玉
玉は賀茂家の娘ではなかった。赤子の時、神社の本殿に捨てられていた。それを見つけたのは賀茂基久の父であった。彼は悩んだ。その赤子が、それは見事な錦に包まれていたからである。「高貴な家柄の子に違いない。何か事件があったのだろうか」と方々尋ねまわったが、結局何も分からなかった。
基久の父は玉をぞんざいに放り出さなかった。この可愛らしい赤子は「きっと神が下されたに違いない」と思い、まるで自分の孫のように大切に育てた。
玉は、幼きころから紫の若草のように美しかった。その美しさは齢を重ねることに増し、十六なった頃、玉はまるで夢の中で雲となった巫山の神女のような面影を持ち、また湯上りの楊貴妃のように麗しかった。
ただ容色があでやかで美しかっただけではない。玉は小野小町のように和歌を詠み、『源氏物語』にある優婆塞宮のように琵琶を弾いた。夜、月光の下で琵琶を弾じては、西の夜空に傾く月影を招き、花の下に歌を詠んでは、うつろう色を悲しんだ。
またとても慈悲深く、職務の合間を縫って、貧しく飢えた子供たちに食べ物を分け与えに出かけた。玉の事を聞き、彼女の姿を見た人で、心を悩まさない人はいなかった。
彼女の美しさに心惹かれ、身分を問わず多くの男性が恋文を送った。彼女は丁寧に断るとともに、「私などよりも賀茂の姫様の方が遥かに美しいです」と答えた。そのため賀茂家の娘の評判が非常に高まり、挙句の果てには、後伏見天皇と後醍醐天皇が若かりし頃、その姫を奪い合ったと言った話が、まことしやかに噂されるようになった。
ある時、玉は女に襲われたことがある。想い人を玉に取られたと信じ、長く美しい髪を傷つけた上で、玉を殺そうとしたのだ。誤解を解こうにも女は逆上していた。警固衆が女を取り押さえようとしたが、玉はそれを止め、女の持っていた合口で、自分の前髪をざくりと切り取った。
「私は神に仕える身です。勝手に死ぬ訳にはいきません。どうかこれで許してください」
そう言って、何尺にもなる艶やかな黒髪を女の手にのせた。女は口を開けたまま、玉に見惚れていた。髪を切るさまが、あまりにも美しかったからだ。女は怒りを忘れ、玉が去った後も、只々座り続けた。
日をおいて、女は玉に謝りに来た。そして自分の前髪も切り取った。その後、京の若い女性の間で、短い前髪が流行したそうである。
玉が襲われてからというもの、彼女が神社を離れる時には、警固衆が「我こそが」「いや、わしじゃ」と玉の護衛をかってでた。それは競争率が高く、喧嘩になることもしばしばだったと言う。
「おやめください」
玉は楼門を抜けると、千種忠顕の前にしずしずと進み出た。数十人の警固衆は、玉の通り道を開けるとともに、楼門の守りを解き、玉の周りにぐるりと陣を張った。玉を死んでも守ろうと、彼らの目は燃えていた。
警固頭の三条吉永は内心「おいっ、楼門は……」と思ったが、少し迷った後、自分は玉の左側に身を置いた。
忠顕は馬上から、いやらしい目で玉を見下ろし、「名は何と言う?」と訊いた。
玉は静かに「お答えすることは出来ません」と言った。忠顕の口の端が微かに引き攣つる。
「お前、わしの側室にしてや……」
「それよりも」
玉は忠顕の言葉を遮った。
「四月中酉の日には賀茂の祭がございます」
「それがどうした?」
忠顕は自分の言葉を無視した巫女にカチンと来たが、「もしや誘われているのでは」という期待を胸に、玉の言葉に耳を傾けた。
「祭りには帝も御幸されます」
「そうじゃ」
忠顕は、この巫女に、自分が帝の覚えめでたい重臣であることを、自分に逆らったらどうなるのか、思い知らせてくれようと思ったが、玉は話を続ける。
「ここ賀茂神社は王城を鎮守する要。また歴代の帝の祈願文も数多く、この奥に保管されています」
忠顕は玉の言わんとすることに「はっ」と気づいた。
「それに火をつけようするのは、帝に弓を引く行為。恥を知りなさい。参議様は朝廷の臣ではないのですか」
忠顕もこれには、ぐうの音も出なかった。確かにこの件が帝の耳に入るのは良くない。忠顕は顔を真っ赤にして「くっ、覚えていろ」と捨て台詞を残し、馬で走り去っていった。口惜しそうな忠顕と、慌ててそれを追う家臣団をみて、警固衆は大いに笑った。
その後、忠顕は神社の森を抜け、鴨川の橋を渡る前で、「邪魔だ」と言いながら、遊んでいた男の子を馬で撥ね飛ばしていった。不幸中の幸い、男の子は骨折だけで命は助かった。
その事件は、ほんの始まりに過ぎなかった。忠顕はことあるごとに姿を現すようになったのだ。
それは玉を自分のものにしようと、画策してのことだった。