筆を走らせていた。

 引っ掛けただけの黒鉛の跡が、形を成すのは不思議だ。

 演者が身体で表現するのが基本といえど、演劇関係には、衣装、小道具や大道具、あるいは立ち方の指示やら、絵で表されることがあるものも、少なくない。

 しかしその人のそれは、いかにも絵という感じの、それ一枚で物語を語る艇を成していた。

 ライブペイントというのだろうか?こういうのを目の前で披露されるのは初めてだ。

 しかも所を喫茶店とする。

 しかし、やっている本人は、観客や場所など一切気にしていなさそうだった。

 真っ白であったのだろう紙が、ただの紙が、絵と変貌していく。

 そうしてそのうち、先程見ていたまでのその人の動作の、どれにも当てはまらないほど忙しなく動いていた腕が、唐突に止まり、鉛筆を手放した。

 少し勢いづいた六角が、ころころとこちらにやってきた。が、台本を持つ手に触ることなく止まる。

 粉となって、紙の上の僅かなざらつきに身を置いた黒鉛に視線を委ねる。

 捉えた平面の中に、逆に捕らえられたようだった。

 その中は森であるようだった。背の高い針葉樹が欝蒼と生い茂る中、幹に紛れるような小さな少年が、所在なさげに佇んでいる。そんな絵だ。

 液体を啜る音。

 エスプレッソコーヒーはその強い苦味からか、量が少ない。

 絵描は筆を置いたその手でカップを持ち上げたらしい。カップの中身がなくなる音がする。

 その人の所作は全てにおいてゆるやかであり、落ち着いた、ゆったりとしたものだった、一部を除いて。しかし、いざその時が終わると思うと、まるで一陣の風が過ぎ去るが如く、一瞬のようだったと思い直す。

 その人が描画を開始してから、初めての視線の交差を成す。おかしなことに、随分と懐かしさを感じる。

 カップのソーサーへの、最後の着地をさせた絵描は、鉛筆の芯のように真っ直ぐとこちらを見て、真っ直ぐと言った。

「来週同じ時刻に。演劇の話は、またここで。」

 短く告げながら、絵描はその絵をこちらに滑らせた。

鉛筆を拾うと、代わりに小銭を置いて、あっさりと席から立ち上がった。

「ではな、ロビンフッド。」

 絵描は一度も振り向かなかった。

 台本のタイトルは、ロビンフッド。

 この舞台の主演が自分であるなどと、もちろん告げていない。

 絵の中のオドついた少年は、鏡を見ているようだった。

 いつのまにか届けられていたコーヒーのおかわりは、未だ冷めてはいないものの、ぬるくなっていた。

 来週は、もう少しマシな顔をしたロビンフッドの挿絵と、温かいコーヒーが飲めればよいのだが。

 果たして、台本に挿絵がつくというのは、如何な取り合わせであろうか。

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